恋活

あべせい

恋活



「これ、本当なの?」

 家電量販店の一角で、主婦らしい女性が、店員をつかまえて尋ねている。

「これ一つで、7通りの使い方が出来る、って?」

「奥さん、本当です。これは、メーカーが15年の歳月をかけて完成させた画期的な製品です。日本中、どこを探してもこれ以上の家電はないと断言できます」

「たいした自信だこと。ちっとも変わっていない……」

 主婦は疑っている。

「お疑いでしたら、どうぞ、試してください、奥さま」

 店員は、30代半ばの男性。力強いメスのように鋭い眉、対照的に瞳はどこまでもやさしく穏やか、キリリッと締まった口元、俗にいうイイ男だ。

 主婦は梨原琴実、35才。かなりの美形だが、当人は十人並み以下と本心から思っている。謙遜ではないところが、この女性のかわゆさだ。

 二人がいま話題にしているのは、日常の食事でよく使うフォーク。ステンレス製の見慣れた形状だ。

 一般のフォークと違っているのは、クシが4本ではなく3本である点、それと持ち手の部分が鉛筆くらいの太さのパイプ状になっていることだろう。しかし、柄が棒状になっているナイフやフォークも、探せば見つかる。これが7役か。

 琴実でなくても、にわかに信じられない。

「試す、って、いま?」

 店内はテニスができるほどの広さがある。平日でさほど混雑はしていない。

「奥さまは特別です」

 店員はそう言って、商品棚にずらりと並ぶフォークの中から、一本を取って琴実に差し出す。

 琴実は受け取りながら、小さく、

「変わったのかしら。このひと……」

 つぶやいた。

 琴実は手にとったフォークをしばらくいじっていた。

 が、

「家にあるのとあまり変わらないじゃないの」

 不満をもらす。

「奥さま、7役の一つ目は、食事をするときのフォーク本来としての使い方です。ほかに、6つの使い方があります」

「それを早く言いなさいよ。そんなものか……」

 琴実はことば尻を濁す。

「簡単にご説明します。このフォークの柄のお尻の部分をご覧ください」

 店員がフォークをまっすぐに立てると、フォーク先端の丸い断面部分に、小さな台形の穴があった。

 店員は、その台形穴に、どこからか持ち出したコードを差し込む。

 と、フォークが!

「ナニ、コレッ、光っているッ」

「2つ目は、ライトの役目をします」

「フォークが照明になるの」

「非常時にあると便利だと思われませんか」

「食事中に地震があったとき助かるかも」

「電池が内蔵されていて充電できますので、ふだんはコードの必要がありません」

「3つ目はヤクです」

「ヤクって?」

 店員は、棚から小さなフライパンをとりだす。

 見ると、なかに数本のソーセージが並んでいる。

「よくご覧ください」

 店員はそう言うと、フォークを持つ琴実の手を自身の手で包みこむようにしながら、フォークをソーセージに突き刺した。

 店員は琴実の手を握ったまま、素知らぬりで、

「奥さん、感触はいかがですか」

「カンショク!?」

「手の感触です。フォークから何か伝わって来ませんか」

 男性に手を握られるのはどれくらいぶりだろう。琴実はその快感に夢中になっていたが、

「あたたかくなってきたわ」

「そうです。ソーセージをご覧ください」

 フォークを刺したソーセージから、おいしそうなにおいとともに、肉汁がしみ出している。

「7役の3つ目は、突き刺したまま焼くことができるのです」

「それで、焼くね」

「次に……」

 店員は、琴実の手を離すと、棚からペットボトルをとり、中の液体をフライパンに注いだ。

 琴実は、次に何を見せてくれるのかという期待よりも、男性店員の手の感触がなくなったことで、極度の寂しさに襲われた。

「どうかされましたか、奥さま……」

「い、いえ、別に」

「続いて、このフォークをこんどは出汁の入ったフライパンに入れます」

 まもなく、フォークの周囲から気泡が現れた。

「ナニ、これ」

「出汁を加熱しています。つまり……」

「煮炊きが出来る、ってこと!」

「このように4つ目は、加熱調理器、すなわちコンロのような加熱器具の役目も果たします」

「鍋料理も、てんぷらやフライだってできるのね。これで4つ。あと3つよ」

 琴実の上ずった声とは裏腹に、男性店員は左右に視線を泳がせ、落ち着きをなくしている。

「どうかしたの?」

 琴実はそう言って、長身の男性店員の顔を下から覗き込んだ。

 彼が首からぶら下げているIDカードに目がいったとき、「アレッ」となった。

 違っている、前と。

 彼のIDには、「蓼科」とあるが、前回は「諏訪」とあった。

「あなた、蓼科さんっておっしゃるの?」

「そうですが、それがなにか」

「こちらお勤めになってどれくらい?」

「もうすぐ1ヶ月になります」

「1ヵ月……入社したてってことね」

「どうかなさいましたか」

「いいの。それで、あと3つは?」

「お待ちください」

 蓼科はそう言うと、その場を離れた。

 琴実は目で彼のあとを追う。

 蓼科は、少し離れた衛生家電売り場で、客と話をしている。客は女性だ。琴実より5、6つ若いから、まだ20代だろう。ちょっと悔しくなるほどの美形だ。

 琴実は思い出す。

 前回この店に来たのは、2ヶ月くらい前。

 

 蓼科によく似た店員がいて、「諏訪」のIDをつけていた。記憶違いというのか。

 蓼科の顔は、諏訪と瓜二つ。髪型が、七三分けから、短いスポーツ刈りに変わっているが、ほかは同じだ。

 諏訪はそのとき、新発売の電子フライパンを扱っていた。そういえば、そのフライパンも、「これ一つで、6つの調理ができます」と、誇らしげにしゃべっていた。

 「煮る、焼く、炒める、蒸す、炊く、揚げる」の6つ。フライパンの取っ手の先端に差込口があり、100ボルト電源のコードを差し込むと、コンロがなくても調理できる「優れもの」というふれこみだった。

 婚活中の琴実は、フライパンよりも、諏訪に関心があり、彼を取り巻いていた5、6人の主婦にまじり、彼の顔を熱心に見ていた。

 この男は家庭向きなのか、遊び好きなのか。

彼が独身かどうかもわからないのに、結婚対象として値踏みしていたのだ。琴実が如何に焦っていたか。

 琴実は、諏訪の実演が一通り終わり、主婦の群れが崩れると、そのときを待ち構えていたかのように、ツーッと諏訪の前に行き、こう言った。

「わたし、いま仕事を探しているンですけれど、いいお仕事があれば、教えていただけないかしら」

 諏訪は、キツネにつままれたような顔をして、琴実を見つめた。

 琴実は、平然としていた。この程度の反応は織り込み済みだったから。

 続けて、琴実は、

「こちらの量販店では、人手は充分足りているというお話ですけれど、何か特技があれば別でしょう?」

「特技、ですか?」

 諏訪は、ようやく琴実に関心を向けた。

 琴実は、仕事に困っているわけではない。

翻訳の仕事をコツコツとやっている。仕事は多くはないが、食べていけるだけの収入にはなっている。

「わたし、こう見えても、ひとの心を読み解く読心術を心得ているンです」

「読心術ですか」

「例えば、いまあなたは、わたしのことを『買わないのなら、早く消えてくれ。買うのなら、さっさと金を出して、消えてくれ』と思っている」

 諏訪の顔色が変わった。図星だったから。

 しかし、諏訪はかろうじて、心の動揺が露見するのを抑えることができた。

 そして、急に、

「奥さん、おれはこの売り場の店員だよ。そういう話は人事部にいってよ」

 ため口になった。

 琴実は、がっかりした。

「あら、そうだったの。ご退屈さま」

 琴実はそう言ってそこを離れ、諏訪のことは忘れることにした。

 諏訪は琴実のタイプだった。しかし、彼は琴実のような女には全く関心がないことがはっきりした。

 琴実は婚活を始めるにあたり、決めていることがあった。

 自分が好きになっても、その相手から見向きもされないときは、きっぱり諦める。逆に、例え、誘ってくる男が現れても、琴実の心が動かぬときは、断固拒絶する。

 想うひとには想われず、想わぬひとに想われて、は昔のことばだが、この一年、琴実はデートひとつ出来ない状況が続いている。

 農業でいえば不作、凶作の一年だった。

 

 蓼科はどうだろうか。

 いまは美形の客の相手をしていて、琴実のことは眼中にないといったようす。

 しかし、少し前までは、琴実を「特別」扱いしてくれ、フォーク7役の4役まで、やさしく教えてくれた。

 仕事だから? 

 琴実は、蓼科が相手をしている女をうらめしそうにジーッと見つめた。

 距離は10数メートル。

 その女が何気なく振り返り、琴実の視線とぶつかった。

 女は、目で会釈した。まるで琴実を見知っているかのように。

 琴実は反射的に会釈を返していた。

 だれだろう。あんな美人のともだちはいない。もっとも、バッチリ化粧をしているから、化粧の下はどんな器量かは知れないけれど。

 わたしの交際範囲は広くない。翻訳の仕事をもらうのに、月に一度、神保町の事務所に行って、帰りはいつも……カレーがおいしい喫茶店に寄ってランチ、仕事に必要な本や資料を探しがてら古書店街を歩く。

 自宅の最寄り駅に降りると、駅前のスーパーで夕食の材料を買って帰る。

 自宅があるマンションまで徒歩15分、その道筋には百メートルほど商店が続く……。

 あッ、歯医者の奥さん。一年に一度は必ず通う「塩尻クリニック」の二人目の奥さんだ。

 受付や診療費を清算する看護師は別にいるからか、診察室には滅多に顔を出さない。

 琴実がこの一年で彼女を見たのは、二度きり。クリニックの奥が塩尻家の住まいになっていて、その玄関から出てきた彼女に、二度出くわした。

 全くの偶然だろうが、前に知っていた奥さんは塩尻医師と同じ年恰好の50代の女性だった。その女性より20才以上若くなっていたから、ちょっと驚かされた。

 医師の塩尻は、歯科医としての腕はいいが、女癖が悪く、すきをみせる若い女性患者には遠慮なくタッチするという噂があった。

 琴実はタッチされたことはなかった。琴実が塩尻の好みではなかったためか、それとも琴実がすきを見せなかったのか。

 いずれにしても、蓼科が話をしている女性は、塩尻クリニックの関係者だろう。琴実はそう考えると、無性に愉快になってきた。

「すいません。ちょっと、前にトラブッたことで、そのお詫びをしていました」

 蓼科は戻ってくるなり、そう言った。

 琴実は、すぐに塩尻の後妻を見た。

 彼女は、さきほどとは打って変わって厳しい表情で琴実を見ている。

 琴実は、ニッと笑って見せた。

 後妻は、ムスッとした顔付きをしてその場を後にした。その顔は美形からはほど遠い、醜い容貌に見えた。

「いまの方、歯医者の奥さんでしょう」

「ご存知なんですか。電動歯ブラシを大量に買いたいというお話だったのですが、見本に差し上げたのが、故障が多くて」

 琴実は、塩尻クリニックの受付カウンターに、包装された歯ブラシが何本も並んでいたのを思い出した。

「その電動歯ブラシも、一本でナン役もできるンでしょう?」

「まさか、ハハハハ」

「そうよね。ハッハハハハハ」

 琴実は蓼科と一緒に大笑いした。

 この瞬間、琴実は蓼科のことがたまらなく好きになった。


「蓼科」と「諏訪」は全くの別人だった。

 二人とも、琴実のタイプだったことから、二人が瓜二つのように錯覚したのだが、よく見ると、眉も目も口も、かなり違っている。

 琴実の両親はすでに他界しているが、兄が二人、実家のある地方の田舎にいる。勿論、所帯をもっていて、独身は彼女だけ。

 琴実にも男関係はあった。

 大学時代の同級生と、翻訳の仕事を始めるまで勤務していた書店のお客。どちらも一度きりの関係だった。

 琴実は自分が嫌われたのだと思っている。男性が好む肉体をしていない。服を着ているときはいいが、脱ぐと……。でも、男女は肉体関係だけではないはずだ。琴実はそう固く信じている。

 しかし、婚活サークルや結婚相談所に行く考えは、毛頭ない。

 お金を出して男を選ぶと言えば語弊があるかも知れないが、結婚する相手は金銭の介添えがない形で出会いたい。

 30代も後半に入ろうとする女が、なにを寝惚けたことをほざいている。そう言われそうだが、10数年前に亡くなった両親が理想だった。

 東京とみちのくに生まれた二人が、東京の喫茶店で、客と店員という関係で出会い、徐々に惹かれ合い、やがて結ばれた。

 生前、母が琴実によく言ったことがある。

「このひとはと想うひとにめぐりあったら、積極的に行かないとダメよ。生涯の伴侶を決めるのに、相手任せでどうするの。女だからっておしとやかに、待っていたら、バカをみるからね」

 琴実は母のこのことばを遺言として、心に深く刻み付けている。

 蓼科は、母の遺言を実行する相手として、申し分ないだろうか。

 琴実は蓼科から買ったフォークを食卓テーブルでいじりながら、考えている。

 蓼科は、持ち場に戻ってくると、途中になっていた商品説明を続けた。

 フォーク本来の使い方以外の6つの使い道として「照明」「串刺しにして焼く焼き串」「煮炊きできる加熱器」まではすでに琴実は聞いていた。

 あとは3つ。その2つは「時刻も表示されるキッチンタイマー」「調理中の油などの温度が計れる温度計」。

 そして、琴実が最後の7つ目を聞こうとしたとき、邪魔が入った。

 同じ制服を着た男性が駆けてきて、

「ユウジ、店長が呼んでいる。すぐに行け!」

 蓼科は、呼びつけられる理由に見当がつくようなそぶりをしてから、

「奥さま、ごめんなさい。話の続きは、こんど」

 そう言って、足早に去った。

 駆けてきた男性は蓼科に代わってその売り場に立った。

 琴実は、そのまま帰ろうとも思ったが、気がつくと、

「一つください」

 蓼科と出会った記念になると考えたのは、店を出てからだった。

 蓼科の下の名前がわかった。「蓼科雄二」か「蓼科勇次」か。いや、「遊路」「祐二」「雄治」かも知れない。

 それはいい。「蓼科ゆうじ」でいい。私の夫候補第1号には変わりない。

 琴実は、蓼科の気持ちがわからないことに不安はあったが、彼ならおつきあいがしたい。

 しかし、彼の個人的な情報は、名前以外、何も知らない。こんなことから、恋は始まるのか。始めていいのか。

 救いは、あの店に行けば会えることだ。こんど会ったときは、必ず彼の電話番号なり、メールアドレスを手に入れよう。

 琴実は、ふと思いつき、フォークを元のケースに入れ、買ったときの状態に戻した。


「奥さま、失礼いたしました。この前は、説明がオーバーになって」

「どういうこと? ユウジさん」

 蓼科に会うのはこれが二度目だが、琴実は決めていた。彼を「ユウジさん」と呼ぶことを。

「この前、ぼくはお客さんに対して、やってはいけないことをしたのです。それで店長から」

「どうしたのよ。ユウジさん、教えて」

 琴実がこの店を訪れた一昨日、蓼科は接客中にもかかわらず琴実の前から、慌しく姿を消した。

 そのとき琴実は気になって、蓼科を呼びにきた店員に尋ねた。

「蓼科さんって、慌て者ね。気をつけなくちゃ」

「そうなンです。あいつ、美人に弱いから、すぐ調子にのって、でたらめ吹くンです」

「こんどは何をやらかしたの?」

「お客さん、知らないンだ」

 店員は余計なことを言ったと思い、口を閉じた。

 この日、琴実は、蓼科の売り場に行くと、買ったフォークをレジ袋に入ったまま差し出した。

 琴実が何も言わないうちから、蓼科はそれを見るなり頭を下げた。

 そして、「奥さま、失礼いたしました。この前は、説明がオーバーになって」

 一本のフォークが7役の使い方ができるというのは、蓼科の過剰な、というより悪質サービスだった。

「ユウジさんって慌て者なのね」

 琴実は、親しげに下から蓼科の整った顔を見つめた。

 蓼科は無言だった。琴実の口から「ユウジさん」という言葉が出るたびに、彼の眉はピクピクと震えた。

「一本のフォークが6役というのでもすごいのに、どうして7役って言ってしまったの。ユウジさん」

「奥さん、その『ユウジさん』というのをやめていただけませんか」

「奥さま」が、急に「奥さん」になった。

「どうして、どうしてヨッ」

 琴実は出鼻をくじかれたように感じ、怒りが湧いた。しかし、ここを乗り切らないと、恋などできやしない。琴実は、なぜかそんな気持ちになった。

「奥さんはこの前の歯医者の奥さんと同じです。我々店員を見下しておられます。おかげで私は、その度に店長に呼びつけられ、厳重注意を受けています」

「そんなこと」

 琴実は、「そんなこと……」に続けて「知らないわよ」と言いたかったが、堪えた。

 あの塩尻歯科の奥さんもクレームを持ち込み、ユウジを困らせたのだろう。ユウジは言い返さなければよかったのだろうが、彼は出来なかった。それで彼女は店長に電話をかけて猛抗議した。

 わたしはクレーマーではない。購入したフォークの不具合を訴えにきたわけではないのに。彼は、商品を差し出したわたしを見て、すぐに反応した。

 蓼科は接客には向いていない。状況を素早く把握して、適切に対応することが不得手なのだ。

 言い換えれば、早とちりの愚か者。忍耐力に乏しい。我慢が足りない。これでは仕事は長続きはしない。職場を転々としているのだろう。

 こんな男性が家庭に入れば、どうなるか。奥さんとうまく折れ合っていけるとはとても思えない。残念だが。

「蓼科さん、この商品、お返しします」

「こんなに便利な商品を、ですか。6通りに使えるフォークなンて、世界中探してもありませんよ。ぼくの説明がオーバーだったことは認めますが、この商品に欠陥はありません」

 琴実は、懸命にとりつくろうとする蓼科と向き合いながら、

「フォークは返すから、わたしがあなたにあげた女心も返してよ」

 そう、つぶやいていた。

                 (了)

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