応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 素晴らしい。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    お誉めのお言葉、励みになります。他の回もお読みいただいて、ありがとうございます。

  • こんにちは。
    聖書の記述を神話と言われるたびに、私も苦笑いしていたことがあります。
    今となっては、気にしませんが。
    それより、久里様ってアメリカ人宣教師と雑談出来ちゃうことにすごいってなりました。感動。
    日本人のルーツを知る時に、大林太良『神話の系譜』参考になりそうですね。
    日本語の起源も気になります。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    文字通り「神様の話」という意味ならいいのかもしれませんけど、ギリシア神話とかと同列の「神話」とされると、うーん・・となりますよね。
    アメリカ人宣教師はたまたま仲よくなった人で、非キリスト教徒である私にもいろんな話をしてくれます。
    日本人や日本語のルーツって、掘ってみるとおもしろいですね。大林太良も参考になると思います。


  • 編集済

    工藤行人です。コメント欄では大変ご無沙汰してしまいました……又、此方にて申し上ぐること恐縮ではございますけれども、此の間にも投稿の都度、拙文ご高覧下さいまして誠に有り難うございます。

    扨、鏡花のこと。怪奇・幻想・耽美の世界観も然ること乍ら私は矢張り、ご指摘の「漢字の当て方」にこそ一方ならぬ床しさを禁じ得ません。

    現在でも「二十歳《はたち》」「梅雨《つゆ》」など熟字訓として衆口に膾炙して市民権を得た宛字も有りますけれども、江戸戯作で花開いた口語脈の文学が、其れまでに受容された漢籍の素養と相俟って様々な宛字・義訓を生み出したこと(殊に私は馬琴先生による義訓が好きです)、日本語の歴史に於ける何と云う豊穣であったろう、などと勝手に思っております。平安朝の宮廷的なやまとことばも漢語に宛てれば意味がすんなりと解し易いと云うことも有りましょうし、何より漢字の造語力(希臘語・羅甸語に遜色の無いことでしょう)と口語脈の“併せ技”たる義訓の面白さは、日本語の可能性を今後も(其の気になれば)拡げて呉れるに違い有りません。

    最近、荻生徂徠以来の古文辞学派が提唱したとされる漢詩の俗語訳に興味を持っておりまして、江戸後期の柏木如亭『訳注聯珠詩格』に載せる蘇軾「飲湖上初晴後雨」の訳など、字句の異同こそあれ一等面白いのではないかと思いましたので、ご迷惑とは存じつつも以下にご紹介させて下さい。

    【原文】
    水光瀲灔晴方好
    山色空濛雨亦奇
    欲把西湖比西子
    淡粧濃抹總相宜

    【俗語訳】
    水の光 瀲灔《きらきら》と晴《てんき》は偏《かくべつ》好《いゝ》
    山の色 朦朧《どんみり》と雨も亦《また》奇《きめう》
    この西湖をば西子といついた美人《しなもの》に比《くらべ》て若把《みようなれ》ば
    ふりの淡粧《うすげしやう》てんきの濃抹《べたおしろい》両相《りやうはうながら》宜《うつくしい》

    鏡花の文才も或いは、斯様な江戸のエスプリの慈雨を享けて育まれ、花開いたのかも知れませんね。

    変わらぬご健筆を陰乍らお祈り致しております。拙文も変わらずよしなにどうぞ。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    こちらこそご無沙汰しておりますが、『豊饒なる語彙世界』はまさに豊穣な世界の深奥へ誘われる思いで嘆息しています。
    工藤さんならきっと「漢字の当て方」に注目されるだろうと思っていましたが、やはり鏡花の漢字遣いにはゆかしく思われていましたか。江戸戯作からつらなっているというのもまったく同感で、工藤さんからそのように伺うと、自分の捉え方に太鼓判を捺していただいたようで心強いです。ほんとうに、日本語は今後もまだまだ可能性を拡げてくれると思いますし、私たちの書く文にもその片鱗を表すことができればこれに勝る喜びはありませんね。

    漢詩の「俗語訳」は存じませんでした。漢字の意味に則りながらも解釈の幅を自由にひろげて訳するさまは、明治以降の、西洋詩をみずみずしい日本語に訳する土台を準備したかのようにも思えます。
    江戸期の社会の発展成熟があればこそ明治の躍進を可能にしたのだとよく思いますが、文藝の面においてもその豊かさが明治以降の百花の基になったのだとあらためて感じました。
    百花を受け継がれている工藤さんの詞藻の更新をこれからも楽しみにしております。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。
    今回は泉鏡花ですか。大好きです。大好きではありますが、私の好きは、まだまだ浅く、雰囲気を楽しむ域を超えておらず、もう少し深く味わいたいと思っておりましたので、こういうガイドはとても嬉しいです。

    なるほど、女性(母)への思慕はしばしば耳にしますが、超越的な強者が女性の形を取ること、世間に翻弄されるものも女性に重きが置かれがちだというところに、それが見て取れるのですね。

    表音文字と表意文字が混ざり合って成す味わいの豊かさは理解でき、日本人としてそれを味わう基礎を有していることが嬉しくもあるのですが、実際に味わおうとすると、一筋縄ではいかないのも事実だと思います。作品によってはふりがながなく、漢字が読めないということが幾度もありました。字面から意味は分かるのですが、頭の中で朗読したいのでしょうね、読みが分からないと、とたんに興味が薄れてしまいます。手元にある『夜叉ケ池・天守物語』を開いてみると、久里 琳さまが挙げてくださった副詞や擬態語はほぼふりがなを打ってくれているのですね。あらためて、味わい直してみようと思いました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    佐藤さんも泉鏡花がお好きなのですね。あの雰囲気を楽しむというスタンスで十分正統な味わい方をされていると思いますが、私の語ることがいくらかのガイドになったのであれば幸いです。
    女性(母)への思慕の表れについてはあくまで私の感じたところですが、大きく外してはいないと思います。
    漢字の当て方・遣い方に多彩な表現が出てくるということは、必然的に読み方も多様になりますので、、なんて読めばいいんだ??ということも出てきますよね。
    こう読んでほしい、と指定するのは作家の誠意だと思う一方で、読み方の自由を読者に残すという姿勢もありだな、と思ったりもします。でもまあ、読み方に迷うときや、一般的でない読み方・漢字の当て方をするときには指定してほしいですよね。
    その点、鏡花の文章にはふりがなを振られていることが多くて、助かりますね。それだけ奔放に多様な漢字遣いをしているわけで、やっぱり味わいの深い文章だと思います。

  • 泉鏡花の高野聖が好きなハナスです、こんにちは。
    この幻想的な世界観を読み解くほどの才はないので、補足として映像化されたものを観たりしましたが。

    久里様の『濃密で多彩な表現のシャワーを浴びれるのは、日本語を母語とする者に許された愉悦であり特権』『日本語を読む者として生まれた幸運』
    この点は激しく同意します。私も泉鏡花で深く感じました。

    久里様作品のセンスのいい漢字の当て方、泉鏡花に通じるものがありますね。
    ご紹介くださった『夜叉ケ池・天守物語』読んでみたいと思います。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    『高野聖』がお好きなのですね。映像化されているのは初めて知りました。どんな映像になったのか、見てみたいです。
    漢字と仮名を併用することで生まれる多彩な表現、これを愉しめる私たちは幸せですよね。星都さんも泉鏡花で感じられたのですね。
    そしてその幸福を、書く側としても味わっています。おかげでこだわりの漢字遣いをしてしまったりもするのですが、、泉鏡花に通じるとのお言葉、光栄です!

  • 怪奇、耽美、という偏った印象だけで素通りしていましたが、挙げられた文章を読んでいると、そんな気取ったものではなく、お洒落というかお茶目というか、もっと血の通った感じがしますね(失礼すぎる)。正義、人情が理屈よりも人の持つ根本的な心のありかたに触れているようで読んでみたくなりました。
    擬態語の漢字遣いは漢字が持つ意味が加わることでより明確な効果を出すのでしょうね(分かる漢字にかぎってですが)視覚的にも引き締まってかっこいいです。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    怪奇、耽美はもちろん泉鏡花の代名詞なのですが、仰る通り、生き生きとした、血の通った人の情を描くところに彼の特質があるのだと思います。それだけに好き嫌いも分かれそうですが、一度試してみようと思われたならば、私も書いたかいがありました。
    もともとは音から来た擬態語に漢字を当てるのは、主流ではありませんが、これこそ日本語の特長を生かした表現手法ですね。ほんとうに、視覚的にもかっこいいなと思います。

  • 「『背教者ユリアヌス』と『海の都の物語』は、まず読むべきだ」と言われたことがあったのを思い出しました…まだ読んでません!ここに、『ローマ人の物語』が加わりましたっ!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    『背教者ユリアヌス』は、聞いたことはありますが未読でした。まず読むべき!なんですね。
    『海の都の物語』もいいですよ。『ローマ人』と併せて、ぜひ!

  • 久里 琳さま

    こんにちは。
    輪廻転生は元来苦しみの円環なのですね。最近だと、「転生」には楽しいイメージ、再生や希望のイメージが付いて回りますが、それとはまったく異なるのだな、と。ちょっと面白く感じました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    「転生もの」のポジティブな転生観が流行ってるおかげで、仏教の輪廻転生観はすっかり異端になってしまいましたね(^^;)
    それはともかくとしても、現代では、二度とこの世に戻らない「成仏」よりも、どんな生であろうとこの世に再度生まれ変わる「六道輪廻」の方を選ぶ人が多いような気がします。

  • 今回のエピソード、とても興味深く読ませていただきました。いろいろな宗教の考え方、人生や死の在り方、どんな時代でもこういう事を知るのは良い事だと思います。
    今は特に無宗教の人が多く、私もそうなのですが、モラルの崩壊含めてさまざまな歪みがあるように思えますね。
    必要なのは自分を律する事、その支えとして宗教的な知識、規律、人生観みたいなものが機能すると良いですね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    いかに生き、いかに死を迎えるか。飛ぶように過ぎてく人生でそんなこと考えてる暇があったら、、、なんて思われがちですが、実は充実した人生を送るために有用な思考のような気もします。
    自分を律する、それができればモラルも自然と整いますよね。宗教は古びたように見えて、底堅い普遍的な力を持っていると思います。


  • 編集済

    未読ですが、冒頭だけは覚えてます。
    とにかく流れるように読ませる、比喩の引っかかり方が軽やかで癖が強くて、新しい文学ってのがこうなのかなと思いましたね。
    才能、センスってのを感じさせる作家さんですよね!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    冒頭だけで記憶に残すとは・・! 私も当時、新しさを感じました。
    比喩の引っかかり方が軽やかで癖が強くて、、まさに! センスというのは、天与のものだな、、と思ってしまいますね。


  • 編集済

    綿矢りささんの作品は未読でしたが興味出てきました。若い主人公の考え方やノリが結構な高圧縮で一文に入れられてるんですねー。すごく自然でストレートです。これはラノベではありませんね。ラノベほど一文も短くなく、改行もないですし。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    興味をお持ちいただいたとのこと、うれしいです。高圧縮、まさにそうですね。それができるのが才能・センスなんでしょうね。
    これはラノベではない、、やっぱりそうですよね。一口に「軽い」といっても別物だと私も思います。

  • 綿谷りささんの芥川賞受賞は衝撃的でした。「こんな子が!」という驚きと共に、こうしてはいられないのじゃないかという焦りとも嫉妬ともつかない感情に襲われたこと、昨日のことのように思い出されます。

    >さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音ねで鳴り響いて、胸を締めつけるから。せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。

    作家の高橋源一郎さんが将来の日本文学を背負って立つと激賞した文章ですね。非凡とはまさにこうした文章とその書き手のことを言うのだと思います。

    ここからは、わたしの勝手な思い込みから書くのですが――。

    綿谷さんは、ことさら意図してこういう文体で書いたのではなく、自分に心地よく自分ならこう書くという文章を連ねた結果が、文学賞受賞という結果にたまたま結びついたのではないでしょうか。

    いまでも芥川賞受賞インタビューの受け答えを思い出せますが、あの子に「この国の文学を変える」などという下心があったようには感じられなかった。

    新しいものは意図せずとも、自由自在に思い描くものの中から生まれるのだろうなと、いまは思います。

    わたしもことさら頑張ろうとせず、気ままに信じたものを書こうかなと今回のエピソードを読んで思いますした。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    衝撃でしたよね。たしかに「こんな子」という、映像を見てもまだ幼いという感じがした覚えがあります。
    冒頭の文章は、高橋源一郎が激賞していたんですか。自分だけの受け止めでなくて、ほっとしました。というか、やっぱり誰もが非凡と気づく文章だったのですね。
    ことさら意図したわけでなく、文学を変えてやるなんて意気込んでいたわけもなく、自分にとって心地よい文章を書いていたらこうなった――まったく同感です。自分の中にあるものを、自由自在に引き出して描く、、それがじつは難しいのだとは思いますが、その境地で書いてみたいですね。

  • 大学生の時読みました。そこから、まぁ心理系の本もよく読んでました。人の精神の不思議さとか、思ったより澱んでいるような感じとか。文字になることで名前がついて、認知されていくもんだなと思ったものです。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    フロイトから心理系の本の世界に入り込まれたんですね。たぶん最初にフロイトを読むことで、それらの世界の見通しが良くなったのではと思います。
    文字になることで認知されていく、というのはまったくその通りですね!

  • フロイトはとても有名で、久里琳さんが挙げたフロイトに由来する言葉や概念はよく目にします。わたしも一度ならず作品の中に使ってきたと思います。

    ただ、公的には(たとえば法律的、経済的な人と人の関わりかな)フロイトの提唱した言葉や概念は、科学とオカルトの境目にあるものと考えられているように感じます。

    たとえば、わたしが(木っ端役人ですが)職場の文書にトラウマなどという言葉を使おうものなら、その瞬間に色眼鏡で見られ、上司からダメ出しを食らうでしょう。

    創作物の要素としては楽しめても、実生活の法律関係や経済関係にフロイトを持ち込むのは、受け付けられないという向きは多そうです。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    フロイトの好んで扱う領域がちょっと胡散臭いというか、お堅い場では話題に上がらない内容が多いですよね。たしかに公式の世界では脇に追いやられている言葉や概念が多いと思います。例外といえば「無意識」ぐらいでしょうか。
    ホームである心理学や精神医療分野でも、彼の精神分析学の功績は大きい一方で、否定・超克された考えも多々あるようで、クセやアラがあるのも創業者らしいといえばらしいですね。


  • 編集済

    フロイトから〝The End〟へ話が繋がるのは、とてもおもしろいですね。
    ドアーズの〝The End〟は、初めは単なる別れの歌のように始まるのに、次第にビート文学の散文詩を思わせる幻覚的なイメージの連鎖へと変わっていきますね。ライブの映像を観ると、まるで即興詩の朗読会みたい。
    ジム・モリソン自身が神話や象徴主義詩、ビート文学に傾倒していたことを思うと、オイディプスの場面も単なるフロイトの引用というより、神話や精神分析、時代精神が重なり合った象徴として置かれているように感じます。カウンターカルチャーの時代ということを踏まえると、「父=権威」を殺し、「母=原初」へ回帰するイメージとして読むこともできるのかな、と。

    フロイトって、なにかにつけて思いだしてもう一度読もうかな、と思うことがよくあります。でも結局、再読してない(^^;
    今の感覚からすると、それはちょっとどうだろう、って思うところもありますが(笑)、音楽や映画など、いろいろなところでその影響の大きさを感じます。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    The Endへ繋がる展開、お楽しみいただきまして幸いです。詞と曲と、そして後づけながら映像世界とが奇跡的なほどにマッチしていて、好きな一曲です。
    仰る通り、フロイトをそのまま引っ張ってきたわけではなく、それどころかフロイトなんて意識になかったかもしれませんが、だからこそなおさら、フロイトが切り拓いた世界の裾野の広さを感じます。誰がいつ言い出したかなんてどうでもいいぐらいに私たちの思考の基盤に溶けこんでいるということですので。
    とはいえたしかに、「それはちょっとどうだろう」と言いたくなる内容も多いんですよね(^^;) 千弦さんのように、鵜呑みにしない姿勢と知性があれば、安全に楽しめるのではないかと思います。

  • 31 大岡昇平『野火』への応援コメント

    こんにちは。『野火』教科書に載ってました。
    極限状態になると人間はどうなるか?考えさせられました。
    当時『ビルマの竪琴』『三光』など読み漁った私。
    記憶が曖昧でしたが、久里様のおかげで『野火』の大切な部分をおさらいできました。ありがとうございます♪

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    極限状態の人間は、信じられないような行為をすることがありますね。それが他人の尊厳を傷つけるような行為でなければよいのですが・・・。
    『三光』は存在は聞いているものの、目にしたことはありませんでした。耳をふさぎたくなるような蛮行に満ちているという話ですが、、、一度は目を通したいです。

  • 31 大岡昇平『野火』への応援コメント

    『野火』は高校の教科書に一部が載っていて、授業で学習した後に図書室で借りて全文を読みました。
    『猿の肉』のくだりはもちろんショッキングで印象的でしたし、主人公が発熱した状態で普通に歩かされている何でもないようなシーンにリアルなしんどさを感じた記憶があります。つまり、もっと深刻な状態の兵士が他にたくさんいた……
    平和な世でのほほんと暮らしている自分には想像も絶するような極限状態で、唯一リアルな感覚をイメージできたのが『発熱』だったんでしょうね。それだけ壮絶な話でした。読了後しばらく呆然としてしまいました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    教科書で学習した後、図書室で借りて全文を読まれたとは、、それだけの衝撃を受けられたのですね。読後しばらく呆然としてしまわれたのも納得の壮絶な物語でしたね。
    発熱した状態で歩かされるところにリアルなしんどさを感じる、、たしかに、あまりに私たちの日常からかけ離れた壮絶なエピソードは、私たちの世界とは断絶していて手触り感が得られないような気がします。

  • 『関川の弁明』
    「すみません、これも読まなきゃいけないんだろうな、と思いつつ読んでいなかった本の一つです」
    「どうして読まなかったんだね?」
    「いや、哲学は興味あったんです。というより哲学の歴史みたいなものですね、ソフィーの世界がはやったころです。でもあれでお腹がいっぱいになったというか」
    「どうしてそこから深堀しようと思わなかったのかな?」
    「ああ、そのちょっと古い文体の本が苦手というか、なんというか」
    「人の思索に古いとか新しいとか、そういうのが重要なのかな?」
    「いや、そういうわけではないんですけど……その、ね?」
    「ね? とは同意を求めるという事かな?」
    「いや、そういうわけじゃないんですが……とにかくごめんなさい」
    「なぜ、謝ったんだね? なにに対して謝罪したのかな?」
    (……まだ論破してくれた方が早いのに……これも時代か……)

    駄文失礼しました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    しっかり対話篇になっていますね(^^) 論破せず、代わりにじわじわきっちり詰められる、、これはこれできついですね。ソクラテスの死刑に一票を投じた人は、そんなところを非難したのかもしれません。
    とはいえ、プラトンは「ソフィー」より頭に入りやすいんじゃないかなと思いますので、気が向かれましたらふらっと立ち寄られてはいかがでしょうか。

  • >『アテナイ人諸君、私が弁明するのは、私自身のため、と思う人があるかもしれないが、決してそんなどころではなく、むしろ諸君自身のためである』

    エウチュプロンは賢明な人なので、ソクラテスはコーチングして納得させることができましたが、法廷のアテナイ人たちはかならずしも賢明な人たちではなかった。

    不都合な真実を突き付けられ、気分も悪かったのかもしれません。真実が通用する相手とそうでない相手の見極めは大切ですし、賢明でない人を相手にしがちなわたしは、そんな彼らをどう納得させるか、そちらに気を取られそうです。

    戯言でした…。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    聞く耳もつ人・考える気のある人は導くことができても、その気のない人は何を言っても響かないのは仕方ないですね。あるいは、耳をふさぐことが自分を利すると思っている人も。
    賢明でない人を相手にしがち、、お仕事によってはそうなりますよね。ご苦労お察しいたします・・・

  • こんにちは。青切です。
    おもしろく拝読いたしました。

    『ソクラテスの弁明』はいろいろな訳が出ていますが、私は岩波文庫の訳がいちばん好きです。
    死刑宣告をされた直後のソクラテスのセリフとか。
    「恐らくそれはこうなるより外なかったのであろう、そうして私はこれで結構なのだと思う」

    岩波文庫はあとがきもおもしろいです。
    なかなか仕事をしなかった阿部次郎に久保勉がぶつくさ苦情を言っています。
    ではでは~。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    角川版(山本光雄訳)の同じところを探すと、「これらのことはおそらく実際こうならなければならなかったのだ、そしてそれも結構なことだと思う」でした。
    比べてみると、岩波版の方がしゅっとしていますね。そして、あとがきでぶつくさ苦情、、おもしろそうですね。読んでみます(^^) ご紹介ありがとうございます!

  • 塩野七生は小説からエッセイ(男たちへ)、マキャヴェリ語録からと、とりあえず本屋で目に入ったら買ってしまってます。

    久里さんのおっしゃる通りの、明晰でドライな切口が大好きなんですよ。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    とりあえず本屋で目に入ったら買ってしまう、、七生中毒ですね(^^) でもそうなるの分かります!
    明晰でドライ、まさに塩野七生の魅力ですね。あの断言の説得力は、彼女ならではだと思います。

  • >迷宮じみて眩暈を感じずにいられません
    まさにまさに。私はこの眩暈に耐えられず、読むのを一度挫折してしまっています。
    あの独特な感覚に耐えられ、楽しめる心境になったらまた読もうかと思っています。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    迷宮の眩暈、共感いただいて、うれしいです。物語の長さも相俟って、気軽に読むには壁が高い感じがしますよね。でもその壁の向こうにはめくるめく愉しみが広がっていますので、またいつか再訪される価値はあると思います。
    さっそく☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 久里 琳さま

    こんにちは。
    絵に作者の痕跡を残さない、このことばに目からうろこが落ちた気分でした。絵師とはいわばよりましのようなものだったのですね。描くことが目的であった文化に、描くことが手段である西洋文化が押し寄せる。それを歓迎しようと拒絶しようと、既存の文化と混ざり合うことは必至で、でも完全に染まり切ることもできないでしょう。
    「描く」ことはそもそもかなり本能に近い衝動だと思います。だからこそ、これまでと異なる絵画に出会ったとき、人は戸惑い、嫌悪しつつも、魅了されるのでしょうね。
    とても面白そうな本のご紹介をありがとうございます!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    いわばよりましのようなもの、、まさに! 絶妙の喩えですね。
    それを理想としながらも、栄誉や栄華を求める欲も捨てられないのが人間で、その間を行き来する心情も読み応えがあります。
    描くことを目的とする者と手段とする者と。西と東は、様式だけでなく、絵画に対する姿勢の違いでもありました。そんなところにもイスタンブルの絵師たちは抵抗を感じて、同時にどうしようもなく魅了される、、、描く本能に衝き動かされているのでしょうね。

  • これは面白そう!
    解説からしてすごくそそられるものがあるし、絵画の歴史も西洋史と日本ぐらいしか馴染みがないので。絵に取りつかれた人の話はすごく興味深い!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    面白そうな匂いを感じとっていただきましたね(^^) 中東の細密画はなかなか馴染みがないですよね。本当に、絵にとりつかれた人たちです。その情念を堪能される価値はあると思います!

  • これも読んでおかなきゃ、と思いつつ放置されている本の一つでした。
    そう言えば、東北はキリストの墓があるとか、ストーンヘンジがあるとか、そんなのもありましたね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    読んでおかなきゃ、の本はどんどん積み上がりますよね(^^;)
    古代日本とユダヤの関係に触れた説もありましたね。東北には謎とロマンが満ちています!

  • 仙台物語や盛岡物語じゃなく、遠野ってとこがいいですね、字面も素敵。
    30年以上前、帰省(北海道→神奈川)の途中に立ち寄ったきりですが、
    幹線から外れ、現代でも茅葺きの古民家にザシキワラシが、護岸されてない川にカッパが出てもおかしくない雰囲気の郷でしたっけ。
    釜石線の起点の花巻は宮沢賢治のホームですし、あのあたり、東北のメルヘン街道かもですね

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    「遠野」という地名に意味をもたせると、なおさら魅力的ですよね。
    現地に行かれたことがあるんですね! ザシキワラシに、カッパも出そうな郷、、私もいつか訪れてみたいです。イーハトーブもそばで、本当に、東北のメルヘン街道と呼びたくなりますね。

  • 御作で使われていた「咲う」がとても印象的でしたが、ここから来ていたのでしょうか。まさに花が咲くような笑顔が思い浮かびます。
    昔の人の生き死にがずっと原始的というか、すぐそばにあるものという感じで、それがあっさりと乾いた語り口になるように感じました。
    老人の話は「楢山節考」のような悲惨さとは違う逞しさですね。他の色々なエピソードも想像を掻き立てられます。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    ご賢察の通り、「咲う」はこのお話の影響を受けています。まさに、花が咲くような笑顔を思ってこの字を使いました。
    たしかに昔は死がすぐそばにあるもの、だったというのが大きいんでしょうね。それがまた姥捨て山の老人の逞しさにもつながっているような気がします。

  • とてもおもしろく読ませていただきました。

    遠野物語の名は知っていても、どんなお話かはまったく知らなかったので、がぜん興味がわきました。いつか読んでみたいと思います。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    人が一生のうちに読める本は限られているので、タイトルだけは知っているけど読んだことない、という本はたくさんありますよね。
    これは読もう!と判断するきっかけになりましたら幸いです。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。
    生命現象を突き詰めるうえで物理学はけっして無視できないどころか、大いに関係してくる学問であり、哲学にも近いと感じます。
    この本を著したときのシュレディンガーの心境に関する久里 琳さまのご考察にしみじみと考えさせられました。探求に「疑うこと」は必須ですが、疑いつつも大胆に舵を切らねばならないときがおうおうにしてあり、そのときを見誤ると、時流に乗り損ねてしまうのですね。でも、学問なんて長い目で見れば、無数の人間を溶かして鋳型に入れて固めたようなもの。学問の広さと厚みを増すには多くの人の知恵が必要なのだと思っています。
    それにしても、このシリーズは読めば読むほど、久里 琳さまの懐の広さを感じさせられます。私は面白いかも、と思いながらも踏み出せず、みすみす逃すものが多いのですが、このお話のように、「『私は門外漢でーす』という方にこそ楽しんでいただきたいお話です」と優しく手招きしてくださると、自分には晴らすことのできなかった霧がようやく晴れ、目の前にそびえる山が意外に低いことが見えてくる、そんな気持ちになります。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    物理学の問いは、本当に哲学を思わせますね。哲学探究にも「疑うこと」は必須で、とことん疑った先に何が見えてくるか、を追い求めているようなところがあると思います。でもその先に何も見えてこなかったりもするんでしょうね・・・
    無数の人間を溶かして鋳型に入れて、、、残酷ですが、学問の巨大な伽藍はそんな無数の人たちの血の上に築かれているんですよね。シュレーディンガーはひときわ大きな血を提供したのですが、その後は血を求められなかったのだとすると、、やはり寂しく思うのかもしれませんね。
    優しく手招き、そのように受けとめていただけると、書いた甲斐があったと思います。興味は感じるけれど、高く険しい山のように見えるような本って、ありますよね(^^;) そんな眼前にそびえる山に、足を踏み入れるきっかけになりましたら幸いです!

  • 初めまして。私も三島由紀夫に神経を焼かれた一人です。
    興味深く拝読いたしました。

    比喩についてのお考えや、
    >彼の文章にはうつくしさと同時に、人を撥ねつけるつめたさがあるような気がします。厳格で秀麗なつめたさです。
    という一文に、ただ頷くことしかできませんでした。

    私は「憂国」に十代で焼かれた人間なので、三島由紀夫という作家にはかなり強い思い入れがあります。
    どちらかというと、凄い人というよりも恐ろしい存在、という印象です。
    それでも、彼の日本語を使った文章における、はるかな高みについては全力で同意いたします。

    ノーベル賞についても、とても興味深く拝読しました。
    真実はわかりませんが、私は彼がノーベル賞を取っていないことに、ある意味で納得しています。

    というのも、三島の日本語は、意味だけで成立しているわけではないと感じるからです。
    音や格調、語彙、比喩、圧によって、「意味がわかる前にわからされる」ようなことを平気でしてくる。
    私には、「日本語という素材」を使った暴力のように思えることがあります。

    だからこそ、翻訳では彼の魅力の本当に凄まじい部分が、どうしても何割か削がれてしまうのではないか、と想像しています。
    三島は「日本語で物語を書いた作家」というより、「日本語そのものを武器にした作家」なのだと、読むたびに感じます。

    こちらの文章は、三島をただ「有名な文豪」としてではなく、ご自身の読書体験としてきちんと読んで書かれているのが伝わってきて、とても嬉しかったです。
    カクヨムにも、こうして三島由紀夫を真面目に読んで語ってくださる方がいるのだなと、少し救われました。
    ありがとうございます。

    作者からの返信

    はじめまして。お越しいただき、ありがとうございます!
    三島由紀夫に神経を焼かれた、とお伺いすると、とても親近感を感じてしまいます。本当に、「焼かれる」という表現がぴったりくる作家ですよね。
    中でも『憂国』のあの秀麗な文章、それでいて生と死の情念が充溢する一幕は、10代には特に響いたのではないでしょうか。
    あの文章の冴えを前にすると、恐ろしい存在と仰るのも分かる気がします。しかも意味がわかる前にわからされる、、たしかにそれはもう「暴力」かもしれません。
    翻訳にはどうしても原文の迫力を再現しきれない部分が残るのだと思いますが、原文が暴力的なまでに凄まじい力をもつからこそ、それが伝わりきらないとしたら口惜しいですね。
    私も十代の頃から、三島由紀夫には何度もがつんとやられてきましたので、いつか正面から語ってみたいと思っていました。これほどに深く三島を受容され、焼かれてきた方にお読みいただいたうえに共感をいただいて、すごくうれしいです。ありがとうございました!
    カクヨムの中にもきっと隠れファンはいらっしゃると思うのですが、、三島由紀夫を語る方がほかにも出てくるといいなと思います。

  • ちょっと語りたいテーマ!
    私もこの物理学におけるパラダイムシフトにはすごく興味がありました。大学生の頃かな。相対性理論のことから量子力学、科学は無学でしたがなにが起こっているのか、世界の成り立ち、見方がどんなふうに変わったのか、漠然とでいいからそれを理解したいと思ったのです。
    そこで明らかになったのは、これまでの思考では把握できないということ。すごく端的に言えばですね。光が粒子であり、波であるということ、相反する事象が共存する状態をどうとらえたらいいのか。クオークがつまるところエネルギーであり、不確かなものであること、なんてのも。まぁこのあたりは後にアトランティス~の創作に流れていますね。
    この把握・理解のためにどんな思考力が必要なのか? というところで、禅、の発想に流れてゆく、というのも面白いところでした。同時期に読んでいたサリンジャーもまた禅の思想に影響されていたようで、社会全体がこれまでの思考から脱却し新しい思考を手探りしているように感じたものでした。
    天動説から地動説へとパラダイムシフトが起こり、世界そのものが変わったように、シュレディンガー、アインシュタインといった科学者たちが次のパラダイムシフトを起こし、世界のありようを変えている、という雰囲気に感動したものです。
    今を振り返るに、世界がそこまで変革したのかは分かりませんが(というかアイフォンのほうがよっぽと世界を変えているようですね)、科学の持つ可能性はすごいなということは、みんな知っておいた方がいいよなとしみじみ思います。
    長々とすみません(笑)

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    関川さんもご興味おありでしたか! 『アトランティス』をはじめとする作品から、そんな気はしていました。
    まさにパラダイムシフトですよね。長らく疑いを容れなかったニュートン物理学から離れ、相対性理論と量子力学が立て続けに出てきて、そこから素粒子やら超対称性理論やら次々新しい概念が引き出されてきて、、話についていくだけで一苦労。禅はこんなところにも侵食してくるんですね。サリンジャーの禅への接近も、その時代の空気を考えれば当然だったのかも。
    今のところ私たちに大きな変化をもたらしたのは、仰るとおりアイフォンの方が大きいかもしれませんね(^^;) とはいえ量子物理学がなければ到達できなかった分野もきっとたくさんあるはずで、科学の持つ可能性はすごい! と畏敬の念をもつことは間違っていないと思いますね。
    話は変わりますが、素敵なレビューを寄せていただいて、ありがとうございました!
    互いに毛色の異なるさまざまな本から、いろんな感想を引き出していただけましたら幸いです。

  • シュレーディンガー!物理学界隈では異形の存在だったハイゼンベルクの行列力学を、なじみ深い微分方程式で書き換え、しかも両者が等価だと証明してみせたという、
    どんだけ懐の深い人だと思いますが、生命についても考察していたんですね
    シュレーディンガー方程式が1926年、ワトソンとクリックがDNAの構造を解明したのが1953年だから、分子よりずっと小さな素粒子の振る舞いのほうが古くから知られてたって、考えたらなんだか不思議な気も✨
    生命現象は体内で低下させたエントロピーを外部に排出してるわけで、熱力学第2法則は何も破られてはいない、にも関わらずそうとは思えない、
    なにものかの意図とか、未知&別の物理法則が関与しているのでは?と感じるのも、人間ならではなのかもしれないですね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    シュレーディンガーと並んでハイゼンベルクが解いていたとは聞きますが、物理学的には異形の存在だったんですね。一方のシュレーディンガーも「方程式」後は担い手から離脱するし、草創期の量子論は一筋縄ではいかなかったようで。。
    たしかに素粒子よりDNAの解明の方が遅いとは、不思議ですね。
    なるほど、シュレーディンガーは負エントロピーを取り込む、と表現しましたが、エントロピーを体外に排出する、の方がイメージしやすいです。未知の法則の存在を探求するのが人間の(特に研究肌の人の)性なのかもしれませんね。

  • 21 『万葉集』への応援コメント

    万葉集といえば、防人の歌を思い出します。中学生の頃だったでしょうか、教科書で読んだのは。文学より歴史に興味があった私は、「民のために国があるんじゃない、国のために民がいるんだ…」と愕然としたのを覚えています。詠めない民に代わって代読された歌たちなのでしょうか。だとしたら、実直な風である方がその哀しみが伝わりそうです。読まねば、なりませんね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    防人の歌、教科書にも出てきていましたね。彼らの気持ちになって詠んだ歌もあるでしょうし、本当に彼らが歌ったのを採録しているのもあるんじゃないかと思います。
    国のために民がある。共同体ができて年月が過ぎると、そのような形になるのかもしれません。現代も専制国家はそうですし、民主国家でも実は、、、みたいなことはありますよね。

  • 大学時代に読んで、ノスタルジーっていうのはこういう文章のことを言うんだろうな、と思いましたが、今では多分邦訳のせいではないかと思っています。英文日本語訳って不思議な郷愁を感じます。
    ホールデンみたいに、自分が何者にもなれない、なりたくない思春期の感覚、反抗心というのでしょうか。中々言語化しにくい感覚ではあります。
    サリンジャーは『ライ麦畑』しか読んだことがないのですが、他にもホールデンの家族が出てくるシリーズがあるんですね。あまり『ライ麦畑』が代表作ってわけでもないらしいので、何か他のものも読んでみようかな、と思っております。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    ノスタルジーを感じられたんですね。翻訳文はなんだか癖がありますが、それを郷愁という感覚で捉えられるのが、新鮮に思いました。英文っぽさのなかにその原因を探るとおもしろいかもしれませんね。
    思春期のあの焦燥感、傷つきやすい自尊心、、言語化するのは本当に難しいですよね。だからこそ『ライ麦畑』になにかを感じるのだと思います。
    『ライ麦畑』以前の作品の中に、ホールデンの家族が出てくるものがあって、短い作ばかりですが、ナイーブなサリンジャーらしさが出ていて好きです。
    ☆もいただきまして、ありがとうございました!


  • 編集済

    25 『中国名詩選』への応援コメント

    覗いてみたら、久里 琳さまの濫読ぶりにびっくりしました。
    久里 琳さまは漢詩もお好きなんですね。
    時々はっとするようなフレーズに出会えるから漢詩は奥が深いですね……
    名詩選に入っているのか分かりませんが、私は杜朴「江南春望」と蘇軾「春夜」が大好きです。ベタですけど……

    作者からの返信

    こちらにもお越しくださり、ありがとうございます!
    興味を感じたものに手を出しているうち気がつけばたくさんになっていました。漢詩とも緩く長い付き合いです。そうなんです、不意打ちではっとするフレーズに出会えるんですよね。
    「江南春望」「春夜」ともに入っていました! 蘇軾は私も好きです。

  • 26 ワイルド『サロメ』への応援コメント

    ワイルドのサロメといえば、ビアズリーの挿絵がセットですね。
    けれどよくよく見れば、男とその運命を狂わす美少女なのは死に顔だけで、それ以外の生前は、マクベスの魔女的な?むしろおぞましい顔貌でしたが、
    今にして思えばわざと、そうすることでサロメの魔性を際立たせていたのか、萌え絵のサロメがヨカナーンの生首を掴んでても、なんか興ざめですしね。。
    7つのヴェールの踊りが古今東西不朽の名場面とあって、数々の芸術の題材になったサロメ、星野之宣氏も『妖女伝説』の中で描いていて、サロメ自身はどっちかというと狂言回し的な役どころですが、ナザレのイエスと預言者ヨハネの関係について独特な解釈を示していて印象的でした。
    肝心のワイルドの戯曲は、若い頃に読んだときは、ふぅん、、って感じで特に強い印象もなかったですが、自分で文章を書くようになったからか、引用されている原文はたしかに絶妙に秀逸ですね、また手に入れて読んでみようかな。
    いつもステキな作品との出会いをありがとうございます!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    私の文庫本にも、ビアズリーの挿絵が入っています。むしろおぞましい顔貌、、、まったく同感です(^^;) 少女というより老魔女のような。でも、萌え絵のサロメじゃ興ざめ、、たしかに!
    星野之宣のマンガにもあるのですか、、どんな風に描かれるのか、楽しみにして古本屋めぐりをしてみます。イエスとヨハネの関係も興味深いです。
    私の読んだのは福田恆存訳ですので、特に文章が古くて、いい味出しているんですよね。また手にとられるきっかけになりましたら光栄です!

  • 20 森鴎外『阿部一族』への応援コメント

    宮本武蔵、出てきますよね!『阿部一族』は鴎外の作品で初めて面白い!と思えた作品です。高校時代、「漱石が好きで鴎外が嫌いなら、好きな作品が見つかるまで鴎外を読んだらいい」と言われまして。
    森鴎外、久々に読みたくなりました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    宮本武蔵が熊本宮仕えしていた時期と重なるんですよね。
    好きな作品が見つかるまで読んだらいい、、これは「好きになるまで出られないゲーム」に捕まってしまった感が!
    でも『阿部一族』はたしかに面白いですね!

  • 26 ワイルド『サロメ』への応援コメント

    サロメって聞くと、必ずそばに皿に載せられたヨハネの頭。
    それを微笑んで見たり、妖艶に踊る姿がイメージされます。
    怖い怖い。
    聖書ではサラッと書かれていますが、戯曲はエロスと狂気の世界なんですね。
    読んでみたいなって思いました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    やはりご存知でしたね。皿に載せられた頭と、それを見て微笑む美女。ホラーですよね。
    クラナッハの絵は妙に色っぽいですし、そんなのに触発されて、ワイルドの戯曲が成立したのかもしれません。読まれる価値はあると思います。

  • 26 ワイルド『サロメ』への応援コメント

    純粋に狂気の物語って、妙に人を惹きつけますよね。これは昔から変わらないんだな、と思うと同時に、こうして物語として表現されることで人々に狂気の種をせっせと撒いてきたのかも、なんて思いました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    狂気の物語は人を惹きつける、、不思議ですけど、分かる気もしますね。狂気そのものとはちょっと距離を置きたいですが。
    そんな狂気の種をせっせと撒いて、、たしかに、物語のおかげで身近で抵抗感が減ったかもしれません。


  • 編集済

    19 『柳宗悦民藝紀行』への応援コメント

    『人間の建設』のなかで、岡潔と酒好きの小林秀雄が、「地酒の個性」について話しているのですが。

    ―― 例えば陶器であれば、土の特性に順したがい、地の利・制約に逆らわず製作する。そうして土地々々で異なるものが出来上がるところに、地方の民窯の魅力がある。
    ところが当時急速に進められていた産業の近代化・工業化によりその良さが失われていく ――

    まさにこのことを、酒についてのこのことを、あの二人は話していましたね!

    『美』は重要テーマなので、学ばねばなりませんね!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    あの個性的な二人の対談はおもしろいですね。ふだんは晦渋な表現をする小林秀雄がめずらしく簡明な言葉で語って、岡潔の考えに触発されてぽろっと出てくる言葉が聞けるのも興味深いです。
    「真・善・美」はやはり永遠のテーマで、なかでも「美」は感性を鋭く豊かに働かせる重要テーマだと思います。

  • 25 『中国名詩選』への応援コメント

    久里 琳さま

    こんにちは。
    他の作品で久里 琳さまのご自作の漢詩を読ませていただき、漢詩へのハードルが少し下がってきているところですが、やはり日本語の文章よりじっくり向き合う必要を感じ、なかなかとっつけずにいます。

    それでも、こうやってご紹介いただけると、やはりいいなあという気持ちが強まってきますね。『中国名詩選』は手に入れようと心に決めたのでした。

    いつも興味深い作品のご紹介をありがとうございます。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    漢詩へのハードルが下がってらっしゃるとのこと、うれしいです。
    しかも、『中国名詩選』の入手を決められたのですね! しめしめ、です(^^) ・・・いえ、そうじゃなくって、そういう気持ちになっていただけることが本当にうれしいです。
    理知的な佐藤さんのことですから、手にとっていただいたら、苦もなく入り込まれるんじゃないかなと思います。

  • 娘に「キャッチャー イン ザ ライ」はママには難しすぎるからやめろと言われ、あらすじしか知りませんでした。主人公何なの?クズじゃんと思ってました。そしてさらにまさか妹が10歳とは…想像してませんでした。一番大きな勘違いは、崖から落ちそうな子供を捕まえて止めるのではなく、既に落ちた子どもを崖下で受け止める、携帯ゲームみたいなのを想像してました。久里 琳さんの解説でやっと理解出来ました。ありがとうございます。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    ホールデンはたしかにある意味イライラさせられる存在で、その思考も言動も、自分から破滅へ向かって行っているようにも思えます。その痛々しさは、ときに見ていられないと思ったり、でも目をそらせなかったり。
    「キャッチ」はどうしても、落ちてくるのを受け止める姿を連想しますよね(^^)
    「難しすぎる」は、読んで合う・合わないが両極端ということかも、と思いました。合う方には、感情が波立って、その波に心を洗われる読書体験になりますので、試される価値はあるかなと思います。

  • 僕も小学生の頃、星新一に出会いました!今でも忘れません、『午後の恐竜』。ご多分に漏れず恐竜好きだった僕は、その表紙に描かれた恐竜たちに興味を持ち、その文庫本を手に取ったんです。ところがそのお話たるや。確かに恐竜は出てくるんだけど何かが違う。朗らかと言っていい雰囲気で物語は進むのに、底しれぬ恐ろしさを感じたものです。
    いわれてみますと、星新一は藤子不二雄Fに通ずるものがある気がします。たとえセリフがなくても、絵だけで解ってしまう天才的な構図。そして最後の落ち。既に結末を知っていても、繰り返し読みたくなってしまう心地良さを両者に感じてしまうんですよね。
    久しぶりに同窓会に顔を出したくなりました!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    『午後の恐竜』、これも印象的なお話でしたね。この先に何が待っているんだろうという不吉な予感をはらむファンタジーで。
    言われてみれば、藤子不二雄Fに通ずる、たしかに!と思いました。マンガにおけるショートショート、と言えるあの落ち。天才的な構図というのも、まさに!ですね。子供の頃、繰り返し読みました。
    久しぶりの同窓会、カクヨムの中だけでも、たくさんのメンバーが揃いそうです(^^)

  • 25 『中国名詩選』への応援コメント

    このジャンルはハードルが高いです、個人的にもう少し素養とか下地があればな、と思わずにいられません。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    たしかに、ハードルは高いんですよね・・・。岩波版は、原文のすぐ後に読み下し文と訳文と難解語の解説が併記されているので、そちらだけ読むのでも大丈夫ですよ。

  • こちらも未読でした。
    文章についての考察、いろいろな気付きになりました。
    サリンジャーとの比較も出てきて、読んでみないとな、と思いました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    吉本ばななは読まれる価値があると思います。平易な文章なんですけど言葉が光っている感じがします。サリンジャーとはまた違った読み心地です。

  • 25 『中国名詩選』への応援コメント

    私も漢詩、その他の時代の中国詩が好きです。
    前に、「王の愛した書」というタイトルで「蘭亭序」について書いたことがありました。個人的には一番好きなエッセイなのですが、ほぼ見向きはされませんでした。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    漢詩・中国詩好きとお聞きして、うれしいです。
    「蘭亭序」! 王義之ですね。伝説級の書であっても、なかなか興味をもってもらえませんか・・・。カクヨムのなかで、漢詩が市民権を得られることを願っています。

  • 「キッチン」の中に、「引っ越しはパワーだ」と書かれた一行があり、また「うたかた」は「嵐とは1回キスをしただけだ」で始まっていて、ショックを受けました。こういう書き方でいいんだ! こういうベイシックな書き方でいいのだと興奮したのを覚えています。その後の作品には、初期にあったあのパリパリした魅力が失せたように感じますが、詳しく読むんでいないので、わかりません。

    作者からの返信

    お越しいただき、ありがとうございます!
    こういうベイシックな書き方でいいのだ! 初めて彼女の文章に触れたときのショックと興奮、そうですよね。思いを共有する方がいると知れて、うれしいです。
    そして、初期の作品の方により魅力を感じられるのも、同感です。その後のすこし丸みを帯びた作品も私は好きですが、やっぱり初期の文章ほど強く惹かれます。
    ☆もいただいて、ありがとうございました!

  • 「カイジ」のスピンオフ作品「ハンチョウ」によれば、
    ”世の男は2種類に分けられる、『綿の国星』の良さがわかる者と、わからない者”
    その分類ではわたしは後者なのか、大学生時代に読んだ遠い記憶では、たしかにチビは愛らしいと思ったものの、後に残る強い印象はなく。
    けど年を取ると同じ本も物語の見え方が変わってくる気がして、若い頃とは別の登場人物に肩入れするようになったりする現象ですが。
    吉本ばなな氏、特に敬遠というわけではなくこれまで接しなかった作家さんですが、年取ってセンチメント偏差値が上がったか逆に下がったか、確認するためにも折を見て手にとってみようかなと思いました。☺

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    『綿の国星』の良さがわかる者と、わからない者! しかも男限定なんですね(^^) いや、たしかに男はこの二分法でいいのかも。さすが「カイジ」、こんな分野でも名言を残すとは。
    印象の違いは、読むときの状態によっての見え方の違いであるのかもしれません。今ならまたちがった感想があるかもしれませんので、ぜひお試しいただきたいですね(^^) ついでに吉本ばななも手に取っていただいたら、センチメント偏差値(!)がどうなっているかの試金石にもなりそうです。

  • こんにちは。
    書店に勤めていた当時、吉本ばなな旋風が巻き起こったのを覚えています。
    実は私も、親の七光だから、すぐに作家デビュー出来るんだと先入観ありでした。
    久里様の紹介コラムから、読むべき作家、本だと再認識しました。


    作者からの返信

    ありがとうございます!
    あの時の旋風の、まさに現場にいらっしゃったんですね。親の七光って思っちゃいますよね(^^;)
    でも読んでみると、実際それほどの作品なんだと納得しました。星都さんにもぜひ手に取っていただきたいです。

  • 大好きな作家さんです!
    おっしゃる通り、本当に「これしかない」と思える言葉をサラッと選ばれる方ですよね。サラッと選んでいるように見えるというか。
    淡々と書かれている分、行間から読み取れる情報が多いというか。
    平易な言葉でこれだけの機微を伝えられるものなんだと、何度読んでも嘆息します。目指したい文章のひとつです。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    陽澄さんも大好きでいらっしゃるんですね。何度読んでも嘆息、そうですよね。
    「これしかない」という言葉を、サラッと選んでいるのか、熟慮しても感じさせないのか。本当に、淡々と、平易な言葉なのにそこから多彩な感情が湧きあがってくるのがすごいです。
    こんな文章が書けるようになりたいですね。

  • 21 『万葉集』への応援コメント

    今だにうたい継がれてるのが、美文の証拠ですね。当時の文化まで伝えるのがまたすごいです。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    やっぱり美しい歌はずっとうたい継がれるんですよね。当時の文化も感じとっていただけましたでしょうか。

  • 上から蓋をするようなカトリックの絶対的な価値観を考えると、真と言われていることを疑って個人へ戻って考え直すみたいな考え方は教会にはネガティブに捉えられますね。デカルトもそのへんを考慮しているのでしょうか。現代のフランス人の理屈っぽさ(いい意味で)の基礎になっているところはあるかもしれませんが、同時に世の中で半知性の流れが大きくなっているのも現実で。分解したあとに組み立て直すことの方が難しいのかもしれませんね。。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    聖書に書かれていることは真実なのだから疑うなど以てのほか!なんでしょうね。そこからすると、デカルトはかなり踏み込んでいるのかもしれませんが、、、仰るとおり、教会に配慮して抑制されている部分はあるらしいです。
    フランス人の理屈っぽさ! いくつか実例を思い浮かべて、本当に・・・!と思ってしまいました(^^)
    一方の反知性主義は、気持ちはわからなくもないですが、事実や論理を頭から否定してかかるのは危ういなあ、と危惧しています・・・。


  • 編集済

    私だけではないと思いますが、哲学書って実にとっつきにくい、
    まず言葉が難しくて何言ってんのかよくわからない、ってのもありますが、それを乗り越えても、
    認識とは?慣習とは?実例とは?それぞれ何であるか??みたいな実に迂遠な禅問答に釣り込まれて、
    こっちは別にアナタのひとりごとを聞きたいんじゃない、執筆のネタ集めがしたいだけなんだけどなぁ、、!となるのですが。
    『方法序説』は読んだことがないので評価はできませんが、久里さまの文章を読んで、
    あぁ彼ら=哲学者は前提として必要だから禅問答を積み重ねたんかなぁ、と朧げながら得心するものがありました。
    かの名言、Do'n think feel. もそう思われているような短絡的メッセージではなかったらしいですしね☺

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    哲学書って本当に、とっつきにくいし、「なに言ってんだ? そこ拘るとこ?? もっと素直に考えたらよくない???」と言いたくなることが多々ありますね。読みながらよく文句つけています。
    でもそんなひねくれた、やたら定説・常識を懐疑し、なんじゃそりゃって抽象的きわまりない思考を掘り下げていった先に突然ぱっと感得・共感できる地平が広がったりもするのが哲学のおもしろさのような気がします。それが、「前提として必要だから」ということなのかなあ、と。
    Do'n think feel. のほんとうの意味、調べてみます(^^)


  • 編集済

    >第一は、明証的に真であると認めることなしには、いかなる事をも真であるとして受けとらぬこと、すなわち、よく注意して速断と偏見を避けること・・・

    とても興味深いです。
    近現代の知性は、こうしたデカルト的な認識や価値観の上に成り立っているのだと思いますが、いまネット上やSNSで拡散する言説にはなんの批判も経ていない非デカルト的なものもあり、むしろそうしたものの方こそ嬉々として拡散されているように感じます。

    このことは現代人はデカルト的な知性を求めていないことを証明しているのでしょうか。それとも、これまで可視化されてこなかった非デカルト的な人たちの意見がSNSという道具を得て、わたしたちの目に見えるようになったのでしょうか。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    言われてみれば、せっかくのデカルトの原則も、現代人の日々の思考にはあんまり根付いていないような気がしますね。それほどに、耳に心地よい言説に安易に流されてしまうのが人間の自然なのかもしれません。頑固な油汚れみたいに、簡単には洗い流せないような。
    現代人はデカルト的知性を求めていないのか?・・・重い問いですね。おそらく求められてはいて、特に「自然のままの人間はデカルト的知性を具えていない」と自覚している人ほどそうなのではないでしょうか。でもそれを発信するのはたいてい学者や政治・経済の上層に位置する少数の人たちで、仰るとおり、SNSを通じて誰でも発進できるようになったために、多数派の声が大きく聞こえるようになったのかな、、と思いました。

  • 代表作の『ローマ人の物語』は、ハンニバル戦記しか読んだことがないんですが、
    『海の都の物語』、ヴェネツィアの起源から滅亡までは、語り口に引っ張られて夢中で読み進めるうち、あっという間に文庫版6冊読み切っちゃった記憶があります。
    塩野氏のように、ひとつの文明を始まりから終わりまで見届けるスタイルではありませんが、中野京子氏も、美術作品を切り口に、ソフィア皇女、カルロス2世、そしてジェーン・グレイといった歴史の暗黒面にスポットライトを当てる手腕がしびれるなぁと、
    そしてお二人に共通して、とにかく情報収集能力が半端ない、性別でカテゴライズするのもアレですが、女性ならではの追求心みたいなものを感じるのですよね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    『海の都の物語』を読まれたんですね。特定の誰か、ではなく、ヴェネツィアそのものを主人公として、政体や諜報活動や外交戦略や、、とても唸らされる、刺激的な本でした。
    中野京子はごく一部しか読んでいませんが、浩瀚な知識から繰り広げられる分析には目を瞠るものがありますね。絵画解読だと、ひと昔前の若桑みどりも鋭い分析をされていました。女性ならではの追求心、たしかにあるような気がします。


  • 編集済

    塩野七生『ローマ人の物語』
    二十代、結婚前に買って読みました。
    正直、興味があるところの流し読みでしたが、聖書の記述にあるローマ帝国と、
    『ローマ人の物語』にあるローマと比較したりしてました。
    カエサルは悪人のイメージが強かったんですが、違う一面を見た遠い遠い記憶が甦りました。時間があれば読み返したいなと思います。

    追記。
    私「どんなに思い出しても、タイトルに「ローマ」が入っていたことしか思い出せないのです。私は何巻を読んだのでしょうか? あの黄色い表紙……」
    久里様「知らんがな…」
    私「モヤモヤして眠れなかったんです」


    作者からの返信

    ありがとうございます!
    『ローマ人』、読まれていたのですね。見る角度を変えれば評価は変わるものなので、聖書のなかのローマと、塩野七生の描くローマとの間には大きなギャップがありますね。
    カエサルも、毀誉褒貶に激しくさらされた人物で、ひと昔前は、ネガティブに評価されることが多かったようです。違う角度からものごとを眺めてみる、という経験をするにはうってつけの人物かもしれませんね。

  • わーー!『ローマ人の物語』、高校時代に熱心に読んでいました!『チェーザレ・ボルジア』や『コンスタンティノープルの陥落』も!
    しかし残念ながら当時の私はまだ幼く、世の中の動きや思想についての理解が浅かったため、あまり深く読み取れていなかったように思います。
    今ならば、以前よりもたくさんのことを感じ取れそう。いつか読み返したいですね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    『ローマ人』、それに『チェーザレ』『コンスタンティノープル』まで読まれていましたか! 高校生のときから、良質な読書体験をされていますね。
    たしかに経験や思考の成熟度によって受け取り方は変わってくるかもしれませんが、その頃の読みが浅いということはなかったんじゃないかなと推測します。それはそれとして、また読み返される価値ある本だと思いますね。

  • 生物に「価値的」高等下等を当てて分類することの滑稽さを感じつつ、「物語的」要素を付加して分類したくなる欲求も分からなくはない、というのが僕の感想です。
    『自然科学の正論を、社会科学に適用すること』が危険であるのではなく、社会科学と題した一定の「物語」の補強材料に、自然科学を用いることが危険なのだろうと思います。
    そもそも、自然科学とは従来の「物語」を打ち壊す力を有するものです。それにより尊厳が壊れたなら、その尊厳の組み立て方に問題があったはず。動物であっても屠殺が当然に許されるはずはなく、その「尊厳」とやらを前提とした三角貿易、あんなものは許されるはずがないと思うのです。
    もっとも、ポルトマンがナチスへの批判として論を組み立てたこと自体は評価に値すると思うのですが、しかし、自然科学としての純粋さを維持できていたのかという疑問は残ってしまいます。(自然科学と人文科学との差異は、この点にあるように感じます。)

    でも。僕自身がポルトマンと似たような思考を構築しがちな人間なので、警戒しつつもこのような論は大好きです。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    おそらくポルトマンも自分では生物構造としての高低を述べているつもりなのかもしれません。ところがそこには価値としての高低意識がにじみ出ているように読めてしまって、その奥底にはキリスト教的世界認識が横たわっているような気がします。あるいは、宗教関係なく、自身を高いヒエラルキーに置きたい動物の本性なのかも、、と思うと、大科学者でさえ逃れられない宿病に暗澹となりますね。。
    蓮實重彦は文学の中に「物語」を持ち込む悪癖を鋭く指摘しましたが、自然科学までが物語と混じり合うほどに、物語の誘引力は強大なんですよね。
    その危険性を再認識する意味でも、興味深い一冊だと思います。

  • なんとっ!これ絶対面白いやつですね?
    『マトリックス』が好きで、漫画『攻殻機動隊』には辿り着いたのですが(←無茶苦茶情報量の多い漫画ですね〜まだ2巻目の途中をうろうろしてますっ)、更なる源流域があったのですね!これは楽しみです!
    日本復興の鍵は、ひょっとするとサイバーパンクにあるとか?モノづくりと、タブー無き漫画文化が融合したなら…ワクワクします!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    『マトリックス』から『攻殻機動隊』に、、さすがの嗅覚ですね。無茶苦茶情報量の多い漫画! まったくその通りですよね(^^;) 視力が衰えてくると、けっこう辛いです。
    この2つを楽しまれる方なら、『ニューロマンサー』もだんぜんオススメですよ。この小説の影響をかなり受けていると思います。
    サイバーパンクで日本復興! いいですね。圧倒的な構想力と、幻視の素質と、それを表現する画力と、、そんな作家が出てくれば、日本の未来は明るいかも!

  • 僕が小林秀雄に惹かれたのは岡潔との対談集『人間の建設』でした。この二人のオジサン、一体なに話してんだ?何言ってんだか全然解んないぞ?と眉をひそめつつも、指はページをめくってしまう。妙に惹かれるのです。そうなんですね、二人とも直感こそを重視している。解釈は後付に過ぎず本質ではない、と切り捨てているように見受けられます。
    僕が今まさに直面している生命観測生成問題(仮)は、ひょっとしたらこのお二人の言葉にヒントがあるんでは!と昨日の夕方突然閃き(直感?)、ブックオフに駆け込み小林秀雄の書籍数冊を買い込んできました。早速『モオツァルト・無常という事』をめくりましたが、音楽的素養が皆無の僕には『モオツァルト』の攻略は時期尚早、『無常という事』から訪う事に。非常に短い作品ながら、難しいっ!!…解釈するな?言語化される前の感覚を受け止めよ?
    …難しいですっ(でも、仮にそうだとするなら、観測による相変移に関わってくる。再考が必要だな…などと、夜中に悶々としてしまい、寝不足ですっ)

    久里琳様のお導きで、脳が漸く活動し始めたようです!ありがとうございますっ!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    小林秀雄と岡潔、ともに論理の権化のような先入観をもってしまいますが、じつは直感を重視していると見えますよね。
    生命観測生成問題、盛り上がっていますね。小林秀雄がヒントになるなら、ご紹介した甲斐がありました(^^)
    音楽的素養は私の方がもっと乏しいですが、、大丈夫です。『モオツァルト』の方にもぜひお目通しくださいませ。
    『無常という事』は、読んでいる最中はなにかが分かったような気になるのですが、ページを閉じたら、開眼した気がする、という記憶だけになるんですよね。死人の相、動物の相、、たぶん悶々とすることが、道を切り拓くための道なんでしょうね。


  • 編集済

    『金閣寺』を読んできました。昔読もうと試みたものの、その文章のどこまでもどこまでも執拗に内へ籠もっていくような難解さに挫折したものです。しかし、今回改めて読んでみると、いやかなり難解ではあるのですが、見事なまでの形式美が貫かれていることに気が付きました。
    おっしゃるとおり、女性に対する忌避。これは三島の『絶対美』に対し、美を象徴しそうな女性が、生命であるため衰退を免れない『不完全性の象徴』に陥らざるを得ないことからの帰結であろうか、と久里琳様のご講義から思い至りました。
    三島由紀夫には『絶対美』がある、故に『ねばならぬ』という構図が必然的に浮かび上がってくる。『絶対美』たる金閣を前に、主人公溝口は自己を肯定するためには金閣を焼かねばならぬ。溝口の絶対美たる金閣が失われた以上、絶対美に近づくための唯一の手段、死ぬことは回避されることとなり、故に、溝口は生きねばならぬことになった。ここは見事な形式美であって、クライマックスのカタルシスを打ち捨ててでも、三島由紀夫が堅持した美の哲学なのかなあ、なんて思いました。
    ただ、どうしてもわからないことがあります。金閣は『絶対美』の象徴たり得ても、物体である以上は、そのものは『絶対美』たり得ない。金閣を絶対美とするためにこそ金閣は焼かれるべきであって、そうであるならば、溝口は金閣とともに焼失することで美に合一できたのではないか。物語的にもカタルシスに至ることができたはずで、きれいに纏まります。ラストを読み返すと、三島はその構想も持っていたのではないか?とうがった考えが横切ります。しかし、それは採用されなかった。ここは僕にとっての謎なのです。
    三島は、不完全であっても生きるべき、という泥臭い考え方は持っていない。自らを収斂させ、精神的肉体的に絶頂と自ら認めたときに、美の絶対性に自らを合一させた。その意味で、溝口は三島の分身であると同時に、生の不完全性に堕ちた側の三島の影、ということになるのでしょうか。
    読み解くにはまだまだ修行が足りません!
    ご講義、ありがとうございました!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    わざわざ『金閣寺』をお読みいただいたのですね。執拗に内へ籠もっていくような、、いやもうたしかに! 三島のとっつきにくさはここにありますね。
    金閣のなかに絶対美を見る。美は永遠であり、永遠とは滅んでこそ得られるもの、、では目のまえにある金閣はなんなのか? そして生きている人間は、ついに美と合一するわけにはいかないのか??
    それとも絶対美が失われた以上、自らは滅びる必要がもはやないのか? ・・・興味深い問いですね。
    おそらく三島のなかでは、溝口が死なない結末が最初から浮かんでいたと思います。モデルは死ななかったので、そこはモデルをなぞっただろうと。三島の望む方向には筆を進められないからこそ、あれだけの人物を描き出せたのだと思うと、制約は傑作を生むためのスパイスのような気もしますね。

  • 21 『万葉集』への応援コメント

    山上憶良の貧窮問答歌が好きなハナスです、こんばんは。
    万葉集、国語でたくさん習いました。その頃はちんぷんかんでしたが、
    深く学びたいって久里様の紹介で思いました。ありがとうございます♪

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    貧窮問答歌、いいですよね。内容も心に響きますし、歌としてのリズムもやっぱりいいんですよね。山上憶良は地方長官ぐらいのはずですが、そんな偉い人がこんな目と心をもっていたというのにも感じ入ります。
    星都さんがまた万葉集に触れてみるきっかけになりましたら、このうえない喜びです。

  • 21 『万葉集』への応援コメント

    万葉集、必ず習うのに、実は読んだことないです……!
    『防人の歌』などは、中学の歴史の教科書にも一節が載っていたりしますね。最近、子供のテスト範囲でした。

    >ねえねえきみ名前教えてよ、ぼく偉いんだよ、いっそぼくから名告っちゃう
    笑いました。そんなプレイボーイが!

    柿本人麻呂と山上憶良の歌の韻の踏み方、カッコいいですね。口に出して読みたい。
    字余りの時の音の縮め方も興味深いです。
    当て字は今のキラキラネームにも通じるものがありそうですね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    なかなか読む機会はないですよね。でもそのなかの歌は教科書に載ってたりして、意外と知っているものもあったりします。
    プレイボーイっぷり、お楽しみいただけましたら幸いです(^^)
    口に出して読みたい、まさにそんな歌ですよね。ふたりの歌は、特にそう思います。
    古代では字足らずより、字余りを避けていたような気がします。それだけに、音を縮める工夫が進んだのかも、と。キラキラネームの自由な当て字/読みは、万葉の頃からの日本人の伝統なのかもしれませんね(^^)

  • 19 『柳宗悦民藝紀行』への応援コメント

    久里 琳さま

    こんにちは。

    柳宗悦の言葉に初めて触れました。

    > 『伝統は既に個人を越えた一般のものであります。その非個人性こそは、貧しい個性より持ち合せない衆生のために、どんなに有難い依り所でありましょう』

    もう、この最初の引用からして、なにか胸のうちでうずうずするものを感じました。目からうろこが落ちるような、きっぱりとした何かに目覚めたわけではないけれど、決して自分ひとりでは気づけなかった視座に光を当てられた気持ちです。新たな出会いをいただき、ありがとうございます。

    ところで、日田・小鹿田は「おんだ」ではなく「おんた」と濁らなかったかと思います。些末な話で失礼ですが、元県民としてはついつい気になってしまい (^^;)

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    個性や独創性を大事と考えるのが王道だとは思いますが、型に忠実な没個性を評価する視点も、考えを豊かにするように思います。まさに、新たな視座に光を当てる作業ですね。
    文章も、個性を磨くより先に、先人たちの名文に近づく努力をすることで得られるものがあるのかも、、と思いました。

    小鹿田の読みのご指摘、ありがとうございます。ずっと誤読していました;。このあと修正します。
    見苦しい言い訳をしますと、この本(岩〇文庫)でははっきり「おんだ」とルビを振っているのです。編集者のミスなのか、もしかしたら柳宗悦自身が誤って書いたのかもしれません・・・。

  • 20 森鴎外『阿部一族』への応援コメント

    子どもの頃に読んだ『最後の一句』が確か父親の助命のために子ども全員で代わりに自分達を処刑してくれと願い出る話だったと思うんですが、現在との価値観の違いに当時は共感もへったくれもない、という感じでした……。
    九里琳様が森鴎外の武士の精神に対する共感と反骨精神について書かれているのを読み、なるほどなあ、と感じている所です。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    昔の本や、外国の小説を読んだときに、価値観のちがいがあると入り込めないことってありますね。
    親を助けるために子が命を投げ出すというお話は、特に中国古典に頻出して「逆だろう(親が子のために犠牲になる、が人情じゃないの)」と思いますが、、儒教の教えとして森鴎外にも流れ込んでいたのかもしれませんね。

  • 20 森鴎外『阿部一族』への応援コメント

    「高瀬舟」が高校の教科書に載っていて、森鴎外にはそのイメージしかないのですが、「安倍一族」、おもしろそうだなと読ませていただきました。

    江戸時代を小説の舞台に据えると、そこになにが描かれていても「時代小説」や「歴史小説」にジャンル分けされそうな現代では、相当の歴史好きでもない限り、殉死は不可解な風習だとしか思えないんだろうな、とも思いました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    『高瀬舟』、載っていましたね。これは最晩年の作で、鴎外の到達点としてやはり読む価値が高いと思います。『阿部一族』は、そこへ達するための重要な分岐点だというのが重要な一冊ですし、純粋に読み物としても文句なしに面白いです。
    殉死は理解しがたいですよね。まあ江戸時代でも、この物語の舞台となった年代の二十年後ぐらいに殉死は禁止されているので、江戸時代後期には「不可解な風習」になっていたんだろうと思います・・・。

  • 20 森鴎外『阿部一族』への応援コメント

    森鴎外といえば『舞姫』しか読んだことがないハナスです。こんにちは。
    『阿部一族』タイトルからしてかっこいいですが、文体も風格がありますね。
    興味がわきました。教えてくださりありがとうございますm(__)m

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    『舞姫』は初期の作品ですが、やはり美しい文章にロマンチックな物語ですよね。『阿部一族』はちょっと堅く重たい物語ですが、、仰るとおり、風格があるのが魅力です。機会があればお手に取っていただければと思います。


  • 編集済

    20 森鴎外『阿部一族』への応援コメント

    森鴎外氏、
    「ファウスト」や「即興詩人」を読んだはずなんですが、正直あまり印象に残っておらず、、ちょっと距離を感じる文豪さんでした。
    けれど「阿部一族」の出だし数行はしびれるほどカッコよく、これは読んでみようかなと思いました。
    いつも素敵な作品との出会いを、感謝です✨

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    ちょっと距離を感じる文豪さん(^^) ぴったりの表現ですね。近づきたかったら君たちから歩み寄ってきなさい、って言われているような気がするんですよね。
    それでも踏んばって近づいてみたら、いいことのある作家だとも思います。
    『阿部一族』はほんとにカッコいいですよ。ぜひお楽しみくださいませ!

  • 6 ホメロス『イリアス』への応援コメント

    これまた濃厚なお話でした。
    人間くさい神様(他の動物などでも)を垣間見た時の奇妙さは、人間にとってホッとするエンタメなのかも、なんて思いました。

    二つ名に繋がりそうな枕詞も、吟遊詩人の口承だからこそ説明と盛り上げをリズムよく、という話にはナルホドと頷かされました。
    喩えを使い、観客を飽きさせない工夫なども。

    ただストーリーを追うだけでなく、描写を掘り起こしながら読むと、深みが増して面白さが何倍にもなりますね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    神様の人間くささに触れてホッとする、そんなところがありますね。異質であるはずのものにも実は共通点があると思うと、親近感が生まれるのでしょうか。
    その点ギリシアの神さまは本当に人間くさくて、欧州全域がキリスト教に改宗したあとも生き残った理由かもしれませんね。
    描写を掘り起こすのも、読む愉しみ方ですよね。面白さが何倍にもなる、そんなきっかけの一つにこの小文がなっていれば光栄です。

  • 13 『論語』への応援コメント

    中島敦の『弟子』、そうです、この物語に触れてから急に孔丘先生に血肉が通い、僕のなかで魅力的に輝き出したんです。大学では東洋思想をとっていたんで、論語は必読で、しかし面白くなくて。訳解んない荘子なんかに惹かれたりしたんですが、『弟子』を読んでから論語の観方が変わったんですね。先生、結構ボヤいたり口が滑っちゃったりしている感があって。怪力乱神を語らず、なんて言いながら、土中の怪?それは墳羊だよ!なんて言っちゃったりしてて。民間施術的な巫祝の技を国家の政に昇華させたい、そんな想いが見え隠れしているように思えたりして。
    読むのは骨ですが、またちゃんと読むべきですねっ!ご教授、ありがとうございました!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    東洋思想を学ばれていたんですね。となると、釈迦に説法でした・・。「訳解んない荘子」というのが、いやもうほんとに、って思いました(^^) 名伯楽の逸話が『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』に紹介されていましたね。
    中島敦の『弟子』、いいですよね! 私も論語の観方が変わったと思います。今回のような読み方になったのも、この小説の影響が入っているはずです。
    民間施術的な、、言われてみると、楽や詩や易が大事だ、というのもそれかもしれませんね。

  • 19 『柳宗悦民藝紀行』への応援コメント

    何をもって芸術とするのか、これもまた一つの答えですよね。機能美って私も大好きです。伝統にはあまり惹かれませんが、身近なところにある美への気づきのは大事にしたいですね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    人の心への響き方も、いろいろな形があってよいと思いますね。
    機能美は本能に訴えるものがありますよね。身近な美、これを見出す目が民芸運動の根幹のような気がします。


  • 編集済

    19 『柳宗悦民藝紀行』への応援コメント

    わたしはNHKEテレの「日曜美術館」で民芸という言葉を知りました。

    民芸の思想にはとても共感しますが、美術品に備わる「美」と、民芸の持つ「美」を同列に扱うのは、筋が違うように感じます。もちろん、民芸を否定するという意味ではまったくありませんが。


    >決して独創などをそれらの人々に期待は致しません。ですが力もない人々ですから、何か便たよれるものを持たねばなりません、それには伝統が用意されております。伝統は既に個人を越えた一般のものであります。その非個人性こそは、貧しい個性より持ち合せない衆生のために、どんなに有難い依より所でありましょう。

    この言葉……わたしのことを言われているようでおどろきました。

    独創性を持たないわたしのような(自称)Web作家は、これまで先達の作家さんたちが書いてきた作品をなぞるように没個性的な小説を書いているわけで……、じゃあわたしがやってるのは創作じゃなくて民芸に似たものってこと? 

    今回もおもしろかったです。ありがとうございました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    「日曜美術館」でも取り上げられていたのですね。映像つきで説明されると、文字だけよりも格段に分かりやすいだろうと思います。
    美術館の美と民芸の美は同列で扱うものではない、というのは仰る通りだと思います。何が、なぜ、どのように違うのかを文章にしていくと、美というものへの考えが深まりそうで、興味深いですね。
    それを文章について適用するのもまたおもしろい考察になりそうですね。独創性を発揮しなければ価値がないのか、それとも伝統や流行の型に乗って心地よい文を書くのも尊いのか、、、後者もOKなら、物書き全体がけっこう民芸寄りなのかも、と考えることも可能ですし、どの一文も同じものはなく皆なにか新しいものを生み出そうと努めている以上は独創の営みなのだ、、とも言えそうです。


  • 編集済

    いきなりレベルを下げてしまって申し訳ないのですが、学生時代、古本屋で手にした恩田陸の『六番目の小夜子』に衝撃をうけたんです。男性作家だと思い込んでいた為だろうと。あくまでも私見ですが、僕は男性と女性とでは本質的な違いがあるように感じます。そもそも世界の汲み取り方が違うのではないかと。女性はスイッチや調整つまみがゴマンとあるが、男性はオン・オフの一つだけ、なんて云われたりしますけど(僕はがっちり当て嵌まりそうです…)、故に女性は生じるそばから霧散する情念までもしっかり汲み上げ刻み込み、男性はざっくり切り取りぱぱっと組み立て、まあこんなもんだろうと満足気に喜んでいる、そんな生来の性質が世界の再構築においても関わっているのではあるまいか、と思ったりします。
    『スミヤキストQの冒険』、面白そうですね!探してみます!ありがとうございました!!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    言われてみると、最初に名前で性別を誤解して取りかかって、あれっ? て思うことがありますよね。それが衝撃になる感覚、わかります!
    やはり男性と女性の違いがそうさせるのでしょうか。男性の方がざっくり単純、オン・オフ2択しかない、、、ちょっとひどい言われようですが、でも否定しきれないんですよね(^^;)
    そんな生来の性質が世界の再構築にも関わっている、、私もそう思います。
    『スミヤキスト』は、呪文堂さんならきっと存分に味わわれるんじゃないかと思います。ぜひお試しくださいませ!

  • 久里 琳さま

    こんにちは。
    小林秀雄は高校生のときに国語の読本で出会ったきり、ほぼまともに触れたことがありませんでした。食わず嫌いのまま、とにかく難しい(文章も人も)と思い込んでいました。難しいのは確かだとしても、それは一つ一つ積み上げた論理的思考を問うものではなく、その土台の上で自由に跳躍する直観ゆえだとわかりました。久里 琳さまのご解説で、二の足を踏ませていた思い込みがなくなったように感じます。とても興味深かったです。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    とにかく難しい、というのはまったくその通りですよね。文章も人も!
    自由に跳躍する直観ゆえ、、これがまた厄介なのだと思います。共感できればはまりますが、違う、と感じたらもう頭に入ってこなくなることも。
    でもそんなところもひっくるめて面白い批評を書く人だと思います。またちょっと覗いてみよう…と思っていただけるなら、望外の喜びです。

  • 13 『論語』への応援コメント

    久里 琳さま

    こんにちは。
    高校時代にひいひい言いながら読解していた漢文ですが、この歳になって改めて見てみると、意外に読めるものだなあと驚いています。そして、その味わいもじんわりと伝わってきます。
    論語の全体像や孔子のひととなりをこうやってご紹介いただくと、むくむくと興味がわいてきますね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    勉強として読むと苦痛ですけど、趣味として読むとけっこう読めたりして、不思議ですね。世を経て、読解する力もついてきたのかとも思います。
    論語は原典も面白いですし、関連本もたくさんありますので(渋沢栄一の講義とか)、おススメです。

  • 私も卒業生です。中学一年の頃読み漁りました。
    同窓会したくなるの分かります。久里様も影響を受けた作家さんなんですね。
    人間の本能や欲望を見事に書き、皮肉混じりもあってユニークです。
    S氏、N氏がカタカナなの初めて知りました。
    オチも勉強になった遠い記憶。今もショートショート執筆時、参考にしてます♪
    また、読み返したくなりました。ありがとうございますm(__)m

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    卒業生がまた一人! 同窓会が開けそうですね(^^)
    人間の本能や欲望を見事に書き、、そうなんですよね。簡潔な描写なのに、「人間って、こうだよな」と思える的確な型を描いているのがすごいです。
    あのオチは勉強になりますよね。それが今も活きてて、、やっぱり影響力は大きいですね。いま読み返されても、きっと参考になることがあるんじゃないかと思います。

  • 私も卒業生です!
    同時にショートショートはもう先生が全部書いた、とも思ってます。あの作品群を書ける作家はもう現れないし、まして超える作家はいないだろうなと。
    憧れても手が届かない、まさに巨星です。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    ここにも卒業生がお一人!
    たしかに、あらゆるパターンを書き尽くされて、もう私たちがなにを書いても二番煎じになってしまいそうですね。
    星には手が届かない、そして天で輝きつづける存在ですね。

  • 読ませていただいて、星新一作品にめちゃめちゃ興味が湧きました。お恥ずかしいのですが、私、まったく読んだことがないのです(^^;
    SFもショート・ショートも好きだったのにどうしてだろ。出会うきっかけがなかったって感じかもしれません。
    十代の頃、ショート・ショートだとアイザック・アシモフ選集の『ミニ・ミステリ100』がお気に入りで、日本の作家だと赤川次郎の『踊る男』なんかを読んでいた憶えがあります。どうしてあの頃に星新一にいかなかったのか……なんだか悔しいです。琳さんのこの解説を読む限り、読んだら絶対ハマる自信があります(笑)

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    星新一は未読でしたか。でもショートショートはアシモフと赤川次郎でお読みとは、すでに一流の作を味わわれているわけですね。
    最後に意外な結末・真相に辿りつくのは、推理小説にも近いものがありますね。トリックが偶然のいたずらで生まれたり、破られたり。
    たしかに十代の頃の方がよりストライクだったかもしれませんが、いろんな作品を読まれて目の肥えた今の千弦さんにも、十分ご満足いただけると思います。ぜひお試しくださいませ!

  • 私もかつて星新一を卒業した身です。同窓会を開きたくなる感覚、よく分かりますね。
    引用されている『殺し屋ですのよ』、すごく腑に落ちるラストで印象に残っています。
    あと、中学の英語の教科書に『おーい でてこい』の英文バージョンが載っていました。あの話もすごく星新一らしさがありますよね。私もショートショートを書く時は、あの感じを意識してます。
    こうしてコメントしていたら、久々に読みたくなってきました(*´ー`*) 実家にあったはず……!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    同窓会を開きたくなる気持ち、やはり分かっていただけましたか(^^) ぜひご実家で見つけ出してくださいませ!
    『殺し屋ですのよ』『おーい でてこい』も好きなお話です。あの発想がつぎつぎ出てくるのがすごいですよね。
    あの感じを意識されているとのこと、陽澄さんのストーリーテリングの巧さの秘密の一端を見た気がします。

  • 久里 琳さま

    こんにちは。
    本当に刺激的ですね。ご紹介いただいた文章のいくつもに、強く興味をかきたてられます。
    『示されうるものは、語られえない。』これは電子の位置と速度は同時に正確に求められないという不確定性原理を彷彿とさせて、面白いなと思いました。あまりにも短絡的ではありますが、哲学、数学、物理学と、どんな切り口で迫ろうと、向かおうとするところは同じなのかしらと予感させるものがあります。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    刺激的ですよね。たぶん理系的な方のほうが、より関心をもたれるような気がします。
    たしかに、量子物理学と通ずるものがあるような気がします。日常生活的な直観と相容れないことが、頭で理詰めに考えるとどうしても「正」であるというかのような。仰る通り、数学と物理学はもちろん哲学も、真実に向けてそれぞれ探究を研いでいっているような気がします。

  • そもそもキリスト教的世界観が前提にあるのが厄介ですね。もう遺伝子レベルの教義で、すでにフィルターがかかってますからね。進化論も地動説も、すんなりと理解できない厄介さはありますね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    遺伝子レベルの教養、、確かに! 後から得た知識で容易にひっくり返るものではないですね。キリスト教徒に限らず、科学者であってもどこかでなにかのフィルターがかかるものかも、とも思います。

  • 人間の脳の特殊性と比較するのにどうしても他の動物を単純化してしまう部分があるのかなと想像しましたが、生物学を歪めて政治利用するナチスに対する危惧と科学者としての怒りが前面に出ているのでしょうね。自尊心ではなく尊厳という言葉の選択に頷かされます。ただ自尊心をくすぐられることに弱いのも人間という動物のサガで、そこに非科学的な理屈をつけられるとまるで後ろ楯を得たかのように正当化できるという……後天的に学習する脳だからこその弱さも考えさせられました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    集団の特徴を表すために、単純化が相応しいこともありますね。そこに危惧と怒りが加わると、つい調子が強くなってしまうのもしかたないかも。
    自尊心をくすぐられることに弱いのも人間のサガ、、本当にその通りですね。後天的に学習する脳だからこその弱さ、というのも考えさせられます。
    自身も含めて、人間には、注意しなければならない痼疾が多々ありますね・・・。

  • たぶん、科学的知見を人間の営みに当てはめてなにかを引き出すべきではない、ってことなのでしょうね。
    これが生物学以外の分野だったら、たとえば電磁気学で人間の心理を説明するとか、プレートテクトニクスを応用してあるべき社会を設計するとかいったら、ウソでしょ無理があるでしょ、ってすぐ気づくのに、
    なぜか、というか人間も生物であるのは事実なんで、進化論だけは、なにか人間のあるべき道筋を示しているように錯覚してしまうという。。
    ダーウィンも不本意でしょうし、そういうんじゃない=生物学で説明しきれないところにこそ、われわれ人間が生きてる実感?意義?があるように感じるのですが。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    仰る通り、科学的知見を人間の営みに安易に当てはめるのは無理がありますよね。そして困ったことに、その無理をしてしまう誘惑に負ける人が多いんですよね・・・
    なかでも生物学の知見が、人間社会に適用しやすいので、いろんな間違い・錯覚が起こっているのでしょう。まったく、ダーウィンも毀誉褒貶のすえにこんなことになっているとは不本意でしょうね。
    自然科学の語り得ないところに、社会科学・人文科学のおもしろさ・深さがあって、さらにはそれらでさえ解きほぐせない生の人間の問題は残って、そういった部分を語るのに文学の価値があるのかもしれませんね。

  • これっ!大好きなやつです!この書に触れたお陰で、歴史というものの捉え方ががらりと変わったのを覚えてます。暗記物だった科目が、実は推理小説より面白い!と知った瞬間でした。

    そういえば。この本を読んでいた頃、『皐の民』という(こちらは軽めの小説ですが)海洋民族を扱った物語に古本屋で出会い、今まで習ってきた歴史は農耕民族の歴史でしかなく、そもそも『国』という概念が全く異なる人々が存在していた、そんなことに気付かされたものです。

    それにしましても…
    久里琳様!博識に過ぎますっ!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    呪文堂さんもお好きでしたか。本当に、歴史というものの捉え方ががらりと変わりますよね。俄然、日本史が面白くなりました。
    『皐の民』は存じませんでした。中央の歴史が農耕民族の歴史である一方、海民・山民の歴史はスルーされる、、そこに着目するとまた世界の見え方が変わると思いますね。
    博識とのご評価はうれしいですが、呪文堂さんこそどんな話題にも反応されるので、すっかり脱帽です!

  • 『さまよえる湖』!そういえばまだ読んでませんっ!僕の初海外旅行は敦煌だったんです。学生時代、ある写真家の方が主催するツアーに参加させて貰い、砂漠を目指す夜汽車のなかで玉門関、楼蘭、そしてロプ・ノールの話を聴いたのを覚えてます。帰国後井上靖の『西域物語』を読み、いつか行く!と思いつつ、チベット仏教にも強く惹かれてしまった為、バイトで貯めた貯金は天山山脈を目指す前に崑崙山脈方面に費やされてしまいました。河口慧海の『西藏旅行記』を読んだ後、ヘディンの『西藏探検記』も読むつもりだったのですがこれも未読!やばいですね!『さまよえる湖』の三部作と『西藏探検記』、俄然読みたくなりました!
    西域って、どうしてああも人を惹きつけるのでしょうね?
    今はダムだのミサイル基地だの作られているようですが、千年・二千年後には人無き砂漠にまた湖が戻っているのかもしれませんね。
    ロマンティックなお話、ありがとうございました!旅に出たいですっ!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    西域は、本当にどうしてあれほど人を惹きつけるんでしょうね。河口慧海! 彼にチベット密入国までさせるほどに。ヘディンもけっこう地方政府から痛い目に遭ったりしたようですが、、それでも強く誘われるんですよね。
    敦煌に崑崙! 砂漠を目指す夜汽車! うらやましいです。
    私もしっかり西域に惹きつけられているのですが、ウィグル人たちに平和が戻るまでは彼の地に足を踏み入れるまいとかつて心に誓ったおかげで、いまだに果たせていません・・・せめてヘディンのこの書で行った気になっています。
    ・・・旅に出たいです!!

  • ニューロマンサー、タイトルは知っているけど読んだことなかったです。面白そうですね。
    サイバーパンクものって変な日本っぽい(めちゃくちゃな日本語の看板がかかってたりする)街が出てくるイメージがあるんですが、もしかして後続の作品がニューロマンサーの世界観を真似しようとした結果だったりするのかなと思いました。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    この世界観にはまるとすごく面白いです。一度お試しになられる価値はあると思いますね。
    変な日本っぽい、、そういう映像多いですよね(^^) ここでもその片鱗が・・・。いわれてみると、ニューロマンサーの影響はあるような気がします。

  • 挫折組です。当時も話題作でしたから張り切って読んでましたが、内容がさっぱり頭に入ってこなかった覚えがあります。
    攻殻機動隊は好きですし、何ならアップルシードの頃から追っかけてましたね。欄外のメモを読むのが楽しかったり。
    それはさておき、このエッセイ読んで文体が苦手だったのかなと思いました。翻訳の加減もあるんでしょうが。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    特徴的な文体は好き嫌いがどうしても出ますよね。『ニューロマンサー』はたしかに、そういう好き嫌いがはっきり分かれる文体なんだと思います。文体が合わなければ挫折もやむなし、かと。
    士郎正宗の欄外のメモは楽しいですよね。これを書いているうち懐かしくなって久々に引っぱり出してみたのですが、細かい文字を読もうとすると視力の低下が如実にわかって、愕然としました(^^;)


  • 編集済

    9 谷崎潤一郎『春琴抄』への応援コメント

    本作を読むのが楽しみで、久しぶりに『春琴抄』を読み直してきました。以前読んだときは句読点が無くて四苦八苦したように思うのですが、いやいや、一文一文のリズム感が完璧で成程点や丸は寧ろ邪魔、この文は春琴そのもののように気高いものなんだ、と漸く気付きました。

    僕もサディズム、マゾヒズムには非常に興味があるのですが、世にいう『加虐性』『被虐性』という解釈をそのまま受け入れることに若干の疑問があったりします。加虐、被虐はたんなる行為、遣り取りの手段に過ぎず、その本来は自らを離れ渾然一体に繋がろうとする欲求だったりするのではないか、そんな風に思ったり。故にSとMは入れ替え得るものという解釈は分かる気がします。ただ、Sは相手により与えたい、Mは欲求そのものにより忠実、その微妙な差異が両者に役割を与えているのではないかと思うのです。春琴は生まれながらの姫様ですが、しかし非常に脆い。対する佐助は従順のようで非常な強さがあります。むしろ主従師弟の関係を壊すことなく継続しようとしたのは佐助の方であり、春琴の美が失われることを許さなかったのは佐助であったことをみても、単に加虐と被虐とでは語れない繋がりを二人の間に感じます。

    それにしましても気高く無駄なき文章、学ぶことはまだまだ多いです!深く広がりのあるご指南、いつも本当に有難うございますっ!学ばせて頂きますっ!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    『春琴抄』、読み直していただいたんですね。たしかに最初は手こずるんですよね、、でもこれに慣れてしまうとじつに心地よいリズム。春琴のように気高い、その通りだと思います。
    SとMは単純に「加虐」「被虐」で括れるものではない、渾然一体に繋がろうという欲求だ、というのも同感です。微妙な違いが役割を変える、、そうですよね。
    この関係には佐助の側に主導権、というか関係性を規定するのは常に佐助の方である、、卓見ですね。新たな視点を得た思いです。さすが勇者と従者のエロスと関係性に飽くなき探究を注ぐ呪文堂さんです!
    本当に、谷崎潤一郎の文章は勉強になりますね。と同時に、うっとり浸るのにもぴったりです。学びの道は尽きませんね!

  • サイバーパンクに限った話じゃありませんが、SFって案外とっつきにくい、言ってしまえば読みにくい側面も多分にあるように思うのですよね。
    そういう作品が悪いというより、作者が伝えようとしている世界観が、自分の中で具体的なイメージとして立ち上がってこないとなかなか楽しめないという。
    その点、ビジュアルで伝えられるマンガや映画は強いよなと思う一方、小説作品もハマれば、脳内に異次元世界が構築されてゆくような没入感がありますね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    仰るとおり、世界観を具体的にイメージできるかどうかがまず最初のハードルになりますよね。作者も大変ですが、読者側にも負荷を強いるジャンルなのかもしれません。
    でもそのハードルを越えられたら、すごくはまるんですよね。まさに没入感!
    ビジュアルの作品は綺麗でわかりやすくてやっぱり強いな、と感嘆しつつ、小説にもいいとこあるよなあ、と思います。


  • 編集済

    当方『ニューロマンサー』は高校生のころに挫折したクチです。読んだ(読もうとした)のはずっと昔のことで、インターネットはなく、当時のわたしにネット空間をイメージする能力はありませんでした。小説の高い評価とは裏腹にまったくおもしろくなくて、残念な思いをしたことばかり覚えています。

    『GHOST ln The SHELL』や『マトリックス』のような映像作品としてのサイバーパンクに触れ、はじめて『ニューロマンサー』がわたしに伝えようとしていた世界観が理解できたような気がしたものです。

    >なにを以て「サイバーパンク」とするかは人により異なるでしょうけれど、多くの愛好者が魅かれる要素のひとつは、虚無的でハードボイルドな雰囲気にあるのではないでしょうか。

    まったくそのとおりですね。
    理解はできませんでしたが、『ニューロマンサー』の文体が醸し出す世界観は無闇に・闇雲にかっこいいんですよ(笑)サイバーパンクはクールだというイメージが植え付けられましたね。たった一作でSFのなかにひとつのサブジャンルを作り出したのが『ニューロマンサー』という小説じゃないでしょうか。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    インターネットのなかった時代、あの作品世界を文字から想像するのはかなりハードですよね。たぶん作者も伝える難しさを自覚していて、苦労してあの表現を生み出したのだと思います。もしかしたら「伝えるのが難しいならいっそもっと分かりにくくしてしまえ」ってあの表現にたどりついたのかも、、と想像したり(^^;)
    無闇に・闇雲にかっこいい! 同感です(^^) SFは小説よりも漫画・映画から入ったクチですが、画なしに文字だけでここまで読ませるとは、とあらためて活字の魅力を感じました。やはりサイバーパンクはクールですね!

  • 攻殻もマトリックスも大好きですが、こちらの作品は存じ上げませんでした。
    抜粋いただいた文章を見るだけでも、めちゃくちゃハードでカッコいいですね!
    文体が作り上げる作品の空気感って大事ですね。肌にビリビリきそうな感じが、まさに電脳世界のイメージそのものです。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    やっぱり攻殻・マトリックスはお好きなんですね。比較しながら『ニューロマンサー』を読まれるとまた面白いんじゃないかと思います。
    文体が作り上げる作品の空気感、まさにそれですね。40年も前に電脳世界を描いたのがすごいです。

  • 小林秀雄氏については、名前は聞いたことがなくもない気も、、いや多喜二氏と混濁している??というありさまで、無関係連想系のコメントを失礼しますm(_ _)m
    8.15をまたぐこのアツい時期、自分ごととしては知らない世代でも想像はめぐらせる先の大戦。
    現代から振り返って批評するなら、いやいや何してくれてんの当時の大日本帝国、みんなバカだったの??ですが、直観の人小林氏をも熱狂させる、冷静な状況分析を阻害するなにものかのパワーがあったのでしょうね。。
    ユートピア的「新しき村」を創始した武者小路実篤も開戦後は戦争称賛に傾いていましたし、
    「この世界の片隅で」の天然癒やし系ヒロインが、玉音放送を聞いて「最後の一人まで戦うじゃなかったと!?」と激昂し、直後に、暴力で従えていたから暴力に屈したのだと気づく、戦争に負けるってそういうことなのだなぁと。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    小林秀雄と小林多喜二、対極にあるような二人の取り合わせですね(^^;)
    まったくもう、バカだったの? と思ってしまうのに同感ですが、実際パワー滾るその場に放りこまれると熱狂してしまうのも人間の性のような気がします。武者小路のユートピア志向、小林の知性と直観を以てしても陥ってしまうほどの。
    「この世界の片隅で」では自然体で戦争に処していたすずさんは本当に癒やし系でしたね。戦争が終わって狐が落ちたようになった人たちや社会を、彼女がどう見たのか、、切なくなります。

  • こんばんは。
    私の中で、小林秀雄と言えば、「ガリア戦記」と「徒然草」への言及です。参考になりました。

    あと、弟子である隆慶一郎。
    隆は、ラノベに影響を与えたと言われる時代小説家なのですが、この人、歳を取ってから作家になりました。
    理由のひとつが、師匠の小林秀雄が怖かったからだそうです。作品を見せた先輩たちが泣くほど責められるのを見て、生前は作家を目指そうとはしなかったそうです。
    戦地帰りの隆が恐るなんて、どれだけ怖かったのかなと思います。ではでは。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    「徒然草」は私もハッとしまして、「読まなきゃ」と本屋へ走るきっかけになりました。
    隆慶一郎が小林秀雄の弟子というのは初めて知りました。たしかに泣かされそうですが、、直に考えを聞いたり批評をしてもらえるのはちょっとうらやましいですね。
    命のやりとりを経験して肝は据わっていても、自分の自信作を完膚なきまでに批判され尽くすのはまた別の恐怖なんでしょうね・・・。


  • 編集済

    エンタメ中心に読んでいるわたしにとっては、ある意味当然ではあるのですが、三島由紀夫は読んだことのない作家のひとりです。近年、わたしが読書の幅を純文学方面にまで広げるまでは、純文学の世界で評価の高い作家だということすら知りませんでした。

    もちろん『金閣寺』も読んだことはないのですが、先年NHKEテレの「100分de名著」で取り上げられ、はじめて内容を知ると同時に三島由紀夫の人となりに触れたように思います。

    三島の文学的才能については、久里琳さんの書かれているとおり、なんの異論もありません。むしろ、一般的な評価が低すぎるのではないかとすら思います。やはり、三島の最期の行動――自衛隊駐屯地に侵入、自衛官にクーデターを唆す演説の末に自殺した――が彼の文学的業績に大きな影を落としているのでしょう。非常に残念なことです。

    今度、三島の作品を読んでみます。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    名前は知っているけれど読んだことはない作家、というのもたくさんありますよね。もしかしたら、名前も知らない作家が実は超有名だったりすることも。
    だからこそ、新しい作家・作品との出会いは楽しいのだと思います。これを機に、三島由紀夫を手にとっていただけましたら幸いです。三島を初めて読むなら『金閣寺』は最適の作品だと思います。
    三島の文学的才能についてご同意いただいて、うれしいです。実は一部の評論家の間で低く評価されることがあって、仰る通り、三島の最期やそこまでの言動が禍いしている部分は大きいと思います。作品そのものとは関係ないところで評価されるのは、本当に残念ですね。


  • 編集済

    三島由紀夫の作品はフランスの書店にもたくさん並んでいて、安定した人気がうかがえます。もちろん翻訳版ですが、外国語に変換されてもその美学が読者に訴えるのだろうと思います。あと久里さんが挙げられた文章を読んでいると、決して難解な単語や言い回しをしていないのに光景や心情まで絵になって浮かんでくるようで、その一文一文が組み合わさって全体的な美しさを作る、彫刻みたいな印象を受けました。今回も読み応えある解説、ありがとうございます。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    フランスでも人気なんですね。外国語に翻訳されたときに三島由紀夫の文の美しさがどれほど再現されているか私には確かなところは分かりませんが、その片鱗は感じられるのだろうと想像します。
    それに、仰る通り、彼の美学はしっかり伝わるのだと思いますね。
    光景や心情まで絵になって浮かぶのは柊さんの読解力あればこそですが、読む人が読めばそこまで分かる文章というのは、やはり凄いですよね。
    彫刻みたいな印象、たしかに! 匠の技で形づくられた文章ですね。

  • はじめに・目録への応援コメント

     こんにちは。青切と申します。初めまして。
     自主企画へのご参加ありがとうございました。こういう書評を求めていたので助かりました。これからも楽しく拝読させていただきます。
     個人的には「星新一」「ソクラテスの弁明」「伊勢物語」を楽しみにしております。
     それでは失礼いたします。ご参加ありがとうございました。

    作者からの返信

    はじめまして。お越しいただき、ありがとうございます!
    こちらこそ、自主企画に参加の機会をいただきまして、ありがとうございました。こういう書評を求めていらしたとのお言葉、ほっとしました。
    星新一、ソクラテス、伊勢、ですね。5-6話先までは「だいたいこれで行こう」という計画を立てていますのでその次以降になりますが、意識して計画したいと思います。
    最新話まで一気にお読みくださり、☆もいただいて、ありがとうございました!


  • 編集済

    久里琳教授!『イリアス』に続けて『論理哲学論考』!夏休みの課題、山盛り過ぎですっっ 呪文堂、留年確定ですっ(TT)

    このカチッカチッな積み上げ方、まさに西洋哲学ですよね!総ては言語化可能であり、言語化不能なものは存在しないに等しい。ここ、東洋思想とは『立ち位置』を異にするようにも思えるのです。

    言語化や思考の限界、即ち生得的宿命。つい先日そこをうろうろ思ったのですが、でも同時に「進化とはなんだろう?」という幻想的世界にも遊びたくなります。

    岡潔の『春宵十話 』、これも読まねばならないやつですが、岡潔のいう「情緒」とヴィトゲンシュタインの「論理」、この二つはどのように交わっていくのだろう?なんてことをふと思いました。いつもズレてて申し訳ございませんっ!

    3年くらい夏休みが欲しいですっ!!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    論理に論理を積み上げていく、しかも隙のない積み上げ方で、、たしかに西洋哲学的ですね。そこへ行くと言語や思考の限界の向こう側に意識を向ける東洋思想はずいぶん違いますね。どちらが正しいという話ではないですが。
    進化もおもしろいテーマだと思います。生物学的なのも、社会学的な進化についても、考え出すと止まらなくなりますね。
    ここで岡潔が出ましたか! 小林秀雄との対談ぐらいでしか彼の言葉は読んでいませんが、味があるというかクセがあるというか、、ヴィトゲンシュタインも元は数学者ですから、クセ強い同士、比べてみるのはおもしろそうだと思いました。
    私も長い夏休みが欲しいです(^^)

  • 7 中原中也『山羊の歌』への応援コメント

    中原中也は『汚れつちまつた悲しみに』くらいしか憶えていないのですが、『ライ麦』を読み終わったばかりのためか、ホールデンの呟きにもリンクするように思えてしまいまして。

    ――すぐれた詩人が必ずしもすぐれた小説家ではないが、すぐれた小説家はほとんどすべてが詩人の資質をもっている――


    撃ち抜かれましたっ 認めるのは辛く悲しいものですが、いやひょっとしたら欠片くらいはあるかもっ!諦めるのは死んでからでも遅くないですよね!

    ぼけっと生きていないで、ぴりぴりするような感覚を研ぎ澄まし、言葉に宿すことができるよう精進したく! (近頃、胸に宿るホールデンの冷たい視線が痛いのですっ)

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    仰る通り、「汚れつちまつた悲しみ」の声は、ホールデンにも共通するような気がします。
    果たして自分は詩人の資質をもっているか??? 確認したいけど答えを知るのは怖い、残酷な問いですね(^_^;) でも諦めるのは死んでからでも遅くない、勇気づけられるお言葉です! 私も感覚を研ぎ澄まして、文章を磨いていきたいと思います。
    ホールデンの冷たい視線を体内に感じられるとは、それはつまり既に詩人なんだろうな、と思いました!

  • 3 カフカ『審判』への応援コメント

    久里 琳さま

    こんにちは。
    カフカが自分の作品を仲間の前で朗読するのに、くすくす笑いながら朗読したというのが印象的でした。その笑いにはどんな意味が込められていたのか、気になりますね。
    カフカの言葉の「生き生きしたかなしさ」に、つかめそうでつかめないもどかしさを感じます。
    以前から久里 琳さまの「カフカ像」を知りたいと思っていましたが、この一話からつかみとろうとするのは、考えが甘過ぎました (^^;) 自分のカフカを持たずして知ろうとするのがまず間違いだったのかもしれません。
    久里 琳さまの「カフカとは文学そのもの」という言葉。迷路の攻略のヒントを得ようとしたら、そのヒントがまた謎かけになっていたようです。でも、どちらかが解ければ、もう片方の強力な鍵になるのでしょう。追求していかないといけませんね。

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    カフカの笑い、何に対する笑いだったのか、たしかに気になりますね。
    カフカが何者なのか、私や誰かにとってのカフカはどんな存在なのか、当人にとっても難しい問いですね・・・。やっぱり答えはカフカの文章のなかにあるような気がします。とすると、読むたび新しいカフカが立ち上がりそうで、、つかめそうでつかめないというのが正しいのかもしれませんね。
    「迷路」という言葉が出ましたが、迷路をさまようイメージも近いかもしれません。プラハ旧市街の塔やアパートの迷宮、石畳の上の靴音がカフカには似合います。

  • 6 ホメロス『イリアス』への応援コメント

    『イリアス』、恥ずかしながらちゃんと読んでいないのですっ あちこち引用されているので、お話としては知っているつもりになっちゃってますが、いけませんね!反省ですっ

    神様の起源!これ、面白いですよね!日本神話でもアマテラス、ツクヨミ、スサノオは『兄弟』ってことになってますが、ツクヨミなんかが荒ぶる神、即ちスサノオ的な要素を色濃く持っていたらしい痕跡なんかあったりして。ギリシャ神話の『家族構成』なんかも、実に興味深いです。その裏にどのような衝突や併呑、融解があったのかと思うと、ワクワクしますね!
    そして、枕詞!勉強になりますっ!リズムとしての伝承、なるほどですね!

    叙事詩は本当に懐が深く、一度その門を潜ったら、戻ってこれないような甘美な恐ろしさすらありますが、それにしましても久里琳様の知の巨人ぶりに畏怖驚愕するばかりですっ
    ご教授っ!ありがとうございましたっ!

    作者からの返信

    ありがとうございます!
    そこらじゅうで引用されている有名な作品でも、全部読んだという人はそんなに多くなかったりしますよね。それでもたぶん十分なんでしょうけど、原本に当たると意外なことが書いてあったり、新たな発見があるかもしれません。
    神話としてきれいに整理される前のお話も、探ってみるとおもしろいですね。日本神話も幾つかの系統を撚り合わせてるっぽいですし、ギリシア神話もそんなところがあるようです。仰る通り、ツクヨミは複数の顔を持っていて、興味深いですね。
    叙事詩の懐の深さ、どっぷり浸かるのも楽しいですが、戻ってこれなくなるのは困りますね、、いえ、至福なのかも。私の知などまだまだですが、すこしでもご参考になるところがありましたら幸いです。