0.5 仕事後

 俺は深いため息をつき、パソコンデスクに突っ伏す。

 元気な頃に購入していた、ハイセンスでハイブランドのキーボードが腕に押され、何かに当たる衝撃を感じた。

「いや死にてぇよ、そりゃ。転職先がそんなんだと死にたくなるって」


 先ほどまで対面していた、あの女性に抱きしめられた時の感触を思い出した。

 奥さん、奥さん、と前の職場にいた社長夫人を呼び、までちぎれそうな強い力で抱きしめられた。


 例え直接抱きしめられた体がのものだったとしても、想いのこもったあの感触を忘れることはできない。


 いっそ、その力で本体である俺をちぎってくれたら良かったのに。

 そんなことまで考えてしまう。


「お仕事お疲れ様、今日も一人救われたね」

 首に縄が触れる感覚を考えていると、頭上から抑揚のない声をかけられた。

 突っ伏した頭の上に何かが乗った感覚がある。


「めちゃくちゃ頑張ったから死んでいい?」

「まだ約束の時じゃない」

 左手で頭上に乗ったものを払いのけると、硬くて小さいものが手にぶつかり、頭から転がり落ちたのがわかった。


「お仕事の進み具合によっては終わりも早くなるかもね」

「どうやれば進み具合が変わるのさ」

「それは伝えられない」

「神様ってのも黙秘権使うのか」

 案外人間と変わらねぇな。

「人間が我々を模倣したのでは」


 俺は上体を起こし、キーボードの適当なキーを叩いて仮眠中のパソコンを目覚めさせる。

 先ほどまで開いていた、人類救済ツールと書かれていたソフトを終了させ、机に置いた睡眠薬を手に取った。


「まだ約束の時じゃないから死ねないよ」

 声のする方を見ると、ラメ入りの透明なボールが転がっていた。

 先ほど頭から落としたのはこれだ。


 改めて考えると、このよく弾みそうなボールが神様で、その力を使って魔法少女になり自殺を阻止する仕事をしているこの状況ってなんなんだろう。

 俺は自殺したい側なのに、わけがわからない。


 こんなわけのわからない状況を生み出した原因はなんだ。

 仕事のための偽の体を作る時に昔見ていたアニメの魔法少女を模した外見にしたのが大きな理由かもしれない。

 そうなると、そのときだいぶ酔っ払っていたのが悪かったのかもしれない。

 というか、生まれてきたのがいけなかったのかもしれない。


 そこまで考えを巡らせ、手のひらに乗った白い粒を適当に口内へ投げ込んだ。

 仕事前に封を開けたチューハイ缶に口をつけ、錠剤を流し込む。


 このボール神に押し付けられた仕事が終わらない限り、死ねないのはわかってる。

 けど、もしかすると、何かの間違いがあるかもしれない。


 ああ神様、運よく死ねますように。


「死ねないんだってば」


 ボールの戯言は聞き流そう。

 椅子から立ち上がり、ベッドに潜り込み、穏やかな顔を作って目を閉じた。

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