第7話 ラカリズ村6 燃える景色
ここはラカリズ森とラカリズ村の境界だ。
森から流れ出る川の両側に、家屋が連なっているいつもの光景はそこにはなかった。
家々は崩れ、形のあった物が散らばった残骸が炎に呑み込まれ、土の道は熱色に毒されていた。
火炎に沈みゆく犠牲者の遺体が無数に存在している。
空へ昇る黒煙が青い満月の光を拒んでいる。
遠くにある村の出入り口近辺に巨大な影が見えている。
さらに上空を旋回する巨影があった。
あれらはドラゴンだ。
とオスカーは直感で思い至った。
ラナがよく読み聞かせてくれた物語に出てくる有名な魔物の名前だ、と。
空から投げかけられたドラゴンの咆哮が、オスカーの全身を震わせる。
頭上を飛ぶドラゴンはオスカーの存在に気がついていなかったのか、村の出入り口方向へ羽ばたいて消えていった。
「……ハァ、はぁ……はぁ……っ」
オスカーは両膝から地面に落っこちそうになったが、なんとか踏み留まり持ちこたえた。
咳き込みながら頭に思い浮かんできた名前を反射的につぶやいた。
「……ラナ」
頭に描いたその姿を探し追って、変わり果てたラカリズ村の中へ踏み込んで行く。
だがすぐに足は止まった。
正面の道筋に燃え盛っている火炎の中、浮かび上がった影がいくつもあった。
魔物だ。
蠢く魔物の群れが見えていた。
そのうちの一体がオスカーの存在に勘づき、殺気をぶつけてくる。
――落ち着け。
胸の鼓動を必死に押さえつけ、オスカーは敵を睨みつける。
火の粉が散り舞う。
血の臭いが鼻先を掠めている。
前を向いて歩こうとする意志をオスカーは失いかけていた。
状況は絶望的だ。
生き残れるわけがない。
ラナもきっともう……。
そんな悲観的な言葉ばかりが頭の中を駆け巡る。
魔物は当然、そんなオスカーの心理状態に気を払ってはくれない。
一体の魔物がオスカーに飛び掛かってくる。
周囲一帯を包み込む火炎が起こす熱い光が目を眩ます。
慌てて手のひらを突きだすオスカーの視界に、緑色の魔力が
風魔力の強風が前方から吹き抜けてきたのだ。
すぐ真横を流れる川中に、ドラゴンの巨体が村の出入り口から風に攫われ吹っ飛ばされてきた。
大きな水飛沫が上がる。
全身に水滴を浴びながらオスカーは川の中を見やった。
このドラゴンは確か、村の出入り口の辺りにいたはず。なんでこんなところまで飛ばされてきやがった?
疑念に答えるように、続けてラカリズ村全体を覆い荒らす風魔力の突風が巻き起こった。
オスカーの視野が拾う景色すべてが圧倒的な緑色の風魔力に呑み込まれていく。
――風の魔力場? ほかに魔導師がいやがんのか?
オスカーはその場に立ち尽くしている。
この嵐の攻撃対象からオスカーは除外されているようだった。
ようやく風が吹き終わった時、低い声色で紡がれた詠唱が聞こえてきた。
「広がりゆく風は、
何者かの発声する詠唱が完成する。
瞬間、四方八方、村のあらゆる場所からさまざまな角度で風魔力の矢が具現した。
この矢の数を前にすれば、どこにも逃げ場など存在しないとすぐにわからされる。
そう思わされるほど膨大な数量の魔力矢が空から地上までを埋め尽くし行き交っていた。
魔物による無数の悲鳴の大合唱が沸き起こる。
オスカーの前方からも魔力矢が数本飛来し、真横を通り過ぎていく。
思わず横切った矢の行方を追って振り返ると、新たに森から這い出てこようとしていた魔物が粉々になったところが目に映った。
咆哮が轟いた。
唯一この場で無事だった魔物――ドラゴンが川の中から飛び出し夜空へ駆け昇った。
空に開いたドラゴンの両翼が、己の胴体を空中の世界に縫い留めるために巻き起こす強風が、地上へ叩きつけられてくる。
高い空でドラゴンの大口が開き、火炎が生み出されようとしていた。
「
口内からドラゴンが発する巨大な火炎の渦は地上の一角へ襲い掛かったが、何者かの詠唱はすでに完成していた。
風魔力の嵐が一本の魔力の槍に集約され、地より天へ向かって放たれていく。
火炎を真っ向から吹き飛ばすと、嵐を纏った魔力槍は瞬く間に加速し、宙に留まっていたドラゴンの肉体を貫通しながら夜空目掛けて上昇していった。
そして高い空で爆発する。
その余波が強い風となり地上に吹きつける。
オスカーは体勢を崩して、片手を地面についた。
視野の端に何者かの足元が映った。
ゆっくりと顔を上げる。
「よくぞ生き残った」
オスカーの見上げた先に、はためく漆黒のマントを身に纏う体格のいい老人が立っていた。
その白髪白髭の老人は大きな杖を片手に持ち、見下ろしてきている。
「……あんたはいったい?」
呆然とオスカーは言葉を返した。
「ギデオン・アルヴァーウルスというものだ。ちょうどよいところに小僧、お前がいてよかった。訊きたいことがある」
それを無視して、オスカーは先に問いかけた。
「……あんたはこの村に泊ってた解放人パーティーのうちの一人か?」
ギデオンは淡々と返してきた。
「私はたった今この村に到着したばかりだ」
「魔物を倒してくれたってことは悪い人間じゃないんだよな?」
「善悪を私に問うな。人を探している。この村へはそのために足を運んだまでのことだ」
「人探し?」
「そうだ。額に傷痕を持つ女を探している」
「……なっ、もしかして銀色の傷痕の女か!?」
ギデオンが眼光を鋭くさせた。
「心当たりがあるようだな。その者はどこへ向かった? この村をこのような事態に陥れたのは恐らくその者の仕業だ」
「あの女は森の中に――いっ!?」
「助けて!」「うああああ!」「殺さないで!」
「食わないでくれ!」「痛い、痛い痛い痛い!」
「誰か、誰かあ!」「ママ―!」
「私のこと食べないでよッいたいッッいたいッッ!」
「助けて!」「うああああ!」「殺さないで!」
「食わないでくれ!」「痛い、痛い痛い痛い!」
「誰か、誰かあ!」「ママ―!」
「私のこと食べないでよッいたいッッいたいッッ!」
「死にたくない」「あああああああああああ!」
苦痛を漏らしオスカーは頭を抱えた。
「――また、声が聞こえて……」
「声が聞こえただと?」
ギデオンが目を見開いた。
「一体それはどのような声だ?」
「……たくさんの悲鳴だ。ラカリズ森のある方角から聞こえてきやがる。その反応……あんたなんか知ってんのか?」
己の白い顎髭を撫で、ギデオンは愉快そうに笑った。
その様子にオスカーは怪訝な目を向ける。
「小僧、名はなんという?」
「……オスカー・エメラルデだ」
ギデオンは目を細めた。
「オスカー・エメラルデよ。私の背中を追ってこい」
そう言って、彼は返事も待たずにラカリズ森を目指して歩き始めた。
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