3-2.




 夜の歓楽街は人に溢れていた。

 少し年の離れたカップルに見えなくもない梟とみちるの姿は、場所柄のせいか目立たない。

 ただ、カップルにしては、お互いに表情が真剣そのもので色気がない。だが、それに気づく人間はいない。

 

「ヤンくんは、ドミニクとドミニクの妹とは幼馴染でした。そして、昨日はドミニクの妹が『殿下』の手下にさらわれそうになっていた」

 隣を歩く梟へ、みちるはドミニクから聞いた話を伝える。

 この歓楽街を抜けて、しばらく歩けば宿泊先であるホテルに行きつく。

 

「それを見たヤンくんは、ドミニクの妹を庇って、連れて行かれたそうです」

 みちるは梟を見ず、真正面を見ている。

 そこに見えるのは、目がチカチカするような電飾が張り巡らされた建物と、その下を行く人たちの流れ。

 

「ヤンは幼馴染を助けようとしたのか。無茶なことを」

 それを聞き、梟は軽く頷いて目を伏せる。

 

「その後、『殿下』の手下に連れて行かれた」

「ドミニクの妹の代わりに身を差し出したらどうなるか、ヤンが知らなかったはずがない」

 みちるが眉間に皺を寄せ、ヤンの身に起こったことを話す横で、梟は冷静に返した。

 

「昨日の夜間の、手術室の使用記録。あれはヤンくんで間違いないでしょう。……それでも、ヤンくんの心臓が弟のオレクくんに移植されたのは、せめてもの救いなんでしょうか」

 みちるがそう話している間、酔って足元がふらついている数人組とすれ違う。

 その数人組がバランスを崩して、みちるの方へ雪崩れ込みそうになったのを、さっと避ける。

 

「馬鹿を言うな。たった一人の肉親の心臓が移植されたなんて知った時点で、弟は絶望するだろう」

 梟はわずかに唇を歪める。表情自体は動いていないが、その口元が苛立ちを表していた。

 

「胸糞が悪い」

 みちるはぼそりと呟く。

 

「だから俺は言っただろう? 胸糞悪い展開にしかならない、と」

 道いっぱいに広がる団体を避けながら、梟はみちるに言う。

 

「でも、ここまで派手にやっている以上、『殿下』がしている悪事の証拠は、簡単に集まりそう」

 みちるは視線を、電飾や看板で飾らせた、一棟の大きなビルへ向ける。それは、この歓楽街で最も大きいビルだった。

 それは、『殿下』が表向きでやっている事業の会社のロゴが入ったビルだ。

 

「だが、それだけだと足りない」

 梟は燃え尽きかけた煙草を足元に捨てる。そして足で踏む。

 

「なぜ?」

 みちるがそれを咎めるように見たので、梟はすぐに吸殻を拾い上げた。

 

「この国に縁もゆかりもないイタリア系マフィアたちに支配されるくらいなら、同胞である『殿下』の方がいいと考える人間は少なくない」

 拾った吸殻を手にしたまま、梟は新しい煙草へ手を伸ばす。

 

「『殿下』に従う人が多い」

 梟の言うことは、みちるにも納得できた。

 

 梟は『殿下』の会社のロゴが入ったビルの裏手側に回る。

 そこまでくると、雑踏の騒がしさから遠ざかり、人の気配もしなくなる。

 饐えた臭いと黴の臭いの混じった空気が、そこには漂っていた。

 

「というより、反抗する意味がない。『殿下』は表向き、廃墟団地の住民にまともな働き口を与えたり、食糧の支援をしているんだろう?」

 梟は煙草に火を点けながら、補足の説明を入れてくる。

 

「裏でどんなあくどいやり口をしていても、住民の大勢にとってはメリットが勝っているから、そうなるんだろう」

「でも、このままだと、第二、第三のヤンくんが生まれ続けますよ」

 淡々と事実を突き付ける梟に対し、みちるも応戦してくる。

 みちるは決して強い口調で言ってこないが、拳を握り締めながら、一言一言喋っている。

 

「それもまた、街の住民の意思では」

 梟が言いたいのは、『殿下』が表と裏の顔を使って、廃墟団地の住民を、ひいてはこの歓楽街全体を利用してきたのは昨日今日の出来事ではない、ということだ。

 

 力関係の天秤は傾いているとはいえ、住民側に何もメリットがないわけではない。住民もそれに甘んじてきたのだ。

 

「本当にそう思う?」

 みちるは、じっと梟を見つめている。

 その眼がやけに力の入っていたので、梟は思わず目を逸らした。

 

「『殿下』がいる限り、廃墟団地の人たちは永遠に消費されていくだけでは?」

 そう言うと、みちるはボトムスのポケットに手を入れ、チョコレートを取り出す。


「果たして、消費という言葉が相応しいのか? 少なくとも俺は、何の代償もなく、施しを受けようとするのは違うと思うからな」

 梟の声には、そこまで言うと、煙草に口をつける。吐き出された煙が揺れるのを、みちるはじっと見つめた。

 

「この状況が生まれたのは、『殿下』からの支援に対し、住民がある程度の代償を払うことを受け入れたからだ」

 梟は煙草の灰を振り落とす。細かな灰が、季節外れの粉雪のように散る。

 

「これでも『殿下』は、上手く立ち回った方だと思う。ただの搾取者ではない」

 梟が言い放つ言葉に、みちるを傷つける意図はない。ひたすら現実主義者なだけだ。

 

「そして、お前が今やろうとしているのは、一部の住民が代償を払う代わりに築かれた安定を、ぶち壊すことだ」

 指先に挟んだ煙草を挟んだ手で、梟はみちるを指差す。

 この街で『殿下』に反旗を翻すのは、住民にとって安定を捨てるのと同義だ、と少し強めに諭す。


 みちるは、梟へチョコレートを乗せた掌を差し出す。

「……それは、強者ぶった人間が、立場の弱い人間を踏み潰しているだけですよ」

 みちるの不快感の原因は、主にそこだ。

 

「これが黙認されている状況が、吐き気がするほど嫌い」

「そういう感情論で、話をするな」

 梟は、みちるの手からチョコレートを受け取りつつ、言う。

 誰とでも対等な関係でいられると夢見るのは構わないが、実際はそうではない、と梟は付け加える。

 

「……ヤンくんがドミニクの妹さんを庇ったところで、いずれまた、ドミニクの妹さんは『殿下』のもとに連れて行かれて、働かされるでしょう。これがずっと、繰り返されます」

 ヤンが命懸けで救ったドミニクの妹は、そう遠くない日にまた連れて行かれる。

 

 ヤンの犠牲は、を先延ばしにしただけだ。

 

 それを、みちるはわかっている。そしてドミニクも、わかっているはずだ。

 

「ヤンくんがここまで身を挺して尽くしても、無意味なんですよ」

 みちるは、そう言い終わると唇を噛む。

 梟を見つめる眼は、心なしか潤んでいるように見えた。

 梟は、その黒い瞳が潤んでいるのは電飾の光が当たって、そう見えるだけだ、と考えるようにした。

 

「じゃあ、ヤンの行為が無駄にならないように、俺たちに何ができると?」

 溜め息を吐いた後、梟はみちるを試すように尋ねる。

 尋ねられたみちるは、顔を強張らせ、視線を地面に落とす。

 それから、真後ろにあるビルをゆっくり振り返って、見上げた。

 

「アニエロがこの先、多少は有利になるように、手伝う、とか」

 みちるの眼に映るのは、『殿下』の持つ店がテナントに入っているビルだ。

 みちるの曖昧な言い回しに、梟は困惑顔を隠さない。


「その、お前の個人的な願望を、アニエロに背負わせるのか」

 迷いのない眼でビルを見上げているみちるを見て、梟は鼻で笑う。

 

「願望じゃない。……私がアニエロに背負わせるのは、期待ですから」

「お前はまた、そんな詭弁を」

 願望も期待も、懸ける側が勝手に押し付けているものだ。

 

 燃え尽きかけた煙草を地面に落とした梟は、靴底で火を消す。

 視線を下に落としたついでに、溜め息を漏らす。

 

 視線を上げると、こちらを見ていたみちると眼が合う。その顔は、どこか自信を見せている。


「俺は、買い被りすぎだと思うがな」

 梟は、それだけ言うと、踵を返す。みちるはその隣についていく。


 街のざわめきの中に、二人の姿は名もなき人々として紛れていく。

 この夜に、二人がいたことは誰の気にも留められていない。

 

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