第7話

「頭の中がぐるぐるする」

「屋上より保健室行ったほうがいいんじゃないのか」


 平気です、と言って屋上へ向かった。

 屋上には鉄パイプを立てるための穴がいくつか空いていて、傍らの物入に入ってた鉄パイプとテントみたいな布を出すと、一人分の日陰くらいはすぐに作れた。

 やがて予鈴が鳴る。本鈴も鳴る。それをあたしは、一人屋上でぼんやりと聞いた。

 スマホも見ず、音楽も聞かず、なにか楽しいことを考えようとしても、郷のことばかりが浮かんできた。

 あいつ今、なにしてんだろ。


 さすにが昼が近づくと、雲が晴れたせいもあって暑くなってきたので、布と鉄パイプをたたんで校舎に入る。

 曇ってたとはいっても外は明るかったので、室内に入ると視界が薄暗くて、ちょっとだけ居心地がよかった。

 高校のいいところは、給食がないところだ。適当なところでお昼を食べようと思っていたら、鼻の下に、独特のくすぐったさを感じた。

 鼻血だ。

 午前中はそれなりに涼しいと思ってたけど、知らない間に体に熱がこもってたのかもしれない。微熱があるようにも感じる。


「なんかもう、あれだ……今日は、学校はいいか、もう」


 昼休みになる前に学校を出た。

 帰り道の間、電車に乗っていると、くらくらして、むかむかして、モザイク模様と火花が目の前でちかちかした。


 昼過ぎには家に着いた。

 そうっとドアを開けると、母親の靴がない。

 早めに出て、店で寝てるのかもしれない。あんたまで家にいづらくなってどうする。


 自分の部屋で、窓を開けて、扇風機をつけて寝た。

 たまに起きだしては水をぐんぐん飲んで、塩を舐めて、また寝た。

 あっという間に夕方になった。


 体の調子は、悪くない。関節は痛くないし夏風邪ってわけでもない。でもやっぱりどこか、熱っぽい。

 周りに誰もいないのに、適当に無意味に誰かに毒づきたくなる。何度か、そこそこ大きな声で「くそが」と言ってしまった。ここんとこくそって言い過ぎな気がする。


 郷。

 郷に会いたいな。

 

「少なくとも、あたしはあんたの母親の件では、あんたのことをなんとも思ってないって、伝えないと……」


 ふと、思いついた。

 会いに行ってみるか。

 入学式の後、クラスの中が今みたいな状態になる前に、連絡先や住所やSNSアカウントを教室の中そこらじゅうで交換するのが流行った。その時たまたま、あたしと郷も住所を交換してる。あいつの家まで、行けるのだ。

 部屋着から着替えようとして、服を選ぶのがもどかしくて、手近にあった制服を着た。

 今日までにも何度か、会いに行こうかと思ったことはあった。でも、学校で会えるだろうからと実行には移さないでいた。それが一週間も会えないままなんだから、これはいいキリだろう。


 ドアを開けて家を出る。

 これから日が暮れれば、光が減っていくのに合わせて、柔らかい繭みたいにあたしを包んでくれる薄暗い部屋。

 まだ中にいたい。でも、行かないと。行きたいところがあって、会いたいやつがいるのだから。それが自由ってもんだろう。自由も最近言い過ぎかも。

 郷の顔を想像する。泣き顔と笑顔を交互に。

 頭の中が熱い。体も熱い。足が止まらない。心臓が熱に引っ張られていく。郷のところへ。


 階段を降りると、ちょうど太陽が沈むところだった。空が乾いた群青色に染まってきてる。

 ただ、分厚い雲が張り出してきてるのも見えた。これって降るのかな。傘持ってきたほうがいいか。

 うーん、と顎に手を当てて考え、まあ悩むくらいなら対策しておこう、と思って振り返りかけた、その時。

 前のほう、色の褪せた歩道に、見慣れた制服姿が見えた。

 あたしの学校の、あたしと同じそれ。

 どうして。


「郷」

「……赤坂さん」


 郷は、泣きそうな顔で突っ立ってる。薄暗い中、遠目でも分かるくらい、目の周りが赤かった。

 想像の中の郷の泣き顔はかわいかったけど――かわいく想像してたから当たり前だ――、リアルで見るもんじゃないんだな。胸が痛くなる。


「なんで? え、いつからいた?」

「……今日、学校行ったの。でも、赤坂さん来なくて」


「あ、ああ。昼くらいまでずっと屋上いたんだよ。そうだ、あたし今日教室行ってないからな。……そっか、郷は学校行ったのか。登校するんだな」

「本当は行きたくなかった。でも、行かないと……赤坂さんに会えない。お昼になって、屋上にも行ったんだよ。でももういなかったから、帰ったのかなと思って」


 屋上に? なかなかいい勘してるな、こいつ。すれ違いになったのか。

 偶然とはいえ、こういうニアミスってちょっと浮かれちゃうな。同じ場所を思いつくっていうのは。

 あ、待て。


「郷……いつからここにいたんだ? あたしの家知ってるから、ここまで来てくれたってことだよな?」


 よく見ると、夏服の袖から出た腕は、本当はほの白いのに赤く焼けてしまってる。この炎天下に、日焼け止めも塗ってない。

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