第28話 人狼と名探偵
「え? ここは? オレはいったい……」
「大丈夫か? 正気を失っていたようだが、他に痛むところはないか? 歩くなら私の肩を貸すぞ」
「ああ、いや、痛みは問題ないッス……ええと、あんた達は?」
額を押さえて上体を起こす人狼は、先ほどの怒り狂っていた様子とはかけ離れていて、アルジャーノンとホーリーとで顔を見合わせる。
うーむ、誇り猛き狩人と言ったところか、などと言いながら人狼に興味津々の黒犬達を制止しつつ一人で頷いているバーゲストが尋ねた。
「君はどこからここに入ってきたの? ここはツアー予約以外立ち入り禁止区域だよ。まさか森に住んでいたとか言わないよね?」
「オレは……うっ、すいません、どこで何をしていたのか、何も思い出せなくて……」
「どうだか。嘘をついてるかもしれないぞ」
意地悪く嗤うディランにそんな事を言うなと窘めていると、息を切らせた守衛達がようやくこちらに合流した。柱廊の向こうでは、捕獲したぞと歓声が上がっている。もしかしてあの若者は、石畳の上まで引き回しの刑に処されてしまったのだろうか。
「一度本部に戻ろう、ここは危険だ」
バーゲストがそう言って、全員で柱廊へ引き返そうとした時、人狼は足元に落ちていた無残な虫の死骸を見て目を見開いた。
「これは——そうだ、この虫が、突然オレの耳の中に入って——ううっ」
「大丈夫ですか、落ち着いて」
ホーリーと共に呻く人狼の背を支え、彼女が心配した様子で声を駆けるが、錯乱した様子の人狼は顔を覆い唸り声を上げる。
その様子を見たディランは、心底嫌そうな様子で棍を一度地に打ち付けると、分割された虫の死体を地面からそのまま落とすように例の水の波紋の中へ収納した。
「この虫が、彼の様子をおかしくしていた原因なのか」
「たぶんな。よくわからんが、魔物の様な特殊な虫なんだろう。巫女に報告する必要がありそうだ。はぁ……虫の死骸なんざ俺の領域に入れたくないんだが」
手にしていた棍を空に振ると、柄が消えて三節が腕輪のようになって浮かび、袖口へ収納されていく。魔犬を死体袋に回収していく守衛達を後に残して、本部へと連れ立って歩いた。
すると、正門の辺りで何やら騒いでいる声が聞こえる。
「——だから、通してくれと言ってるだろう」
「困りますお客様。先程魔物出現と報告がありまして、その対応により現在立ち入り禁止で——」
「例の墓を見せてくれるだけでいいんだ」
「ねぇ、なんだか騒がしいし、なにかあったんじゃないかな。やっぱり今日はやめておいた方がいいんじゃ……」
背の高いインバネスコートを着た瘦身の紳士と、帽子とスーツを着て杖をつく恰幅のいい紳士が、何やら案内係ともめている。
そうですよ、それにキュートなワンちゃんも連れておりませんし、とついに本音を零す案内係の背後からバーゲストが声をかけた。
「何やってるの? すまないけど、奥の森から魔物が出てツアーの方達には避難してもらってる最中だ。これから警察も呼ばきゃいけないし、立ち入りは——」
「私は探偵だ。依頼人の指示でここの調査に来ている。貴方は見たところ、ここの墓守主任のバーゲスト嬢だろう? それなら話が早い。通してもらいたいのだが」
「ええ? 探偵なんて、自分から先に明かす人がいるんですか? 依頼人と守秘義務があるのに」
アルジャーノンが小声で訝し気に呟くと、ちょっとホームズ、と彼の隣に立つ紳士が慌てて引き留めている。
「探偵⁉ もしかして、博士の御遺族が痺れを切らして……ああどうしよう、今回の件と言いうちの責任問題が……」
頭を抱え始めたバーゲストを見ていられなくなったのか、面倒そうにディランが口を開く。
「悪いが、こっちも色々立て込んでるんだ。捜査だかなんだか知らんが後にしてくれないか」
「まあいいだろう。ならば日を改める……行くぞワトスン君、今僕が持っている故人の日記についてだがね、興味深い事が書いてあったよ……」
「へぇ、何かわかったのかい?」
「周囲に妄言だと思われていた、博士の研究室の所在についてだ」
先ほどまで食い下がっていたにしては妙にあっさりと二人は踵を返し、会話にしては何だか声を張り上げながら忙しなく去っていく。遠ざかっていく様子を窺っていたディランとアルジャーノンは、驚いたように顔を見合わせた。
「おい、聞いたか?」
「間違いなく、故人の日記と言っていましたね」
「って事は、重要な手掛かりは今あいつらが持ってるってわけだ。どうにかして聞き出すか、日記をあいつらから入手するか——」
「それなら念のため、ネズミ達に後をつけさせましょう」
草むらに向かってアルジャーノンが小さく鳴くと、ガサガサと揺れて茶色い鼠が飛び出し、土の上を走り抜けていった。私は驚いて思わず呟く。
「ネズミを操れたのか」
「獣人は皆それぞれの元の種族と会話が出来ます。他の動物とも多少の意思疎通はできますが、あまりにも種がかけ離れていると言語は理解できません」
再び呻き声を上げてふらつく人狼を見たホーリーが、一度彼を休ませるべきですと提案した。
「その通りだ。さあ、行こう。本部はすぐ隣だよ」
バーゲストに促され、正門の側に立つ本部へと全員で向かう。
道中で、男の脚をようやく解放したらしいバレットも合流し、ディランの足元で跳ねながらおやつを強請っていた。あの若者の体積が半分に減ってなければいいのだが。
チャペルを改造した墓守本部では、忙しなく人々が行きかっていた。長椅子に座って身を寄せ合って震えるツアー観光客達に、守衛や職員が声をかけ、調書をとっている。毛皮があるから問題はないが衣服を纏っていない状態である人狼は、毛布を配っていた職員から受け取ると慌てて腰へ巻き付けた。
「人狼の彼も念のため病院に行く必要があるから、ここで職員たちと手続きを取ってくれ」
「わかったッス……」
促されるまま長椅子に腰かけ、彼は私とホーリーを見て深々と頭を下げる。
「助けてくれて、本当にありがとうございます。オレがどうしてあの森にいたのかはわかんないんスけど、あんた達が居なかったらきっと助からなかった」
「そんな、当然の事をしたまでだ。本当に、命があってよかった」
「ええ、助かってよかったです」
両手でこちらに握手を求め、何度も何度も私と水精霊に笑顔で礼を言っては椅子の上に伸びたふさふさとした尾が揺れている。どんな事情があったのかはわからないが、人懐っこい様子の彼がとても事件を起こすような人物には見えなかったので、あそこまで様子を豹変させる例の虫が相当危険な生き物であろう事を再認識する。掌に少し硬い肉球の感触がして、獣人にも一応肉球があるのかなどと考えているとその様子をじっと見ていたディランが呟いた。
「俺には何もないのかよ」
「あんまりよく覚えてないんスけど、確かあんたオレを思いっきり殴りつけてたッスよね……」
それは覚えてるのか、と苦々し気に呟いたディランを据わった目で見やると、人狼は溜息をついた。
「冗談ッスよ。他に被害が出る前に暴走を止めてくれたんですからね……悪いんスけど、ちょっと疲れてるんで一度寝させてください。この恩は必ず返すから、あんた達の名前を聞いてもいいッスか」
それぞれの名乗りを聞いた後、人狼は微笑んだ。
「正直まだ不調で、オレの名はちょっと思い出せないんスけど、あんた達の匂いは覚えました。近いうち、いつか必ず会いましょう。いや、会わせてください。オレ肉が美味い店知ってるんで、ぜひ」
最後の方は何やら早口でそう言った後、疲れた様子の彼は長椅子の上で横になり目を閉じてしまった。
「悪いんだけど、今回の件で緊急会議もしなきゃいけなくて——」
「だろうな。俺達の用事は終わったから、一度引き上げるよ。ありがとう」
バーゲストが申し訳なさそうに言うのを、ディランがやんわりと止める。本部を出て正門を潜り、さてこれからどうするかとなった時、アルジャーノンが手を挙げて発言した。
「例の二人を追いかけましょう。今一番の手掛かりです」
「異論はないな。しかし探偵か……俺はなるべく近づきたくないな」
「ん? 彼らとは知り合いではないのか」
不思議そうに手元の来館人数表とホーリーを見ている案内係を呼び止め馬車の手続きを進めた後、ディランは告げた。
「俺は元々の役目を隠してるし、きな臭い事件解決のために巫女の指令で裏から動くこともある。天使や悪魔の施策について民間人は知らないし、探偵は完全な人間側で警察とも繋がりがある、いわば競合相手だ。例えば、事件の捜査をしようと思ったら俺達が動いてもう解決している、なんて事になる。相手からしたら、俺のような存在は以前から不愉快極まりないだろう。だから下手に探られたくもない」
「なるほど。それなら彼らの事を知らないのも当然ですね」
「ではこのまま一度街に戻るのか」
「そうなるな」
引き出されてきた馬車の手綱を引いて、乗れとディランが手で示す。ホーリーを恐る恐る窺うと、わかってますよと言って彼女は淡い光と共に姿を消した。
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