第25話 本と骨董品屋ラ・フォンテーヌ
満足そうな顔をしているアルジャーノンと共に、ギルドを出て再び先導するディランについていく。繁華街の喧騒から少し離れた、公園の近くにある大きな建物だ。ここが本屋らしい。緑色の木製ドアを開ければカロンとベルが鳴る。
たくさんの観葉植物と古めかしい本が並ぶ本棚が視界に飛び込んできた。他には大きな地球儀から珍しい動物の剥製、天秤や古時計、他に何に使うかわからない妙な雑貨もたくさんあった。骨董屋も兼ねているのだろうか。
吹き抜けの天井に吊り下げられた、よくわからない巨大生物の骨を物珍しく眺めていると、奥で店主と話している人影が見えた。ショルダーバックに、見覚えのある帽子の隙間から飛び出す赤い巻き毛——新聞売りの少年だ。
「待って、これだとギリギリ買えないから……う~、やっぱりこの本はやめて……」
「いいよそれぐらい。おまけしてあげるよ」
「いやだめだって! お金の事はちゃんとしないと……」
なにやらレジで揉めているようで、その二人に向かって広い店内をずんずんとディランが突き進んでいく。来客に気づいた店主が顔を上げ、親し気に手を振った。少年も足音に気づいて振り返き、口を開く。
「あ、ディランじゃん。前言ってた怪しい奴ら見つけたぞ。複数で吸血鬼伝説の噂を広めまくってた変な奴らがいたんだ。皆と確認したけど、やっぱりこの街の人間じゃなさそ——」
「ディランおかえり。この前港町の蚤の市に仕入れに行った時、色々見つけたんだ。何か必要な物があるんじゃないかと思って、部屋に置いといたんだけど——」
「は? 何が何だって? いっぺんに話しかけ……ってまたかよ! 人の部屋を物置にするな!」
「だって文字通り何もないんだもん君の部屋」
「緊急時に寝るための場所なんだからそれでいいんだよ!」
慌てて店の奥にある二階の階段を駆け上がっていくディランをぽかんとしながら見送っていると、少年がぼやく。
「なんだよせっかく教えてやったのに……あれ、昨日の兄ちゃんだ」
「君は新聞売りの——」
「ロジェだよ。そいつ、誰?」
「お付きのアルジャーノンです」
「うわ兄ちゃんやっぱ金持ちだったのかよ。廃墟はどうだった? 大した事なかったでしょ? あんなとこに何の用事があったんだか」
「あ、ああ……そうだな……観光のようなものだ」
「ま、無事ならよかった。例の事件の後だったから、教えた後でちょっとひやひやしてたんだ」
急いだ様子で空のショルダーバッグを揺らし、中から財布を取り出して赤毛の少年は店主に向き直った。
「とりあえず、この二冊でいい」
「ツケ払いでもいいのに」
「だからだめだって!」
会計を済ませて本を鞄へ仕舞うと、じゃあ俺仕事に戻るから、と少年は足早に立ち去る。
「あの子は……」
「よく来てくれるんだ。お母さんの薬代と妹さんのために勉強したいんだって」
時々わからないところを教えてあげたりするんだよ、と言って微笑むのはこの店の店主——緩く跳ねた長い金髪をリボンで一つに括った、背が高く細身のスーツを着た眼鏡の男性だった。
「僕はアンダーソン。本と骨董品を扱うラ・フォンテーヌの店主だよ。ディランには二階の空部屋を貸してるんだ。君たちは?」
「私はレオン。旅をしていて彼に助けてもらい、そのまま世話になっている」
「アルジャーノンです。レオン様のお付きです」
「へぇ、じゃあ今彼が護衛してるのは君達なの?」
「正式にそうであればいいのだが」
「中々話がつかないんですよね」
吹き抜けの二階からどたんばたんがしゃんと何かを大量に動かすものすごい音が聞こえる中、よかったらコーヒーでも飲むかい?美味しい豆があるんだと店主がマイペースに勧めてきた。
「素晴らしい提案ではありますが、あの様子では二階から降りて来た時に私たちが呑気にコーヒーを嗜んでいたら激怒しそうですね」
「同感だ。その、色々買いたい物があって……相談に乗ってほしい」
「もちろん。どんな本をお探しかな? うちは古書から最新の本までいろんなジャンルを取り扱ってるから、力になれるはずだよ」
カウンターから進み出て、アンダーソンは柔らかに微笑んだ。
旅の支度、と言っても各地の精霊の儀の手掛かりを探す事から始めなければならない。やはり戦闘になる事を考えると魔物に対する知識か?それとも旅の必須ガイド?各国の情勢や旅行記?悩みはたくさんあるわけだが、要領の得ないこちらの相談をアンダーソンはふんふんと聞き取りながら各本棚に案内し、説明を交えながら各本の候補をピックアップしてくれる。
その間にもアルジャーノンが興味深そうに本棚の隙間を移動し、色んな本を物色していた。
「旅のガイドで有名なのは世界の歩み方シリーズだけど、今は内容がちょっと古くて、現地の事がよりわかりやすいのはノーイって著者が出してる旅日記かな。古書なら得意分野に一点集中してるものが多くて、例えば各国に住む魔物の食べ方に挑戦した旅人の日記とかもあるよ」
「魔物って食べられるのか⁉」
「うーん、この著者はサバイバルガイドのつもりで色んな調理法を試してみたらしいけど、どれも最後の記述は原因不明の腹痛、発熱、悪寒、幻覚に苛まれてるみたいだね」
「原因は明確だろうに……」
手渡された諸国のガイド本を次々テーブルに広げて見比べながら、どれがわかりやすいのだろうかと考えていると大きな本を抱えたアルジャーノンが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「レシピ本を見つけました! 食べたい物はありますかレオン様」
「すごいな。その挿絵のアップルパイが美味しそうだ」
「いいですね! ぜひ焼きたてを食べてみたいです」
「そのレシピ本だと、アールグレイと桃のタルトも凄く美味しいんだよ」
和やかに会話をしていたところで、二階の扉が大きな音を立てて開いた。
「アンダーソン! いいか、金輪際がらくたを集めるな。そして、二度と俺の部屋に物を置くな! 絶対に!」
「そんな、がらくたなんて。骨董品を集めるのが趣味で仕事を兼ねてるのに……」
「趣味を兼ねろよ。人のベッドまで物で埋める奴がいるか」
「だって全然引き取りに来ないから……途中から、限られたスペースをどう埋めるか楽しくなってきちゃって」
「人の部屋でレイアウトを満喫するな! 使えそうな呪具なら歓迎だが、煙を吐く獣人頭蓋骨標本とか蛇足の足のミイラとか花が入った琥珀とかはいらねぇんだよ!」
「琥珀は綺麗だったのに……」
苛々しながら階段を降りてきたディランへ、全然堪えた様子が無いアンダーソンが問いかけた。
「そういえばさっき、ロジェ君が怪しい奴らを見たって言ってたけど」
「ああそうだ、あいつのおかげで繋がってきたぞ。俺の拠点が突き止められた可能性がある。風化したはずの吸血鬼伝説の噂を流した奴らは、たぶん城の王権派の差し金じゃないのか?」
「なんですって」
「噂を焚き付けておいて、邪魔な巫女派の動きを止めたかったんだろう。——って事は、あいつもそれを察して俺に王子の護衛を命じたのか?」
「ねぇこの子、王子様なの?」
「館の事は言っていいのか?」
互いに混乱して顔を見合わせる。アルジャーノンが神妙に頷くのを見たアンダーソンは、合点したように手を打った。
「あ、僕は事情を知ってるよ。彼には祖父が世話になったから。けど、この街の人たちはギルドも含め、ディランがあの館に住んでる事を知らないんだよね」
引き続き本を物色する手は止めず、アンダーソンは続けた。
「彼自身の手続き上の住所が必要だから、ここを宿代わりにしているんだ。彼が留守の時に住人から伝言がある時とかも受け付けるし、商人の護衛が入ると前日からここにいたりするよ。館はちょっと遠いからね」
「なるほど。ここは仮の宿なんですね」
「護衛した商人からのお礼で食べ物がここに届いたりすると、そのまま僕が貰っちゃったりしてるからね。彼はご飯食べられないし」
全部美味しいし食費が浮いて助かるんだよ、などと言いながら、取り出したいくつかの本をテーブルに置いた。その中の一冊をなんとなく手に取り、ぺらぺらとめくってみる。
「火の国旅行の話、どうする? やっぱりまだ空路は解放されてないのかな」
「あー魔物騒動はまだ解決してない。それに、今後の予定がこいつらのせいでめちゃくちゃになって何もわからん。色々落ち着いてからだな」
「貴方忙しいとか言ってませんでした? 旅行の計画立ててるじゃないですか!」
「そりゃ普段こき使われてる分、たまには息抜きもするだろ。ちなみに火の国は温泉街で有名なんだ。酒も美味いぞ」
「猫の国とも呼ばれてるんだよね。早く行きた~い。ねぇ、火猫種って知ってる? あそこにいるバロンみたいな、普通の猫とは違うんだけど」
「猫⁉」
その一言でアルジャーノンが凍り付いた。指された本棚の上から視線を感じて振り返ると、黒いタキシード柄の猫が座った姿勢でこちらを見下ろした後、のんびりと毛づくろいを始める。ではケットシーの事か、と問うとあっちには獣人から巨獣タイプまでたくさんいるんだよと返された。
「火を吹けたり、火花を散らす毛皮を持った猫ちゃん達がいっぱいいるんだ。観光名所の九頭竜滝から温泉街、名物火猫温泉饅頭から猫せんべいまで猫づくし! 猫好きにとってあんな天国はないよ! ねぇディラン?」
「俺は強いて言うなら犬派なんだけどな」
「王子……私、決死の覚悟でお供致します……」
死んだ目で呟くアルジャーノンを宥めようと、私は途中まで読んでいた本を閉じてテーブルに置いた。
スワンプマンの思考実験
ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼の側で、突然雷に打たれて死んでしまう。
その時、もう一つ別の雷が、すぐ側の沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在の事を、スワンプマン(沼男)と言う。
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