第12話 手紙
あの後、もう夜も遅いからという事で揃って部屋に戻り、アルジャーノンは隣の部屋におりますので、と一礼して退室した。色々あったが、旅の初日にしてベッドで寝られるとは思わなかった。寝床に潜り込み、訪れる睡魔に抵抗せず眠りに落ちる。
幼い頃に病死した母の夢を見た。体が弱く、母が病に臥せっている時は面会を許されず、幼い私は寂しくてよく泣いていたのを覚えている。隣に座って、母が飼っていた小鳥と共にピアノを聞くのが好きだった。
「どうしてこの国は水の国じゃなくて、雨の国と呼ぶの?」
「水の国とは、人魚の国の事だからよ」
「人魚は本当に存在するの? お伽話じゃなくて?」
「ええ、遠い昔に深海に潜ってしまったけれど、人魚たちは今でも水の都に住んでいるでしょう」
結った金髪に、透き通った空と同じ水色の瞳が優しく微笑んだ。ついでに言うと己の容姿は瞳の色だけでなく、母によく似ていると言われている。
「どうしていなくなっちゃったの?」
「昔は交流が盛んだったのだけど、雨の国の漁業が発達するにつれて領海問題で関係が悪化し、ある日国交が途絶えました。巫女様なら話す機会はあるのよ。彼女たちだけ、未だ交流を許されています」
肩で囀る小鳥を指先で梳いた後、指輪のついた手で私の髪を撫でる。
「仲良くしていたのに、争うなんて……」
「そうね。その気持ちは、この国の次期国王となるために必要な想いよ。レオン、どうか貴方はそれを忘れないでほしいの—」
カーテンの隙間から朝日が差し込んでいて、自然と目が覚めた。森から飛び立つ鳥の囀りが聞こえる。
風を入れようと窓を開けると、離れの馬小屋で世話をしているディランの姿が小さく見えたが、相変わらず白黒の毛玉に纏わりつかれていた。
「レオフリック王子、よろしいですか?」
「ああ、入れ」
失礼します、と扉を開き、洗面器やタオルを抱えたアルジャーノンが入ってきた。
「どうぞこちらで顔を洗ってください。それと、せめて何かないかと早朝に周辺を探してきたのですが……」
「……実?」
洗面器を受け取った後、彼が懐から取り出したのはなんだか萎びた柚子のような、洋ナシのような何らかのひしゃげた形をした謎の実だった。
「自生していましたが、なんの実か判別不明でした。恐らく食べられるものではないでしょう……」
「町で買った携帯食料があるから、とりあえずそれを一緒に食べよう」
「恐れ入ります……」
身支度を整え、二人分の携帯食料と水の入った革袋を持って食堂に向かう事にした。
階段を降りて広間に着くと、ちょうどディランが馬小屋から戻っていたようで、何やら淡く光る水盆に向かって話し込んでいる。
玄関扉の隙間から庭が見えたが、バレットが無我夢中で蝶を追いかけて飛び上がり、横転したところで扉が閉まった。
「わかりました、お昼頃にはそちらへ」
「ああ、悪いが頼む。急ぎの用なんだ」
「私は構いませんわ。ふふ、ディラン様から頼られるなんて嬉しい。それでは、またお会いしましょう」
水面の光が消えるのを見つめるディランに、ウンディーネかと声をかければ違うと返ってきた。
「あーその……ツテの一人だ。説明しなきゃならない事がある、ついてこい」
彼はそう言うと何やら手に持っていた封筒を懐に仕舞った。
キッチンに着くと、彼はアルジャーノンを手招きし、棚から茶器を出して指示をしながら紅茶の用意を始める。
「その水瓶の中に魔石が沈んでる。水を飲みたい時はそこから使え。無限に湧き出てくるから。顔を洗う時は洗面所の方に同じ魔石がある」
「なるほど、茶葉はここに……毒は入れていないようですね」
「その心配もあるだろうから次からお前がやれって言ってるんだ。なんだこれ召使かよクソ……俺の主は巫女なんだ。優先度も違う。勘違いするな」
「何を一人でぶつぶつ言っているんですか」
喧嘩しながらお湯を沸かしティーポットとカップを温めている二人を置いて、革袋に水を汲み直す。
そういえば、昨夜から気になっていた事を聞いておきたかった。
「食べなくていいと聞いたのだが、本当なのか」
「あいつ勝手に……どこまで聞いた」
「貴方の事を、人間じゃないと言っていた」
嫌そうな顔をしたが、ディランは否定しなかった。
「そうだよ。本当だから食事について俺の事は気にするな。この館にはブラムの趣味の紅茶しかないし、とりあえずそれを食えよ」
「でも、巫女の側近だったのが事実ならあなたは元々人間だったはずでは?」
「まあそうだな」
「矛盾してるじゃないですか。どちらかが嘘だったりしませんよね?」
「人の事でいちいちうるさいな……」
茶葉に湯を入れ、ひっくり返した砂時計から落ちる砂を眺めてごまかしていたが、二人分の視線に耐え切れなくなったのか彼は渋々口を開いた。
「俺は元々普通の人間だった。今は人間の姿をしているが、本性は違う。巫女の使い魔として主従契約を結んでいる状態で、本性が何かは明かしたくない。わかったか?」
「真名だのシジルだの、悪魔には厄介な制約がありますからね」
「わかってんなら聞くなよ」
アルジャーノンと揃って席に着き、持参した棒状の乾パンより硬い携帯食料を二人で取り分けた。
「食べなくていいとは、活動維持のためには必要ないという事か? もし食べた方がいいなら分けるが」
「水分は平気だが、何かを食べると臓腑が腐っちまう。だから本当に結構だ」
話しながら小さな棚の引き出しからペンや便せんなどを取り出すと、向かいに座ったディランは届いた手紙を広げ、返事を書き始めた。アルジャーノンが紅茶を注いでくれたので礼を言って受け取る。簡素な食事の準備を終えた彼は、小気味よい音を立てて携帯食料を齧り始めたので見よう見まねで試しに齧ってみたが、とても固く歯が立たなかったので諦めて手で小さく割り、紅茶に浸して食べる事にした。
机上に広げられた、封蝋された上質な便箋の枚数が多い手紙と、筒状に丸められた小さな手紙にディランが時折目を通している。どうしても咀嚼に時間がかかるので沈黙が場を満たし、必然的に返事を書き記す彼の様子を二人で漫然と眺めることになってそのまま数分が経過した後、何か言いたい事があるなら言えよと絞り出すような声でディランが言った。間髪入れずアルジャーノンが挙手する。
「誰からの手紙なんです」
「こっちはプライベート、差出人の近況報告みたいなもんだ。こっちは失踪事件の話で、昨日の夕方頃ある協力者に心辺りがないか尋ねてみた返事だ。読むか?」
綺麗な方の便箋を腕で隠された代わりに、机に滑らせ差し出された掌程の小さな紙を二人で覗き込む。
墓場に掘り返された痕跡有 黒犬が反応せず 察知遅れて申し訳ない
共通項 行方不明者五名はヴィクター氏の葬儀に関係者として参列 葬儀は一か月前に行われたし
訪問の際は貴殿の銀の弾丸の姿を是非また見せて頂けると誠に幸い重ね重ね何卒よろしくお願いします
何やら最後の一行だけ妙に筆跡が荒れていたが、末尾にはサインの代わりか、赤いインクで書かれた犬の肉球のマークがある。
「行方不明者は全員、失踪の前にとある人物の葬式に出席している。その死体が墓場からなくなっていたそうだ」
「この協力者とは何者なんですか」
「墓守だよ。死体を隠したい時もでっち上げたい時も協力してくれるからな」
「貴方達、やはり良からぬ事を——」
「違う違う早まるな、魔物の仕業を公にできない時によく使う手段なんだ。ギルドだって住民の不安を考えれば治安のために依頼する」
隠蔽するのは城も得意だろとディランが言うと、アルジャーノンはぐぬぬと押し黙った。
「銀の弾丸とはなんだ?」
「バレットの事だ。こいつはとんでもない犬好き、いや犬狂いで、見かけた犬全てに大層なあだ名をつけたがる変な趣味がある」
魔物であるシェイプシフターがイヌ科に分類されるのかは謎だが、小さな紙にみちみちに詰められた筆致から確かにその熱意は伝わった。手紙に書き記す手は止めずに、ディランが口を開く。
「俺は食料調達もあってこれから街に行く予定なんだが、お前らはどうするんだ」
「水の神殿に行きましょう。今の王子の状態を考えると、最優先事項です」
「そうか、じゃあ——」
「貴方も護衛として一緒に来てください」
「私からも是非頼む」
「……どうせ、そうなるんだろうなと思ったよ」
腕に縋りつかんばかりの勢いに呆れつつ、ディランは了承してくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます