第11話 風通しのいい職場です

「服が乾いている」

 浴場から出て、自分の衣服を手に取ると洗い立てのように綺麗に汚れが落ちているにも関わらず、とっくに乾いていた。

「……魔法の使用痕跡があります。巫女の使いの魔法でしょうか」

 スン、と自分の袖を嗅ぎつつ、アルジャーノンは訝し気に呟く。

 身支度を整え、連れだって誰もいない廊下へと出る。とりあえず、宛がわれた部屋に向かおうと共に歩き出した。

 山の上にある館だからか、窓の向こうの星空がより綺麗に見える。

 城の混乱について教えてくれと問うと、彼は言いづらそうに口を開いた。

「……巫女一派と、王権派が揉めております。不穏な動きをしているのは第一王子派の臣下ですが」

 やはり。第二王子である私は正妻の子息だ。これにより王権を継ぐのは私だと言われているが、それを気に入らない一派が生まれた時から存在する。

 当然その筆頭は—異母兄である第一王子、リチャード。

 雨の国は立憲君主政だが、神の代理人とされるのは巫女の方で、権力が二分されている。

 行政は王、催事は巫女が受け持ち、共に話し合って国を導くとされているが、実際それぞれの臣下達はくだらない事で争いが絶えなかった。

 そこに加えて次期国王問題だ。幼い頃は厳重な警戒態勢で、一人で出歩くのも禁止とされたほどだったのに、今になっても危機は去らない。

「巫女には会った事が無い。社に住むと聞いたが、父上と何かあったのか」

「正確には、巫女と現国王、ウーサー王の間は問題ないのです。何やら思惑があるのは臣下達の方で」

「……利権争いか? そんな場合ではないだろう。私は街に出て、城で聞いたこともない事件を数多く耳にしたぞ」

「精霊の儀まで、王族には徹底的な情報規制が敷かれますので……例えば、巫女の発露を知っていますか?」

「……。何のことか全く知らない。会った事がないし、巫女に関連しては儀式や王政の議会に関わるという事しか」

「代々巫女様は齢十六になると心身を捧げて天界と通じ、言葉を授かるお役目でした。天界とは数世代に渡り代替わりした巫女と共に続いておりましたが、今代の巫女様は、魔界と通じていっしゃるのです。今代の巫女様がそう成った現象を、発露と呼ばれています」

「何? では今の王政は悪魔が関わっているのか」

 隣を歩くアルジャーノンは、慎重に言葉を選ぶ素振りを見せた。

「ウーサー王は何かお考えがあるようですが、我らにはよくわかりません。……当代の巫女が発露した際、歴史から消されたとある巫女の側近が原因だと言われておりまして」

「まさか、その側近とはディランの事か?」

「巫女はその側近に唆されたから悪魔に成り、その側近は死刑になったのだと」

「そんな馬鹿な、彼は」

「私は先祖代々から伝わるその噂を聞かされ信じておりました。しかし、先ほど彼に確認したところ、城で伝わっている内容と詳細は違うようで……そうなると、誰がなんのために動いているのか今一度探る必要が出てきます」

 決心したように、アルジャーノンは顔を上げた。

「私は、そして我ら一族は今まで迷うことなく臣下側に身を置いていました。しかし、伝え聞いた内容と矛盾する事がすでにいくつも散見します。例えばこの試練。精霊の封印、転送先の誤ちもそうですが、本当に王族を身一つで放り出すなんてあり得るでしょうか? 巫女側の勢力とは今まで接触がなく、探ろうとも鼠の囁き一つすら聞こえてきませんでしたが、彼らにはこの機会に尋ねたいことが山ほどあります」

 赤い瞳が、強い意志でこちらを見ていた。


 三階に上がり、自分たちの部屋に向かおうとしたところ、何やら廊下の奥の部屋から話声が聞こえてくる。

 アルジャーノンと顔を見合わせた後、奥に進んでみる事にした。

「——窓辺から差し込む朝日と小鳥の囀りに包まれ、朝食の支度をせんと陶製の容器に牛乳を注ぐ麗しき貴方は」

「御令嬢に宛てる手紙か? 募集要項は簡潔でいいんだ。特に住み込みで働けるかが一番大事なんだからちゃんと強調して書いとけ」

「注文が多いなぁ……ふむ、こんな感じかね」

「どれ。えー、住み込み調理担当使用人募集。試用期間あり、日払い対応。食材、調理器具はこちらで全てご用意します、広くて綺麗な浴場入り放題。明るく楽しいアットホームな職場です。可愛いワンちゃんもいます……まさかこれバレットの事か?」

「もう少し福利厚生を細かく書いた方がいいかね。例えば家賃無料週休二日、寮には清掃が入りますとか」

「う~ん。面倒になってきた。うちのどこがアットホームな職場なのか疑問だがそれはおいておいて、正直人間より夜の眷属側の方が都合いい……よし、求人票に魔法掛けとくか。一般には見えないように隠匿魔法を付与、募集要項の記述に視線誘導魔術を仕込んで、最後まで読んだら適性のある者にだけ夜族系誘因魔法が発動するように……こんな感じでどうだ」

「なるほど。それなら薔薇の香りもつけてみよう。苦手だと困るからね」

「馬鹿、求人票に魅了付与はやめろ! 犯罪だぞ!」

「なんと。法改正は早い事だ」

「あーもーまた書き直しに……」

「お二人とも何をしてるんですか!」

 会話の内容にたまりかね、アルジャーノンがドアを開け放ち声を上げた。

 テーブルを挟んで唸りながら書類に向かって顔を突き合わせていた二人、ディランとブラム卿がこちらを振り返る。

「何って……こんな山奥でお前らの食事を俺らが毎回用意できると思うか? 求人募集するんだよ」

「ディラン君は仕事で基本いないし、我輩は昼間寝てるからねぇ。人を雇った方がいいってなったんだ」

「そ、それはすまない……」

「いいえ結構です反対します。得体のしれない人物に、よりにもよって王子の食事の世話など!」

「その得体のしれない人物が来ないように魔法をかけようって話をしてたんだが」

「労働基準法をなんだと思っているんですか⁉」

 従者の悲鳴の勢いで、宙に浮かんだ自動速記羽ペンが回転している。

 一つ気にかかったので、私はつい声を上げた。

「その者の給料はどうなるんだ」

「んなもん経費だ経費。なんとしてでも巫女側、城の方へ請求する。こっちは明らかにお前の世話を押し付けられてる側なんだからな」

「だが、」

「君たちは気にしなくていいよ」

 つーか早く連絡して来いよあいつ!と憤るディランを宥めながら、ブラム卿は笑った。

 未だに納得がいかない様子のアルジャーノンに、じゃあお前料理できんの?とディランが率直に尋ねる。

「……。木の実、の、殻を……齧り切る事が、できます」

「決まりだな。明日求人票をギルドに出してくる」

「待ってください、違うんです、これは」

 求人票を奪おうと背伸びするアルジャーノンをあっさり躱してブラン卿に預けると、風呂に入ってくると言い残しディランは部屋を出ていった。


 ——雨の国の街、夜も更けた頃。兵士が槍の柄で小汚い男の背を小突いた。

「早く歩け!」

「へいへい、酷いじゃないか兵士さん。あっしはあんたらが勤勉なおかげで今夜のおまんまも食いっぱぐれちまうんですぜ?」

「開き直るな! 姑息な奴め、次やったら実刑だぞ」

「へいへい、ご苦労様ですだ」

「へいは一回でいいんですよ。靴を脱いでみなさい」

 鎧ではなく袈裟姿で、寡頭を纏った女性が諭す。

「ありやしませんよそんな所に」

「こいつ! 中敷きの下に隠してるぞ! 小癪な奴め!」

「別に没収されたって構いやしませんがね、臭うんじゃないんですかい? あっしは風呂なんか入ってませんぜ」

「そのお金、預かっておいてください」

「……」

「あっしみたいなスリごときに大げさなもんですねぇ。いや~兵士さんも大変だ」

「貴様が言うな!」

 やいのやいのと兵士により集団で大げさに連行されていくスリの姿を波止場からこっそりと窺い、肩をすくめる男性がいた。

 赤みがかった長い前髪を靡かせ、後ろで緩く結っている軟派な美丈夫だ。

「この街も、随分様子がおかしくなったと思わないか?」

「どこもかしこも暗殺依頼なんて変な話よね。その癖僧兵も出てくるなんて尋常じゃないわ。スリもままならないなんて、この国の裏稼業はいったいどうなっているのかしら」

 積み荷を飛行船に押し込み、そう応えた女性は肩にかかる程の緩く巻いた金髪を払う。

 すると、先ほどからごそごそと揺れていた船体の扉をバタンと開き、小柄な影が忙しなく飛び出してきた。長い尾をくねらせる黒猫の獣人だ。

「ビジネスチャ~ンス! 火の国で金儲けの臭いがするぜ! こんなしけた国なんかやめてさっさとずらかるぞお前たち」

「え、あの依頼はどうするんです」

「あんなもん速攻で適当な下請けに丸投げたよ。この街の様子じゃどうせ成功しないし、どう考えてもこの国はまともじゃねー」

「そうですか。いや~火の国の美女が楽しみだな」

「あんたほんとにそればっかりね。いつか八差路の中心で八方から乙女たちに刺されたらいいんだわ」

「なんてことを……」

 静かにショックを受ける男性に目もくれず、さっさと船に乗り込む女性と、後に続けと手招きする猫獣人。

「予定より少ないが品も仕入れたし、夜が明けないうちに出ちまおう。出航だ!」

「「イエッサー、キャプテン!」」

 得意げに黒い耳を揺らすキャプテンと呼ばれた猫獣人の肩で、黄色いトカゲのような生き物がぺろりと舌を出している。

 小さな飛行船が、人知れず雨の国の夜空を飛び立っていった。

「フフフ……酒池肉林か、そりゃあ誰しも夢見るロマンだが、願望を叶える手段は結局金だ! 為せば成る、為さねば成らぬ、何事も。だがまずは金儲け! この世は資本主義社会なんだよ」 

 窓から夜景を見降ろして金の瞳を輝かせ、ナ~ハッハと腰に手を当て高笑いする猫獣人の尾がくねくねと揺れている。

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