第7話 彼女の視線
勉強を進めていくと、また駄々をこねる幽王くん。
「だー。わかんね!」
「だから、ここは先にこっちを計算するの」
私はそう言って彼のノートに書き込む。
「お、おう」
顔を上げると幽王くんと顔が近かった。
「あ、いや……」
そんなつもりではないのに、顔が赤い彼。
そっと顔を離す。
莉子さんからの殺気を感じたのもある。
前々から仲良いと思っていたけど……。
この様子だと怪しい。
「おれ、ここ分からないんだよね」
幽王くんは困ったように眉根を寄せる。
このままだと莉子さんの嫉妬が怖い。
なら、ここは気を利かせないと。
「私も分からない。莉子さんわかる?」
怪訝な顔をする莉子さん。
いやいいパスを渡したつもりだけど!?
「あ、はい」
私は莉子さんと交代する。
渡良瀬さんがそろそろと近寄ってくる。
「いいことしたね」
「そう?」
照れくさくて私はそっぽ向く。
「さ、勉強しよ?」
私は気持ちを切り替えて渡良瀬さんの手をとる。
自分の行動に少し驚く。
「あ。いや、ごめん」
「……ううん。いいよ」
「じゃあ、この英語教えて」
渡良瀬さんは私の手をとる。
「……うん」
私は渡良瀬さんの勉強を見ることになった。
渡良瀬さんは地頭が良いのか、すぐに勉強を呑み込んでいった。
正午を回ろうとする頃、誰かの腹の虫が鳴る。
「そろそろ休憩にしないか?」
幽王くんがそう言うと、張り詰めていた空気が弛緩する。
「ええ。そうね」
渡良瀬さんもうなずく。
「今日は両親がいないから、俺が作るよ」
幽王くんが立ち上がる。
「乃々葉ちゃん、手伝ってくれるかい?」
「え? 私?」
「毎日、美味しそうな弁当を持ってきているじゃないか」
「そ、それなら……」
私は陰キャじゃない。
これを機会にみんなと仲良くしたい。
そんな思いを胸に立ち上がる。
「……わたしも何かする」
渡良瀬さんも立ち上がる。
「……いいよ」
幽王くんがうなずき、台所へ向かう。
嫉妬の眼差しが突き刺さる。
痛い。
でも私だって楽しい学園生活というのに憧れた。
憧れていた。
私はここで挽回するんだ。
台所に立つと幽王くんが冷蔵庫を見る。
「何を作るの?」
渡良瀬さんが幽王くんに訊ねる。
「パスタにしようかと思う」
「ニンニク、オリーブオイル、ある?」
わたしは調味料を確認する。
「トマトと挽き肉にでもいいんじゃない?」
渡良瀬さんも思いつく。
「うん。あるよ。ペペロンチーノか、ミートソースか……。悩むね」
「ペペロンチーノ」「ミートスース」
私と渡良瀬さんの声が重なる。
「じゃあ、ペペロンチーノにしようか?」
幽王くんは苦笑を浮かべながら、ペペロンチーノの用意を始める。
「むぅ。幽王クンは乃々葉ちゃんに甘いね」
「えっ! そ、そんなことはないよ。俺もペペロンチーノが食べたいって思ったんだ」
「そう。なら仕方ないけど……」
渡良瀬さんの視線が痛い。
なんだろう。この感覚。
「さ。作るぞ」
幽王くんがそう言うと、手際良く食材を刻む。
私たちは湯を沸かしたり、食材を炒めたりした。
できあがったペペロンチーノを机に並べる。
お皿が足りなかったから、一部合わないお皿にのっているが。
「おお。おいしそう」
「幽王君、料理できるんだね」
「いやいや、ほとんど乃々葉ちゃんのおかげだよ。料理うまいんだ」
「ふーん」
なんだか痛い目を向けてくるみんな。
ここで成功していれば、見直されるんじゃなかったの?
食事を始めて、みんな美味しいと言って食べ進める。
食べ終わると、幽王くんが眠そうに船をこぐ。
「あらら。眠いのね」
莉子ちゃんがくすくすと笑う。
そっと毛布をかけて他の人が勉強を始める。
午後二時。
幽王くんが目を覚ます。
「やべ、寝ていた」
幽王くんが顔を上げると、そこにはスマホで音楽を聴くみんながいた。
「みんな、何をしているんだ?」
「いや」
言葉に詰まる私。
友達と遊ぶというのが、こんなに楽しいものだとは思わなかった。
「なに。普通に音楽の話をしていただけよ?」
幽王くんが寝ている間に面白いことをしていた。
きっと彼は怒るだろう。
「何それ。すごっく面白いじゃん!」
だが、テンションの上がる幽王くんだった。
勉強そっちのけでもいいらしい。
私は彼の言動に困惑するが、莉子ちゃんが会話を続ける。
「そうなの。みんないい曲知っているんだよ」
「おう。それなら俺も知りたい」
幽王くんの瞳が無邪気な子どものように揺れる。
鼻が高そうな莉子ちゃん。
私はそっと陰に潜むことにした。
私なんて、この場にふさわしくない。
勉強しながら音楽を流すなんて、勉強に集中できないじゃない。
全然考えが違うんだもの。
私にはできないな……。
音楽を流しながら、勉強を始める。
「ええと。2Xの2乗?」
幽王くんが私に尋ねてくる。
「そう。ここは先にこれをこうして……」
私はできるだけ分かりやすく教える。
「なるほど。こっちを先に計算するのか」
納得いったのか、うんうんと頷く幽王くん。
「ありがと。助かった」
普通の人なら、ここで落ちていたのかもしれない。
でも私には他に好きな人がいる。
可愛いと思った相手だ。
その人の傍にいれば、心臓は早鐘を打つし、この子を笑顔にしたいと思える。
そんな相手だ。
私はその人に近づきたくて、ここにきた。
でも幽王くんの押しが強くて、私は幽王くんの勉強を教えている。
なんだか寂しいものがある。
もどかしい気持ちがある。
私、なんで幽王くんに教えているのだろう。
まだ時間はある。
少しでも彼女に近づきたい。
近づいて、もっと傍にいたい。
だって、私はあなたに恋をしているのだから。
「今日はありがとうな!」
幽王くんがとびっきりのスマイルを見せる。
「おかげで学力が一億倍くらい良くなったぜ!」
「何言っているの? 自分の力で乗り越えたじゃない」
私の言葉にポカーンと開いた口が塞がらないみんな。
「乃々葉ちゃん、優しい!」
渡良瀬さんがガシッと抱きついてくる。
「何よ。私は事実を言ったまでよ!」
事実、幽王くんたちは最後の辺りは時間がかかったものの、自力で解いていた。
自分の力を信じるのが勉強において最大の武器になる。
「ヒュー。乃々葉くんのツンデレ」
「誰がツンデレよ! もう教えないよ!!」
私がこめかみに青筋を立てると幽王くんが口を開く。
「それは困るな」
「すいやせんでした!」
素直に謝る男性陣。
まあ、悪い気はしないかな。
「もういいよ」
「許してくれるのか?」
「そうしなきと謝り続けるでしょう?」
私は不服そうに訊ねる。
そんなことをされたら、学校での居場所がなくなる。
それは大いに困る。
「まあ、そうなるか。これで手打ちにしてくれ」
幽王くんはそう言うと前に出て握手を求める。
私は怖ず怖ずと手を伸ばす。
ギュッと握られる手。
暖かくも優しい手。
でもどこか、慣れない手つき。
恥ずかしそうに手を離す幽王くん。
悪い人じゃない。
それは分かる。
分かるけど。
「じゃあ、ま」
また学校で。
そう言いかけて言葉に詰まる。
その言葉の重みを私は知っている。
「バイバイ」
みんなに言って足早に駅に向かう。
「送っていくよ!」
幽王くんが良い人だって分かる。
でも違うの!
「大丈夫! 莉子さんを送ってあげて」
私は坂を駆け下りていく。
なんだか今、とっても青春している。
充実感が冷めた心を満たしていく。
これが高校生なんだ。
私にも分かった。
分かってしまった。
勉強よりもみんなと居るのが楽しい。
楽しいのが伝わる。
だから青春と言うんだ。
暖かく春の澄んだ青い星、その素晴らしさを知った。
ここに生まれてきて良かった。
初めて自分が自分である気がした。
冷めていた感情に、色が灯った。
それは赤だったかもしれないし、青だったかもしれない。
「やったー!」
はしゃぎ、空高く舞い踊る。
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