第5話 彼女と移動
渡良瀬さんが来なくなって二日。
私はホームルームで先生に問い詰めていた。
「渡良瀬さんはどうしたのですか?」
「ひょ?」
先生が変な声をあげる。
「え。あの冷徹女が他人の心配を?」
「あの噂ホントかよ……」
「身内には甘いんだね」
揶揄する声が聞こえてくるが気にせず先生に迫る。
「いや、何も聞かされていないんだ。本当だ、許してくれ!」
そう言い残し、額に脂汗を浮かべた中年男性の先生は走り出す。
「廊下を走るなんて……」
私は先生の胸中など、欠片も考えずに席に着く。
こんなに胸がざわつくのは初めてだ。
母が悪性腫瘍と診断された時だってこんな気分にならなかった。
なんでサボるのだろう?
成績に響くのに。
成績が悪くなったら就職先が減るというのに。
考えてもしょうがない。
私は席に着く。
「乃々葉さん」
「何?」
クラスメイトの男子につい苛立った声で告げる。
こっちは渡良瀬さんが心配だというのに。
「渡良瀬さんの居場所、知っているぜ?」
「本当!?」
私は身を乗り出す。
顔が近いが気にしている余裕はない。
「教えて!」
「あ、ああ。でも条件がある」
「いいよ」
「なら、俺らの勉強会に参加すること」
それくらいでへこたれる私じゃないわ。
「科学準備室だ」
「ありがとう」
私はその言葉だけを残して二限の現代文を捨てた。
一階の端にある理科室。そのさらに端に科学準備室はある。
顕微鏡などの科学に関わる備品で埋め尽くされている。
その中に目を赤く腫らした渡良瀬さんがいた。
「どうしたの?」
「なんでもない」
歯切れの悪い声で応じる渡良瀬さん。
立ち去ろうとする渡良瀬さんの腕を掴む。
「なんでもないわけないじゃん。話してよ」
私は毅然とした態度で訊ねる。
「あなただから話せないのに」
困ったように頬を掻く渡良瀬さん。
「わたし、フラれてショックだったの」
「それだけ?」
私は感づいていた。
渡良瀬さんは何かを抱えていることを。
「なんだ。わかっちゃうんだ」
からからと笑う渡良瀬さん。
「わたしの両親、いい人じゃないの」
少し寂しそうに訥々と語りだす。
生々しい虐待の話を淡々と告げる。
「もういい。よく頑張ったね」
私は渡良瀬さんを抱きしめる。
「がんばった」
「うん」
「わたし、がんばったよ!」
つんざく声が木霊する。
「そうだね」
泣き叫ぶ渡良瀬さん。
その背中をポンポンと叩き、落ち着かせる。
「もう大丈夫」
渡良瀬さんはそう言って歩き出す。
「……そうだ」
私は思いついたように声をあげる。
「勉強会、来る?」
先程言われた言葉だったからか、それとも彼女の成績が心配だったからか、つい口ずさむ。
「うん。行く」
一瞬だけ瞼を瞬くと渡良瀬さんは嬉しそうにほほ笑むのだった。
教室に戻ると、
「勉強会いつにする?」
「は?」
私が高圧的な態度で応じると彼は怯えすくむ。
「いや約束したじゃん」
それでもなお食い下がる幽王くん。
「あー」
さすがにこれだけの視線を集めていたら断れないか。
「いいよ。いつにする?」
「本当!?」
「何よ。不服があるなら、」
「いやない。ないね」
キッパリと言い放つ。
その態度が気に食わないのよ。
分からないのかな?
「じゃあ、明後日の十一時集合で。いいかい?」
「わかった!」
私よりも先に答えた人がいる。
「渡良瀬さん……」
「わたしも行く。いいでしょ?」
ケロッとした様子で幽王くんに確認をとる。
「あ、ああ。好きにしたまえ」
「良かった」
私は一安心し、小さなため息が漏れる。
「場所はおれんちで、時間は十一時な」
「こいつんち知らないだろうから、少し前にステンドグラス前な」
「ええ。わかった」
念の為、連絡先を交換し、私は外に視線を向ける。
青い空が広がっていた。
日曜日。
まもなくでかける時間の十時。
チラッと時計をみやる。
私の格好、変じゃないよね?
ワンピースとヘアアレンジで清楚な感じを演出している。
メイクもナチュラル系で可愛らしさを見せている。
が、
「誰のためよ……」
こんなに張り切って、私は何がしたいのだろう。
でもどうして彼らは急に私を誘ったのかな。
少し怖い。
姿見に映る自分の姿は曇ってみえた。
ダメだ、私。しっかりするんだ。
渡良瀬さんにこんな顔見せたくない。
少し動画でも見よう。
ネコの動画を見て眉間に寄ったしわをほぐす。
と、時間だ。
そろそろ出ないと。
私はカギをかける時間もおしむほど、慌てて出ていった。
歩いて二十分ほどでステンドグラス前にたどりつく。
時間の十分前についた。
八時二十分。
暇な時間ができた。
これではまるで楽しみにしているみたいじゃないか。
勉強道具をしまった鞄をぎゅっと握りしめる。
友達と出かけるなんて久々だ。
勉強会って何するんだろう。
勉強だけだよね?
私はもやもやした気持ちを抱えながら、時計を盗み見る。
まだ十時二十三分。
そわそわしてきた。
「おはよー。乃々葉ちゃん」
手をふって近寄ってくる渡良瀬さん。
私もふり返す。
近寄ってきて、ギュッと抱きついてくる。
「ちょっと、止めてよ」
「わー。いい匂い」
「ハズいって」
渡良瀬さんはにんまり笑うと、身体を離す。
「早いね」
「まあね」
なんだろう。もっと気の利いた言葉が出てくればいいのに。
私もダメだね。
苦笑していると、渡良瀬さんはそっと耳打ちしてくる。
「男子、いないと良かったのに」
「え」
「なーんて。うそうそ」
それは私と二人っきりで勉強がしたいという意味だろうか?
「ま、いいけど」
渡良瀬さんなら別に構わないと思ってしまう。
しばらくすると幽王くんがやってくる。
「よっ。お待たせしたな。電車が遅延していたのだ」
知っている。
スマホでニュースを見ていたから。
「男のわりに遅いのね」
「乃々葉ちゃん、きついの」
苦笑を浮かべる渡良瀬さん。
幽王くんの笑いは引きつっていた。
「まあ、すまなかった」
彼は困ったように頬を掻きながら応じる。
「さ。行くよ」
爽やか風イケメンとはよく言われていたが、私にはそうは見えない。
他の男子と何が違うんだろう。
そんな疑問をのせて、電車は動きだす。
電車は混雑しており、座るところがなく、私たち三人は立っていた。
揺れで倒れそうになった渡良瀬さんが、私の袖をつまむ。
「わわ。ごめん」
ふっと小さく息が漏れる。
「いいよ」
渡良瀬さんに頼りにされたことがこの上なく嬉しかった。
今度からもっと頼って欲しい。
そう思い私はギュッと渡良瀬さんを引き寄せる。
なんだか嬉しい気持ちでいっぱいになる。
そのまま、手すりに掴まる。
なんだか悪くない気持ちだ。
私も彼女に惹かれているみたい。
もにゅもにゅしたい。
「お二人さん、お熱いね」
幽王くんが皮肉げに顔をしかめる。
「いや、なんでも」
私は慌てて渡良瀬さんを離す。
照れ臭かった。
ぶぅっと睨み付けてくる渡良瀬さんを無視して、私は取り繕う。
「ちょっと可哀想な子って思っただけよ」
「うわ。相変わらず毒舌だ」
苦笑する幽王くん。
でも悪くない顔をしている。
「なんだか面白くないかも」
渡良瀬さんはまたも睨み付けてくる。
いや幽王くんとそんな関係にはなれないけどね。
私はなんでこんな奴と会話しているんだっけ?
「いいもん。わたしだって乃々葉ちゃんとイチャイチャするんだから」
「あの噂、本当なのか……」
幽王くんが口苦しげに呟く。
その顔は苦痛で歪んでいた。
なんでそんな顔をするのだろう。
まるで私が悪いみたいじゃん。
ずるいよ。そんなの。
私は困った顔を見せないために顔を背ける。
そして外の景色を見る。
地下鉄だった。
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