Bicycle Days
ゆう
第1話 Bicycle Days
自分の人生は始まったばかりだと思っていたが、気づいたら40歳を超えて半分を過ぎてしまった。この峠を超えると、今まで見えなかった死というものが、遠くにぼんやりと見えてくるようになった。
この人生はどうだったのだろうか。辛い経験もあったが、仕事や家族に恵まれ、他人から見れば人並みの幸せではあるのだろう。でも、これからは?夢や希望のような、明日にわくわくしていた子供の頃。いつの間に失われてしまった、あの予感のようなものは何だったのだろうか。
昔、10代の頃、私は自転車が好きだった。
初めて自転車に乗って遠くへ出かけたのは、確か小学6年生だったと思う。知っている道のさらに先、そして知らない街を進み、そして知らない街へ。
ペダルを踏むと、時速10kmから15km、時に微風、時に少し強い風と同じスピードで、街を駆け抜けていく。果てしなく長い坂道の重いペダル、一転下り坂の小気味よいタイヤの軽い音と髪を撫でる風。
いつの頃だったか、自転車で思い出すのはあの時だ―。確か中学に上がった頃、思い立って、遠い街の電車の終点、海のある街まで自転車で行くことにした。長い街道に沿って、ひたすらまっすぐ走る。だいたい1時間半くらい走る。海辺の町域に入ったことを示す青い案内標識を通り過ぎ、微かに磯の香りがするようになった、今までは道の先に、遠くの景色、建物などの障害物があったのに、ふと道の先には何もない、道の先はほんの少し上り坂で、その先の近い場所で途切れ、真正面に強い日差しと青い空が見える。その光の先に、ふと目の前に青い海が広がっている―。
自転車に乗らなくなったのは、いつの頃か。あの初めて海が見えたあの時。何かの予感を感じながら海へ向かって駆けている時、そしてあの光を超えて眼前に広がる空と海の青。
人生のいくつかの場面に、あの青の瞬間があった。校舎の近くの公園で、あの娘と語り合った夏。遠い異国の地で、孤独と不安、そして圧倒的な自由を感じた海―。
私は本当に何が好きだったのだろうか。思い出してみること。明日の会議とか、妻の無駄遣いとか、息子のゲームとか、目先のことではない。
やらなければならないこと、やるべきことはすぐに両手に有り余る数が出てくるのに、やりたいことはなぜこんなにも出てこないのだろうか。
我々は時間が足りないと常に感じている。でも、実はそうではないらしい。むしろ自由な時間は増えているのだという。つまらない娯楽に流されているのだろう。大事なのは、スマホをいじるのではなく、自転車に乗ることだ。
久しぶりに自転車に乗って、海にでも行ってみようか。あのBicycle Daysにあったものを探して。
この文章は、残り半分を生きていくために、書き残す備忘録である。私が、これまで失ったもの、あるいは失った気になったもの、これから出会うもの、別れるもの、一つ一つ考えていきたい。
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