第一話 依頼者
「なぁ、
そんな大声とともに、鉄製の重い事務所の扉が開いた。
扉の方を一瞥すると、体格の良い男が入ってくるところだった。
彼の名前は
総一は時折・・・いや、しょっちゅう非科学的なことを平気で口にする。
いつものことかと聞こえないふりをして、手元の資料を読み進める。
「おい、
声が徐々に近づいてくる。
僕があえて無視しているのを知ってか、彼は話を続ける。
「ここ最近、河童を見たっていう目撃者が結構いるらしい。」
総一が持ってくる話は、たいていが眉唾もので、信憑性に欠けることの方が多い。
ただ、ごくまれに、仕事になることもあるので、無下にもできない。
「沢で地元の小学生の何人かが違う日に見たり、夜中に
もし見間違いだとしても、目撃件数が少し多いように思える。
「その多くの目撃者とやらには会ったのかい?」
とりあえず、情報源の確実性を求めて質問してみる。
「いや、まだだけど・・・」
少々ばつが悪そうに、総一が答えた。
「そうか。それは残念だ。」
情報源すら未確認な状態である以上、残念ながらこの話は先へは進みそうにない。
僕が興味なさそうに反応したのを見て、総一が興味を引こうとさらに言葉を続ける。
「でも、河童だぜ? もしいたら面白くないか?」
総一は妖怪や幽霊といった、非科学的なオカルトやファンタジーの類が好きなようで、そういうものを信じたい傾向にある。
それは、知り合ったころから変わってなくて、昔から
それでも十数年来付き合って、あまつさえ一緒に仕事をしていられるのは、ひとえに彼の人懐っこい性格のおかげだったりする。
「河童は腕っぷしが強いらしいから、できたら相撲を取ってみたいだろう?」
そういえば彼は小学校のころから相撲が得意だった。
その後も中学で柔道、高校で空手、大学ではボクシングと一通り有名どころの格闘技の道を進んできた腕力自慢の総一らしい意見である。
以前聞いた話では、高校のころから、趣味で総合格闘技なんかもやっていたらしいから、根っからの格闘技バカと呼んでも差し支えないだろう。
「河童に相撲で負けると、尻子玉を抜かれるんじゃなかったっけ?」
手元の資料を一通り読み終えたので、とりあえず暇つぶしに、彼の話に少し付き合ってやることにした。
「負けないから、大丈夫だろ。」
学生時代にあまたの大会で優勝を果たすほどの実力を持つ彼なら、その自信にもうなづける。
「ところで、尻子玉って、何だろうな?」
総一が疑問を口にするのを遮るように、事務所の鉄扉をノックする音が聞こえた。
僕と総一はその音に反応して、即座に扉の方に視線を向ける。
「どうぞ」
事務所の責任者でもある僕が、扉の向こうに声をかけた。
扉が普通より重いせいもあってか、僕が声をかけてから扉が開くまで、少し時間がかかった。
この事務所はなくなった父母が弁護士事務所として使っていたものを、僕がそのまま引き継いで使わせてもらっている。
主に反社会的勢力向けの案件を多く抱えていた父母が、報復などを恐れたためか、事務所の扉は普通以上に重く頑丈に作られていた。
そのため、扉を開くのに、結構な力が必要だったりする。
扉を開いて入ってきたのは、20歳前後の女性二人。
「こちらは、探偵事務所と伺ってきたのですが。」
入ってくると同時に先頭に立っていたセミロングヘアーの女性が話しかけてきた。
その少し後ろには少し控えめに、おとなしそうなロングヘアーの女性が立っている。
「はい。そうですが、お仕事のご依頼でしょうか?」
僕は立ち上がり、来客の方へと歩を進める。
「えっと、人探しをお願いしたくて・・・」
二人は入り口に立ったままで、話を続けようとする。
「とりあえず、こちらにどうぞ」
僕は二人を事務所のソファへと誘った。
二人の女性はお互いに顔を見合わせた後、扉を離れてソファに腰を下ろした。
総一はそのやり取りを見届けてから、キッチンへと向かう。
「ようこそおいでくださいました。僕はこの事務所の所長を務める、
僕が名乗ると、二人は少し驚きとも不安ともとれる表情を浮かべた。
ここに来る依頼人の半数ぐらいが、同じような反応を見せるので、理由は何となく分かる。
探偵事務所の所長をしている割には若いと思われたのだろう。
そして、若いとなると経験が不足していて、依頼の解決ができないのではないかと不安がる。
「ご安心ください。万が一仕事が完結しなければ、お金は一切いただきませんので。」
そう、それは僕のポリシーであり、安心して仕事を依頼してもらうための事務所としての方針でもある。
仕事が完結しない限り、お金を支払う必要がないとなれば、依頼者の心理的な障壁が一気に下がる。
「もっとも、開業してから5年ほど経ちますが、今までに受けたお仕事はほとんど完結させておりますので、無料になった案件は一つとしてございませんが・・・」
これは事実で、事務所を立ち上げてから、仕事を失敗したことはほとんどない。
受けた仕事はすべて解決している。
それを聞いた二人は表情が少し和らいだ。
二人の様子を見届けてから、僕はテーブルをはさんだ向かいの席に座った。
ちょうどその時、キッチンで準備をしていた総一が出てきて、お茶を運んできた。
そして、全員の前にお茶を並べた後、僕の隣の席に座った。
「こちらは僕の相棒の九十九総一という男です。当事務所では、現在この二名でお仕事をお受けしております。」
紹介されて、総一は座ったまま軽くお辞儀をした。
「それでは、さっそくですが、詳しいお話をお伺いできますか?」
僕が話すのを促すと、先に入ってきたセミロングヘアーの女性が口を開いた。
「私の名前は、
そういうと、隣に座っている眼鏡の女性の方を見た。
「私は、
十六夜さんに促されて、気弱そうな感じで、自己紹介をしてくれた。
「実は美幸のお父さんが、数日前から家に帰っていなくて・・・その行方を探して欲しいんです。」
やり取りから察するに、どうやら二人は親しい友人同士のようだ。
そうでもなければ、友人の父親が失踪したからと言って、一緒に探偵事務所に付き添ってもらうことなど普通はない。
家族に黙って失踪する理由など、何か家族にも知られたくない事情があると推測できるからだ。
「父の名前は
「1週間前・・・」
行方が分からなくなってから、少々時間が経ちすぎているようにも思えたが、何か事情があるかもと中野さんの言葉を待つ。
「出張は2泊3日の予定だったんですが、帰宅予定の日の夜に父からメッセージアプリで、出張予定がもう2日ほど伸びるという連絡があったんです。」
ということは、本来の予定では戻ってくるのは3日前ということか。
「出張の予定が伸びることはこれまでにもあったので、いつものことかと思っていたんですが、出張から戻る予定の日になっても、戻ってこなくて、連絡もない状態なんです。」
「ちなみに、会社はどちらに?」
「父の会社は、大島建設という会社で、施工管理という部門で部長をしています。」
大島建設といえば、国内トップクラスの大手のゼネコンだ。
特に土地の再開発事業を手広くやっているらしい。
再開発事業とは言いながら、裏では強引な手法で土地を獲得する、いわゆる『地上げ』的なこともやっているという噂も聞く。
そういったトラブルで、身を隠す必要が出たのかもという線も脳裏をよぎった。
しかし、仕事が施工管理となると、実際の工事を行う部署なので、今回の失踪とは関係がないのかもしれない。
たしか、この町にあるダムの建設工事にもかかわっていた会社でこの町にも支社が置かれていたはず。
「会社の方には聞いてみたんですか?」
出張ということであれば、会社の方で何か把握している可能性も考えられる。
「会社の方にも問い合わせてみましたが、2泊3日の出張には行ったらしいんですが、予定していた3日目の夕方には会社に戻って、出張の報告書などを作成したあと、会社を出て帰宅したそうなんです。」
「ということは、出張は予定通りに終わって帰ってきた後、美幸さんにメッセージを送ったということですね。」
「そうです。帰ってきた後、2日ほど家に戻れない何か別の用事があったのではないかと思います。」
「中野さんのお母さんはなにかご存じではないのですか?」
「母は3年前に無くなりました。今では父と二人暮らしです。」
「会社仕事以外で2日もかかるような用事・・・その用事に何か心当たりは?」
会社の仕事以外に2日かかる用事となると、ありがちなのは女性関係だろう。
不倫・・・というか、すでに配偶者が他界しているので、交際相手というべきか、娘に知られたくなくてこっそりと旅行に行くのが目的だった可能性も考えられる。
「特に何も・・・父はもともと仕事の話を家ではあまりしないので、父の仕事は、父が持っている名刺に書かれていることぐらいしか知りません。」
どんな会社でも、業務内容は外部に漏れないようにしておくものだ。
それが大手の会社ともなれば、たとえ家族といえど、秘密なのだろう。
「ましてや、会社の仕事以外の用事となると、ますます思い当たることがありません。」
自分の娘に母以外の交際相手ができたとなれば、おそらくすぐには伝えにくいかもしれない。
そうなると、時期をが来るまでは内緒にしているだろうから、娘の美幸さんが知るはずはないだろう。
「新たに帰る予定だった2日後には重行さんから何か連絡はなかったんですか?」
「出張が2日伸びるという連絡の後は、一切ない状態です。電話をしても留守番電話サービスにつながるだけで出てくれないし、メッセージを何度か送ってみたんですが、既読マークもつかなくて・・・」
電話をかけられたということは、回線自体はまだ生きているということになる。
「そうですか。」
まずは会社の仕事以外の2日かかるほどの用事が何だったのかが分からないことには先へ進めなさそうである。
「ここに来る前に、警察には相談に行かれたんですか?」
一応、念のために聞いてみると、中野さんの表情は曇り、その横で黙って話を聞いていた十六夜さんが、少し険しそうな表情になった。
「警察には帰宅予定だった次の日に行きました。でも、あまり対応は良くなくて・・・」
鎮痛な面持ちで、言葉を詰まらせた彼女に代わって、十六夜さんが追加で説明してくれる。
「美幸はそれ以来、毎日のように警察に捜索の状況を聞きに行ってるんです。でも、進展はないといわれて、実際に捜索してくれているのかどうかも怪しくて、ほとんど取り合ってくれないんです。」
十六夜さんは少し興奮気味にまくしたてた。
よほど警察の対応に怒っているらしい。
まぁ、現時点では事件に巻き込まれたとも言えないし、おそらくは『一般家出人』として受理されているだろうから、警察も本腰を入れて捜索はしていないだろう。
「それで、僕の事務所に依頼に来てくれたということですね。」
二人がほぼ同時にうなづいた。
「それでは、重行さんの写真はありますか? それと身体的な特徴を教えていただけますか。」
その後、二人から捜索に必要な中野重行さんの情報を一通り聞いた。
写真は、スマートフォンの中に入っているデータしかなかったので、それをデータで受け取る。
話を聞いている間、父の安否が気がかりな中野さんと、それを少しでも支えようと寄り添う十六夜さんの姿を見つつ、僕は頭の中で様々な可能性を探っていた。
「ちなみに、重行さんは、スマートフォンをお持ちですか?」
「ええ、持ってます。」
「スマートフォンは登録していれば位置情報を取得することができるのですが、試されましたか?」
「警察に行ったときにも聞かれたのですが、家族同士で位置情報を交換するような設定があるとは知らず、わからずじまいです。」
「パソコンなど他の端末を使ってスマートフォンの位置を探す機能があるんです。もし重行さんが使っているアカウントがわかれば、探すことができるのですが、分かりませんか?」
「自宅に帰れば、もしかしたら父の備忘録ノートに書かれているかもしれません。」
備忘録ノートを自宅に残すほど、几帳面な性格の人だったらしい。
「それでは、本日帰宅されてから、重行さんのアカウントを探して、位置情報を調べてみてください。もしかしたら、それだけで重行さんの行方が分かるかもしれません。」
「そんなことができたんですね。そういったことには疎かったので、知りませんでした。帰ってから探してみます。」
わずかな光明が見えたからか、中野さんの表情は少しだけ明るくなった。
その後、依頼として捜索は明日から行うということにして、二人には帰ってもらうことにした。
帰り際に二人はからは、よろしくお願いしますといわれ、お任せくださいと応じて二人を扉の外で見送った。
二人の姿が見えなくなったのを確認した後、総一が口を開いた。
「やっぱり、女性がらみかな?」
総一も僕と同じ可能性にたどり着いていた。
「もう少し聞き込みをしてみないとわからないけど、これまでの経験から言えば、現時点では最も可能性が高そうだね。」
実際に、過去に解決した依頼でも、出張と家族に偽って、不倫相手の女性と旅行に行ってそのまま駆け落ちしてしまったというものがあったりした。
今回の場合は、重行さんの奥さんが他界している以上、相手次第では不倫には当たらない可能性が高いが、交際相手がいるかもしれない。
「今の時点では断定はできないから、明日からは二手に分かれて、重行さんの足取りを追いかけてみよう。」
「そうだな。それで、俺は明日はどうすればいい?」
僕と総一はそれぞれ得意分野が違っている。
推理などの頭を使う仕事を担当するの僕で、荒事や体力勝負の仕事は総一が担当する。
なので、依頼を受けたときに、どういう指針で行動をするのかの指示も、僕がやることになっている。
「とりあえず、重行さんの会社へ行って、美幸さんの話の裏を取ってきてほしい。」
まずは現在入手している情報が確実かどうかを確認する必要がある。
「重行さんの交友関係や、できれば出張と偽ってまでやらなければいけなかった会社以外の用事の内容までつかめるとありがたい。」
「そうだな。」
「あと、出張から帰ってきた日の会社を出た後の足取りも調べてほしい。」
「さすがに、明日一日で全部調べられるかはわからんが、とりあえず頑張ってみるさ。で、俊弥の方はどうするんだ?」
「僕の方は、とりあえず重行さんの会社の情報を裏から調べてみるよ。」
表から見えている情報でも、裏から調べれば違う見え方をしたりするのは世の常である。
会社が公にしている情報と、会社が秘匿している情報が存在しているはずである。
総一には表の情報収集をお願いし、僕は触法に近い方法で会社のネットワークなどにアクセスして情報を引き出す仕事を担当する。
会社が美幸さんに伝えている情報が真実かどうか、重行さんが会社でどういう仕事をしていたのかといったものを調べようと思っている。
「わかった。今日はこんなところだな。それじゃ明日は朝からそのまま重行さんの会社へ向かうわ。」
そういって、総一は事務所の扉の方へと向かう。
「ああ。頼んだ。」
総一に言葉をかけて見送る。
扉に手をかけて、開けようとしたところで、総一が振り向いた。
「そういえば、有美がたまには家に来てご飯でもって言ってたぞ。」
「有美ちゃんが?」
有美ちゃんというのは、総一の9歳年下の妹で、市内の公立高校に通っている高校生。
両親を早くに亡くした僕は、学生の頃によく総一のご両親にお呼ばれして、晩御飯をごちそうになっていた。
その頃はまだ有美ちゃんも小さくて、総一と一緒に年の離れた妹のように面倒を見ていた思い出がある。
2年前に総一がこの事務所に合流してすぐぐらいのころ、数年ぶりに彼の自宅に招かれた時に久しぶりに姿を見たが、すっかり大きなお嬢さんになったなぁという印象。
小さいころに一緒に遊んでいたとは言え、年頃になった彼女からすれば、数年ぶりに出会った僕とは共通の話題もほとんどなかったので、あまり言葉を交わすことはなかったのだが・・・
「まぁ、機会があればぜひまた寄らせてもらうよ。」
おそらく社交辞令的な意味も含まれていると思ったので、こちらも社交辞令として、返しておくことにした。
「わかった、そう伝えておく」
そういうと、総一は扉を開けて帰って行った。
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