第4話 嫌な予感と1日の終わり
場所は変わって、冥府。こんもりとした丘に建つログハウスを訪れる影が、ひとつ。
燃えるような紅の長髪に、ボディラインを強調しつつも、決して下品ではない黒いドレス。妖艶な艶を放つ髪を戴く頭には、顔を半分ほど覆い隠すヴェールが掛かっていた。
「ウッソ…べるちんが1日以上家に帰らないなんて…異常事態じゃない…!」
長い目で見ると、ベルが1日以上家にいなかったことはあった。だが、今この場にいる彼女は、そんな日よりも後に生まれた比較的若い悪魔であるために、それは知らない。
その悪魔は、何もない空間に腕を突き出し、ぐっと握り込む。すると、そこに真っ黒な穴が罅を割るようにして出現した。そうして彼女は、何の躊躇いもなく、その穴の中に消えていった。
◇◇◇
腹ごしらえを済ませたベルたちは、日が残っているうちに、正規の身分証を作ることを決めた。正規と言っても、発行するのは国ではなく、神殿。創造神他主神13柱を祀る、この世界の一大宗教の、エル・ヴァルファス教(以降神殿と呼ぶ)の神殿だ。
イメージとしては、江戸時代にあった寺請制度に似た制度だ。この国においては、国家が人民一人ひとりを管理するようなことはしておらず、戸籍等は全て宗教権力に投げられているのである。
神殿の教徒でなくとも、帝国では神殿での身分証発行が必須となってくる。
「そういえば、ベル。ベルって悪魔だけど、神殿に行って大丈夫なの?」
ニーナがこう心配するのは、神殿勢力が、悪魔を目の敵にしているためだ。その原因の8割はベルによるものだが、ベルはそれをおくびにも出さずに答える。
「へーきへーき。僕レベルにもなるとね、神殿の目も欺くこともできるんだから」
「ほんとかなぁ…」
一方の足取りは軽く、もう一方はあまり気の進まない様子で、神殿への道を進んでいく。露店で買った串焼きを食べ終えてから約10分、ベルたちは、神殿へと辿り着いていた。
(はぁ…あのチャラついた声が頭に浮かぶよねぇ)
神殿の作りは荘厳かつ重厚。石造の街並みの中でも異彩を放ち、一際存在感が立っている。そこからはまるで、神気が出ているようで、ニーナはものも言えずに茫然自失といった様子に陥っていた。
一方のベルはというと、遥か昔に聞いたあの声を思い出していた。
(何の説明もなしに冥府にほっぽり出してくれちゃってさ)
最近は特に用事もなかったので干渉することはなかった、あの声だ。あとあと創造魔法をくれたりしたから、そこまで恨んではいないが、最初は苦労したものであると、ベルは内心でつぶやく。
(ほんと、嫌になっちゃうよね)
1人気を持ち直し、ベルはニーナの手を取って神殿へと足を踏み入れた。
神殿の中は、神々の像に向けて礼拝の姿勢をとる信徒で溢れかえっていた。
神々を象ったその胸のペンダントには、それぞれを象徴する色の宝石が嵌め込まれていて、信徒の持つペンダントの色と対応している。この宗教では、一つの母体の中でいくつかの神派に分かれて信仰されている。信仰の大元は同じだが、個々人が信仰を向ける対象は別々と、なかなかに珍しい宗教なのである。
もちろん、身分証を発行するために利用する、ベルたちのような人間も一定数存在するので、この神殿にいる人たち皆敬虔な信者というわけではない。
「すみません、僕とこの子の身分証を作って欲しいです」
「はい、初めてお作りになるのでしょうか」
「ええ」
「でしたら、この書類に名前と性別を記入してください」
手続き自体はシンプルなもの。A4程度の大きさの羊皮紙に、自分の名前と性別を記入するだけ。あるあるの、水晶に手を翳してその人の犯罪歴を調べたりするといったことはしない。
(ファンタジーものじゃ、犯罪歴のチェックとかするけど、あんな過去のことを掘り起こす魔道具なんてそうそう作れるものじゃないからね〜)
悪魔ですら、時間に干渉するレベルの魔法は、ベルを含めた7柱の悪魔とその直属の配下程じゃないと、扱うことがかなわない。そのレベルの魔法効果を、寿命に縛られる人間が、道具に付与できるはずもない。
そのために、ベルは何も怪しまれることなく身分証が作れると踏んでいたのだ。そもそも、ベルの正体を見破るには、極めて魔力感能力の高い聖女レベルが必須なのだ。
「はい、かけました」
「確認いたします。ベル様と、ニーナ様ですね。では、これより、あなた様方の身分証を発行しますので、しばしお待ちを」
そう言われ、待つこと数分。先ほど対応に当たってくれたシスターが、手に小さな板を持って戻ってきた。
「こちら、お二人の身分証となります。紛失した際、再発行には銅貨3枚がかかりますので、お気をつけくださいませ」
「ありがと〜」
そこから、何やかんやと必要なものを買い揃えていると、気がつけば日が完全に落ちていた。
「お腹空いた…」
またもお腹を鳴らすニーナに、ベルは優しく笑みを浮かべて見下ろした。
「ご飯にしよっか。何がいい?」
「えっと…串焼き?」
「さすがに連続はなぁ…あ、そうだ。ちょっと待ってて」
そう言うとベルは、ニーナを連れて人気のない路地に入っていく。怪しく思ったのか、ニーナの顔には若干の不安が浮かんでいた。
「えっと…ほれ」
ある程度奥まで進んだところで、ベルは腕を突き出し、何もない空間を殴りつける。すると、そこがバキバキに罅割れ、真っ黒な穴がぽっかりと空いた。もちろん、壁などに空いたのではなく空中での出現なので、穴が不自然に浮いているような状態である。
「ベル…これ何?」
「ん?簡単に言うと、冥府への門かなぁ」
簡易的であるので、突発的に自然発生する冥府門とは違い、時間経過で修復されるが、この穴の先はベルの丘の上の小屋につながっている。
「冥府…え?ベルは、そこに私を連れていこうと?」
「そうそう…って、ああ、あんまり冥府にいいイメージないのかな」
ニーナの少し怯えた表情を見て、ベルはハッとした。多分ニーナは冥府に対してあまりいい感情を抱いていないと気がついたのだ。
実際、現世で生きる人族や亜人族の間で冥府は、死んだ業の深い罪人が一生終わることのない苦痛を味わう場所であったり、最凶最悪の悪魔どもが闊歩している場所であるというイメージが定着している。確かに、悪魔は闊歩してはいるが、別に日々争いが起きているわけでもないし、死んだら罪人善人関係なく魂は輪廻するので、魂が苦悶に喘ぐといったこともない。
むしろ、煩悩多い人間が蔓延る現世の方が地獄であると、人間であった前世を持つベルは思っていた。
「まあまあ、一旦入ってみよ」
「う、うん…」
ベルは、少しずつ閉まっていく穴の中にニーナの手を引いて入っていった。
「うわぁ…すご…」
穴が繋がったのは、ベルの小屋の隣だった。平原は月光に照らされ、風に靡く草があたかも波打つ海の如き様相を呈している。
あまりに荘厳なその光景に、ニーナは思わずといった感じで息を呑んだ。自分の想像していた景色と違った風景が広がっていることにも驚いているんだろう。
「ちょっと待ってて」
ベルはニーナを大木の下の机に座らせ、小屋に入った。もちろん、食料品を取るためである。
ニーナを待たせるのも悪いと思ったベルは、冷凍パスタを冷凍庫から取り出し、電子レンジでチンする。ベルが物質創造で作り出したものなので、スペック自体も大幅に大幅に向上している。そのため、普通ならば7分ほどかかるところを3分で済ませてしまった。
「お待たせ〜」
「いい匂い…ベル、これは?」
出来上がった冷凍パスタに興味津々のニーナ。ベルが用意したのは、前世から特にお気に入りであった明太子パスタである。こっちの人間の口に合うかはわからないけど、と、ベルは心の中でつぶやいた。
「はい、フォーク」
「あ、ありがとう…いただきます」
不器用ながらもパスタをフォークに巻き、まだ湯気の出るフォークに息を吹いて、一生懸命に熱を逃すニーナ。その様を見ながら、ベルは麺に明太子を絡ませ、同じようにフォークにパスタを巻き取っていく。
「おいしい…美味しいよ、ベル!」
一口食べた後、ニーナが少し興奮気味に言った。
「よかった。口に合わなかったらどうしようかなって思ってたんだよねぇ」
ベルもそう言った後に巻き終えたパスタを頬張る。やはり、美味しい。明太子特有の風味と辛味が、パスタと絶妙に絡み合って、ベルの食欲を刺激する。
悪魔だから本来は食事を必要としないが、やはり美味しいものは食べたいわけで、それは一種の娯楽と言ってもいい。
ベルとニーナは次々とパスタを巻いては口に運んだ。
こうしてゆったりと時間が過ぎていく。
悪魔と少女のファーストキス 海鮮丼 @samonana
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