第一章 傲慢公爵の素晴らしき取引

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 春の初めのころである。

 大陸南西の海に面して、風光めいなセイリジン王国はある。一方にわんいだき、他方は山を背にするように広がる王都には、山のさち、海の幸がふんだんにあふれ、大きな港にはずらりと商船が並ぶ。

 そんな活気ある王都のやや外れの海岸、日の出前の朝焼けに照らされた小さなには、りょうたちが出すぶねい、おもてげんかんとして使われる港とは異なったぜいがある。

 せまはまで古びた修道服を着込んだ少女が、海風を受けてなびくヴェールをかみとともに押さえながら、足元の貝を拾ってあいに満ちたみをかべた。

 ももいろひとみをうっとりと細める様は、神秘的ですらある。まさに神に仕え日々いのりをささげ、つつましい生活を送る女性のしょうちょうのように見えた。せいひんていけつちかいを立てた修道女のかがみともいえる姿だ。

 けれど実際のところ、少女は心の内で、かんふるえていた。


 ――大物だ。


 少女の近くで八歳から十二歳ほどの子どもたちが三人、同じように貝を拾っては手持ちのあみに入れていく。もくもくと作業をこなし、きびきびと行動する様は、一種異様なふんである。まるでどこかの軍隊のようにとうそつが取れている。

 だが、少女が巨大な貝にい知れていることに気がつくと、わらわらと集まってきた。


「リリィねえの大きいっ」

「何人分になるのかな?」

「これ絶対においしいよね!?」


 キラキラとしたじゃな瞳を向けられて、リリィは慈愛に満ちた笑みで子どもたちをむかえる。


「うふふ、みながおなかいっぱいになってしっかり働けるくらいにはあるわよ。ずっしり重たいから身もまっていて絶対おいしいわ!」


 少女の満足げながおを受けて、子どもたちからもかんせいがあがる。


「おおーい、リリィ。朝から精が出るなあ」


 そんな中、夜のうちからふねに乗り込んで沖に出ていた漁師が、浜辺にいる少女に気がついて声をかけてくる。

 リリィはゆうに手をって答えた。

 人目がある場所では、おしとやかに。ぶんぶん手を振ったら、これまでリリィが築き上げてきた『慈愛の修道女』のイメージがくずってしまう。それはとてもまずい。

 リリィは修道女の格好をしているが、せいがんしたわけではないので完全なるにせものである。ただ置いてあったから着ているだけなのだ。修道服を着ているただひとだが、いんのためにもバラすわけにはいかない。


「おはようございます、おかげ様で」

「ああー、なんだってぇ?」


 慎ましやかに答えたリリィの声はとても小舟までは届かなかったようだ。大きな声を張り上げた漁師に向かって、察した子どもたちが口々に答える。


「たくさんとれたよー、ありがとう!」

「リリィ姉も感謝してるってさあー」

「あと、おはようございまあすっ」

「おうよ、おはよう。たくさんとれたなら、それはよかった。しっかり食って大きくなれよぉっ」


 子どもたちの声に合わせて、リリィが網に入ったたくさんの貝を持ち上げて見せれば、心得たように漁師もにかりと笑う。こぶしかかげるよくやったというポーズに、大きく手を振ってこたえる子どもたちを、リリィはゆったりと見つめた。


「ナイスフォロー助かったわ、ありがとう」


 リリィは、すかさず子どもたちに感謝を伝えた。


「ううん、平気だよ」

「イメージ戦略は大事だって、いつも言われているもんね」

「助け合いは孤児院のモットーでしょ?」


 得意げな表情の子どもたちに囲まれて、リリィはますます目を細めた。

 子どもたちは可愛かわいい。生意気ざかりではあるけれど、孤児院でいっしょに暮らす仲間を家族と思い、支え合い、づかい合う。他人をいつくしむことのできるいとしい子たちだ。そんな少女のまなしは朝日に照らされて、どこまでも美しくおかしがたいこうごうしさに満ちていた。たとえ内心で子どもたちの腹を満たせるほどの大漁ぶりにおどりしていようとも、おくびにも出さない。

 養っている子どもたちのためにも、慈愛の微笑ほほえみは崩せないのだ。

 少女に声をかけた漁師に、若い新入りが不思議そうに尋ねた。


「あの子、修道女ですか?」

「そうか、お前は王都に来たばっかりだから知らんのか。あれが、今ちまたで話題の『慈愛の修道女』様だ」

「ああ、彼女が……」


 がらな少女はけいけんなる神のしもべで、まつな修道服をまとい、古い孤児院で十五人の子どもたちと年老いた院長と暮らしている。けんしんてきけな。日夜子どもたちのために働きめであるにもかかわらず、常に微笑みを絶やさない。

 街に出れば、困っているどんな相手にも迷わず手をべる。清貧をモットーとし、周りから何をめぐまれても子どもたちのために使い、朝に晩に幸福とあんねいの祈りを捧げているという――。

 王都でうわさの『慈愛の修道女』の話をはんすうして、新入りは思わず拝みたくなった。


「本当にはかなげで尊い少女ですね……っ」


 新入りのかんたんに、漁師は大きくうなずくのだった。



 孤児院の食堂――なんて呼んでいるけれど、ただ大きなテーブルが真ん中に置いてある広間――に子どもたちが左右に分かれて整然と席に着いている。


 目の前には朝から海でとってきた貝をふんだんに使ったスープやサラダが並ぶ。パンはかたいのでスープにひたさなければ食べられないけれど、昨日のうちに別動隊が調達した山菜と野鳥のおかげで十分にぜいたくな朝食である。

 実際、ここまでの食事を毎朝とれるかというとそれは難しい。だが、きっと今日は貴族のそれにもひってきする内容だろうと自負している。

 並べられた料理を前に、一同はかたんだ。


「さあ、食べましょう」


 修道服姿のリリィが祈りを捧げうながせば、いっしゅんで食堂は戦場と化す。

 リリィはため息をついた。子どもたちは十五人。皆育ちざかりの食べ盛り。病気になればりょうに金がかかるので、元気いっぱいなのは大変喜ばしいことではあるのだが。


「お前のパンのほうが大きい!」

「ねえ、肉が全然入ってないよ」

「この野菜苦手~そっちちょうだい」

「やだ、こぼさないでよ。もったいないじゃないっ」


 黙々と食事を口に運ぶのは、孤児院の院長であるこうれいのヴェッガだけである。


「食事中は静かに!」


 お玉を片手に、リリィは声を張り上げた。

 かたまでの長さでくせのある茶色の髪がふわりとれる。大きなまん丸の桃色の瞳をり上げておこったけれど、子どもたちにはどこく風だ。


「リリィ姉、そんな大声出したら、メッキがはげるぞ。あれ、化けの皮だっけ?」

「どっちでも同じだよ、せっかく『慈愛の修道女』なんて呼ばれているくせに。いつも微笑みを浮かべてだれにでもやさしくておだやか。儚げで、尊くて美しいってさあ……本当に誰のことって思うよ……ここは『元』修道院だし、リリィ姉は修道女の格好しているだけなのにな」


 年長の少年二人がさかしらに口を開けば、となりで食べていた同い年の少女は首を振った。


「皆、だめよ。リリィ姉がそれっぽくしてくれているおかげで、周りの善意が集まって満足なご飯が食べられているのよ? 実体がどうでも、バラすのはいけないことだわ」

「ゲミ、トンリ、ミトア。言いたいことはそれだけかしら?」


 にっこりと微笑めば、三人はばつの悪い顔を見合わせて、静かに食事にもどった。

 びんぼう孤児院の最高権力者は、実は院長ではなく、経理担当のリリィである。次の日の彼らのおやつ配布に明確にひびくのだ。

 ちなみにリリィは孤児院の職員けん経理兼広報兼食事係兼買い出し担当である。広報活動にはれいにするところから、建物のせいそうまでふくまれている。

 とはいえ、いくらここで働いたところでリリィにお金は入らないので、そこは清貧を求められる修道女らしいと自負はしている。

 ちなみにお金をかせぐために外に働きに出ても、それで得られる額ではとうてい十五人もの子どもたちを養うことはできない。貴族からの善意の寄付も届くには届くのだが……上手うまいのか下手なのかわからない絵画など、とにかく的外れですぐにかんきんできないものばかりなのだ。

だからリリィは孤児院で皆の世話をしつつ、収入を得るためのもう一つの手段として自らこうこくとうを務めることにした。

 それが『慈愛の修道女』である。

 特に最初からリリィがそう広めたわけではなく、元修道院であった孤児院の前身をこうりょし、個人的にちょっとしたコネのあるハインリッヒ・ウラウスはくしゃくの助言にのった形だ。

 伯爵は毎月いくばくか孤児院に支援してくれる貴重な存在で、リリィにがらい世の中でくための知識もあたえてくれた。さらには孤児院の運営に困っているリリィに、世間の同情を集めて資金を手に入れるという画期的な手段を考えてくれたのだ。博愛のしんのような存在として、リリィの噂を世に広めたのである。

 まだ十六歳のいたいけな少女が十五人の子どもをかかえ、ろうきゅうした孤児院でけんめいに働いている。満足にない食べ物を、子どもたちに分け与えつくろい物をし、折れそうな細い体でそうせんたくすいを一手に引き受け朝から晩まで働き詰め。それでも笑顔を絶やさない聖母のような存在だ、と。

 そんな『慈愛の修道女』を助ける孤児院の子どもたちもまた聞き分けがよく、皆真面目で心根の優しい良い子たちである。小さな孤児院で肩を寄せ合い、おたがい助け合って生きている――。

 ついでに毎日同じ格好をしているリリィだが、みだしなみは大事だと髪だけはふんわりとつやが出るまでかしている。愛らしさは同情を買う上で重要だと、うわづかいと悲しげながちの特訓をさせられたことは、今ではなつかしい思い出である。その仕草にどんな効果があるかはわからないけれど、実際に見た人の態度がコロリと変わるので、それなりにれんびんさそうのだろう。

 ちなみにその演技指導は王都一の劇団の看板女優デリールじきでんのため、やたらと本格的だった。しょうかいしてくれたのはもちろん伯爵である。

 そんなちょろい設定でうまくいくわけがないでしょう、と当初リリィは笑い飛ばしたものだが、あれよあれよという間に噂は広がり、寄付が集まった。おかげで以前に比べればずいぶんと暮らし向きはましになったといえる。

 本来リリィは活発で、元気はつらつとした性格なのだが、世間ではそれを押し隠し『慈愛の修道女』の人物像を守るため、イメージを崩さないよう努めている。代わりに外ではちょっぴり働きづらくなったけれど、懐事情を知っておうえんしてくれる人たちが大勢できたのは喜ばしいことだ。


「はーい、注目。今朝の一等賞はグラ、メリア、バナーよ。機転をかせて私を助けてくれてありがとう。そして、たくさんの食材をとってくれました! おかげでこんなにらしい朝食になったわ」


 浜辺の出来事を語れば、食べていた子どもたちから三人にやんやのかっさいはくしゅが送られた。まんざらでもなさそうな顔の彼らを見つめて、リリィはほっこりする。そうして孤児院が温かくて、大切な場所であると実感するのだ。この光景をいつまでも守りたい。そのためには、日々の積み重ねがかんようである。

 きりっとした表情に変えて、リリィはきびきびと声を張り上げた。


「じゃあ今日の予定をかくにんするわよ、まずは山隊。しゅんの山菜がまだとれるそうだから、しっかり見つけてきて。肉は残っているけれど、うさぎがいればってきてくれると助かるわ。次は海隊ね。朝に漁師のフェックさんが大漁だって言ってたから、その手伝いをお願い。うまくやればちんはずんでもらえるわ。仕事あっせんじょの人の邪魔はしないよう気をつけてね」


 子どもたちを見回して、一日の行動を確認する。四班に分け、わりで仕事を与えるのだが、その日の皆の様子を見て振り分けるのが重要だ。


「次は街隊。グイッジがたのみたいことがあるって言っていたから、午前中に顔を出して。最後に居残り組よ。今日は天気がいいから窓のそうもしてね。あと、課題を提出するのを忘れないこと」


 グイッジとはこの孤児院の出身者で、今はしたである。

 自身ははっきゅうであるものの、時折孤児院の子どもたちを手伝いに呼びづかいをくれる。まだ働けない子どもたちは、そうやって少しずつぜにを稼ぐしかないのだ。

 居残り組はまだ世話をしなければならない二歳のセイルの子守りをしつつ、孤児院の掃除を担当する。ついでに読み書きの学習があるので、どっさりと課題を与えられているのだ。


「うう、リリィ姉、あれ、もう少し減らさない?」

「将来いい仕事にくために必要なことだって言ってるでしょう。それと、またお貴族様から寄付があったから、検品して目録を作成するのを忘れないこと」


 昨日、寄付として大量のつぼが届いた。

 高価かどうかはわからない。たいていはその貴族がしゅで集めたとかで、置き場所に困った無価値なものが多く、おかげで孤児院にはやたらと物が溢れている。あまりに数が多いので、目録を作っておかないと後で困ったことになるのだ。

 仕事をり振られ、一様にうなれている子どもたちを、元気づけるように声をかけた。


「他に質問はない? うん、ないわね。なら、今日も一日家族みんなのためにがんりましょう!」

 孤児院は運命共同体のようなもの。仲間であり、家族であり、分かち合うことが大切だ。


「それ、質問受ける気ないやつ――っ痛」


 ゲミが食事をしながらぼやいて、トンリに足のすねをられていた。それを他の子どもがくすくすと笑いながら見ている。オンボロ孤児院ではあるが、リリィが昔立案した運営戦略のおかげでなんとかやっていけている。

 幼いリリィが捨てられても、仲間たちとここで笑って生きてこられたように、彼らにもかんきょうを整えてあげたい。子どもたちがより幸福に過ごせるといい。

 こんなこと、神に祈ったところで解決はしないが、金は裏切らない。より幸福になるためには安定した生活を送ることが大事で、そのためには少しでも多くの収入を――そう願って必死で毎日をやりくりしてきたのだ。最近ではその努力が実り少しだけ生活水準がましになったように思える。

 そうしてやや上向きかけたように見えた孤児院だが、とつぜんきゅうに立たされた。


 ――きょがくの借金があることが判明したのだ。

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