傲慢公爵は“偽り修道女”の献身的な愛を買う

久川 航璃/ビーズログ文庫

序章 傲慢公爵は偽り修道女の献身的な愛を買う


 おくの中にあるのは、冷たい少年の声。

 立派なしきの窓ガラスをたたく雨音に混じっていても、聞きちがいようがなく、はっきりと告げられた言葉だけ。


『くたびれた修道女の見すぼらしい格好をした君は、どうしたって貴族の僕にはり合わないだろ。わたしていた金で身なりも構わず、いんや子どもたちにばかり使ってさ。そんな君にあいかしてしまうのも仕方ないと思わないかい。そもそも愛しているなんて、とんださっかくだとわかったんだ。だから、彼女とこんやくしようと思ってる。つまりこいびとは今日でおしまいってこと。リリィだって、そのほうが気楽だろう。僕に付き合って、しょみんが無理に貴族らしくわなくてすむんだよ。それに、君は僕よりもお金が好きなんだから、こんなことで傷つかないでしょ』


 屋敷のげんかんホールでリリィに向かって言いよどむことなく告げられた言葉に打ちふるえたのは、別に彼に会うまで雨にれながら屋敷の外で何時間も待たされ、冷え切ったからだけではない。

 古めかしい修道女の服は雨を吸ってぐっしょりと重く、さげすむような彼のひとみを見るまでもなく自分がろくな格好をしていないことはわかっていた。

 たった今、元になった恋人であった少年からの一方的な宣告。

 リリィの心情を決めつけているものの、自身も否定の言葉を持たなかったのも事実。

 けれど、決して彼よりお金を優先させた覚えはない。

 これまで自分なりに大事に思ってきた彼に、裏切られたような気持ちになった。

 同じきょうぐうで助け合って。同じ目線で微笑ほほえみ合っていたはずなのに、とんだ手のひら返しだ。立場が変われば人は変わるのだとき付けられた。そうしてリリィは彼が同じ家格のれいじょうと婚約したと聞いた。

 だから、リリィはおごったごうまんな貴族がきらいで。

 だから、リリィは愛を告げる恋人など二度としいとは思わなかった。

 愛なんて無価値なものじゃ日々暮らしていけない。彼の言うとおり愛より金だ。

 ――だというのに、目の前の男はなんと言った?


「その愛を言い値で買おう」



 リリィが過去の回想からもどってまばたきした先、目の前には物語からてきたような王子様がいる。ばゆいばかりのつややかな金色のかみに、空色を写し取った真っ青な瞳。

 宝石をちりばめたかのようなキラキラしい容姿は、視線を向けることすら庶民にはためわれるほどである。長いあしゆうに組んで、けているの背に体を預けている姿は、まるで一枚の絵画のよう。

 そんな彼の横にある小さなテーブルには金貨が積み上げられている。こちらは実物だ。本物かどうか思わず疑ってしまうほどの、今まで見たこともない量の金の山である。それをこれ見よがしにしげもなく並べられて、リリィは二重の意味でまぶしさに顔をしかめた。

 いや、実際彼の身分は元王子で、国家予算にひってきする財力を有している。それほどの大金持ち、いわゆるだいごうだ。

 ダミュアン・フィッシャール。二十三歳という若さできょまんの富を築いた若きこうしゃく様。

 庶民といえどもうわさだけは聞いていた。それはもう数々。お貴族様というものは話題に事欠かない。王族を除いた、その頂点に君臨するおんかたである。

 そんな雲の上のような存在に呼びつけられて、今こうして自分が対面していることすら信じられないというのに、その上かけられた言葉の意味がわからない。


「おい、聞いているのか? それとも聞こえなかったのか」


 そんだいさをかくそうともせずに、若き傲慢公爵は形のうすくちびるを動かした。だれか別の人が彼の後ろにいるわけではなさそうだ。間違いなく、目の前の男が話している。

 つまり、公爵本人がそうのたまった、というわけだ。

 貴族は庶民にはよくわからない感覚で動いている。傲慢な貴族になればそのかいはさらに大きくなる。彼らは、庶民に感情がないとでも思っているのだろうか。

 金さえ出せば、なんでも思いどおりにできるって?

 ――残念ながら、リリィはお金のためなら、なんでもするのだけれど。

 そうかくしてこの場にのぞんでいるはずだった。だが、眩暈めまいを覚える。


「お前のその尊い愛を言い値で買ってやるから、俺を愛するんだ」


 どうやら聞き間違いでも、言い間違いでもなかったらしい。愛、ときた。

 リリィは売れるものはとにかくなんでも売ってきた。手作りの造花や洋服、果てはガラスの素材になる貝がらまでも拾った。労働力や、若さや体力だって立派な商品だ。

 孤児院でたくましく育った庶民のリリィは、とにかく金が必要だった。孤児院の子どもたちのためにも、金はどれだけあっても困らない。だがごくひんの孤児院は今、退きをせまられ、ほうもない額の借金を返さなければ、そく建物のこわしが決まる。

 しかしだ。だからといって、これはないのではないだろうか。

 昔裏切られて、いっさい信じられなくなった――愛である。

 とにかく思うことは一つだけ。


 ――本当に、傲慢なお貴族様の考えることってまったくもってせないわ……っ!

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