第2話 金曜の夜

疲れが積み重なった金曜日の夜。七瀬紗月は、ソファにどさりと体を沈めた。

「はぁ……もう無理。今週はほんとに頑張ったよね、私……。」

部屋の中は静かで、薄暗い照明が心地よいけれど、どこか心が満たされない。紗月はしばらく天井を見つめたあと、ぽつりとつぶやいた。


「ねえ、今日は私も甘えたい気分なんだけど……いい?」キッチンの前で座っていたフドは、その言葉を聞いてか聞かずか、尻尾を振りながら紗月のほうにやって来た。

「フド……食べ物目当てじゃなくて、たまには私にも構ってよ。」

紗月がそう言いながら手を差し出すと、フドはぽっちゃりした体を揺らしながらその手にスリスリと顔を押しつけた。


「ほんと、あんたって単純だよね。でも、そのお腹、触っていい?」

紗月はフドのお腹にそっと手を置き、柔らかい感触に顔をうずめた。フドは少し驚いたように目を丸くしたが、しばらくするとゴロゴロと喉を鳴らし始める。

「ありがとうね、フド。あんたのこの柔らかさ、最高……。」

紗月の顔には、少しだけ笑みが戻っていた。


次に紗月は、ソファの背もたれで丸くなっているカマに目を向けた。

「カマ、こっち来てよー?」

呼びかけると、カマはぴょんと軽やかに紗月の膝の上に飛び乗った。すぐにゴロゴロと喉を鳴らしながら、体を密着させてくる。


「さすが甘えん坊さん。今日は私も甘えさせてもらうからね。」

紗月はカマを抱きしめると、その温かさにほっと一息ついた。カマは小さな顔を紗月の胸元にうずめ、さらに甘えるように体を押し付ける。

「こんな風に誰かに甘えたいって、最近ずっと思ってたんだよね……ありがとう、カマ。」

カマは「もっと甘えていいよ」と言うように、しっぽをくねくねさせていた。


窓際で静かに外を眺めていたツンのほうを見た。

「ツン……あんたは、どうせそっぽ向いてるんでしょ?」

そう言いながらも、紗月は立ち上がり、ツンのいるキャットタワーのそばに座った。ツンはちらりと紗月を見たが、やはり目をそらす。


「もう、意地っ張りなんだから。でも、今日は私も甘えさせてもらうからね。」

紗月がそっと手を伸ばし、ツンの背中を撫でると、彼は少し驚いたように耳を動かした。それでも完全に拒否することはなく、紗月の手を受け入れている。

「ほら、そんなに嫌がらないで。あんたがいてくれるだけで、私、本当に助かってるんだから。」

紗月がしばらく撫で続けると、ツンは仕方なさそうに彼女の膝の上に移動してきた。


「やっぱり優しいよね、ツン。ツンデレでも、そこが大好き。」

紗月が静かに微笑むと、ツンは顔をそむけながらも、そっと彼女に寄り添った。


三匹に囲まれて、紗月は静かに目を閉じた。疲れた心がじんわりと温かさで満たされていく。

「ほんと、あんたたちがいてくれるだけで、私、明日も頑張れる気がするよ。」

その言葉に応えるように、フド、カマ、ツンの喉の音が部屋に優しく響いていた。


深夜、七瀬紗月が眠りについた後、静かな部屋に三匹の猫が集まった。普段はただの愛らしい猫に見える彼らだが、こうして人知れず集まり、密談を交わすことがある。


「……今日の紗月、ちょっとおかしかったと思わないか?」

フドがぽっちゃりした体を揺らしながら言った。いつもは食べ物のことばかり考えている彼も、今夜ばかりは真剣な表情をしている。


「なんだか元気がない感じだったよね。いつものご飯くれコールも、なんか弱かったし……。」

ぽんぽんとお腹を触りながら、フドは心配そうに言葉を続けた。


「うん、僕もそう思う。」

カマが小さな声で答えた。黒い毛並みを光に反射させながら、少し縮こまるようにしている。


「紗月、最近仕事が忙しいみたいだし、あんまり寝れてないのかも。僕、膝の上でゴロゴロしてたけど、なんだか体温が冷たかった気がするんだ……。」

甘えん坊のカマでさえ、不安を隠せない様子だった。


「ふん、そんなの今に始まったことじゃないでしょ。」

ツンが窓際でしっぽを揺らしながらそっぽを向く。けれど、その声にはどこか心配そうな響きが混じっていた。


「でも、確かに最近の紗月は体力が落ちてるかもしれない。あんなに私に甘えてくるなんて、ちょっとおかしいわ。」

ツンは軽くため息をつくと、窓の外を見つめた。


「こんなに疲れたら、まともに体を休められないでしょ。このままじゃ、あいつ、倒れるんじゃないの?」


「じゃあさ、僕たちで何かできないかな?」

カマが心配そうに提案する。


「おやつをあげても元気にならないし……うーん、何がいいんだろう?」

フドはしばらく考え込み、ぽんと手(というより前足)を叩いた。

「そうだ、もっと運動させるってのはどう?最近、紗月、家ではソファでだらーんとしてるじゃん!」


「それなら、僕がもっとたくさん遊びに誘うよ!」

カマが目を輝かせる。いつもは甘えん坊だが、こういうときのカマは頼もしい。


「はぁ……アンタたち、ほんとにそれだけで解決すると思ってるの?」

ツンが冷静に言い放つ。

「まずはちゃんと食事と睡眠を整えるのが先でしょ。それに、体だけじゃなくて、あいつの心も休めてやらないと意味がない。」


「じゃあ、どうするの?」

カマが首をかしげると、ツンは小さくため息をついて言った。

「私たちがもっと賢く振る舞うのよ。フドは、余計におやつをねだるのを控えること。カマは、もっと紗月に癒しを与えなさい。そして私は……まあ、少し優しくしてあげるわ。」

そう言うと、ツンは少しだけ目をそらした。


「よーし、じゃあみんなで頑張ろう!」

フドが力強く声を上げると、カマも元気よくうなずいた。ツンは小さく「ふん」と鼻を鳴らしながらも、しっぽを軽く振る。


こうして三匹は、それぞれのやり方で七瀬紗月を支えることを決意した。

その夜、紗月が何も知らないまま眠り続ける部屋で、三匹の猫たちは新しい「作戦」を練り始めた。

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