第16話



 鳥居をくぐり、参道を抜け、遊歩道を奥へと進む。


 俺がやってきたのは、白鳥神社別宮。いつも通り参拝客で賑わい、ただ遊歩道を歩く人の姿はまばら。時折家族連れや年配の男女と出会う程度で。


 奥へ進むほど人の姿は減り、やがて誰とも会わないようになる。植え込みの前で1人佇む瞳さんを除いては。


 足音。それとも気配に気付いたのか、すぐに振り返る瞳さん。


 俺が何かを言うより先に、彼女は曖昧に微笑んだ。


「ありがとう。それと、今までごめん」


「どうして」


「私のわがままだって気付いてたでしょ。みんなを巻き込んで、迷惑を掛けて。でも、夢は叶ったから」


 儚い、透き通るような表情。


 俺の胸は締め付けられるように痛み、思うように言葉が出てこない。


「夢って」


「ここでベルに見つけてもらって、君に連れられて、瑞樹の元へ戻れて。そのお礼をいつかしたいって思ってた。でも結局、ベルにしかお礼は出来なかった。二人には迷惑を掛けただけで」


「そんな事は無いですよ」


「ありがとう。本当、昔から優しいよね。泣いてる瑞樹のために私を捜してくれた時から、ずっとそう思ってた。だから私はその優しさにすがって、甘えて、利用した」


 一方的に話す瞳さん。


 それを否定しようと思うが、やはり言葉は出てこない。彼女の言っている事が、間違っていないと気付いているから。


 瞳さんは軽く俺の肩に触れ、鎮守の森へと入っていく。


「私、そろそろ行かないと」


「どこへ」


「ここではないどこか、かな。さよなら」


 小さく手を振り、森へと消えていく彼女。


 すぐに後を追いかけるが、その姿はどこにもない。ピンクのリボンを、俺の足元に残して。


 それはあの人形に巻かれていた、ゲームの包装に使われていたリボン。


 俺が、幼い瑞樹さんに渡した。



 初めて出会ったあの時。リボンを見ても何を思い出さなかった俺に、瞳さんは呆れて説明する気を失ってしまったのかも知れない。


 だから悪いのは彼女ではなく、むしろ俺の方。もっと早く気付いていれば、記憶が戻っていれば違う展開もあったはずだ。


 でも全ては過ぎてしまった話。今の俺には何も出来ず、ただリボンを握りしめるしかない。





 月日は巡り、俺の街にも冬が訪れる。


 今はもう、人の家に押し入り物を持ち去るなんて事はもうやっていない。勿論地獄にも行かないし、ナスを模した車に乗る事もない。


 彼女と出会うまでと変わりない生活を繰り返す毎日。少し違う部分もあるが、それは今の俺にとっての日常だ。


 今日はクリスマス・イブ。また高校は終業式のため、昼前に帰宅する。その後はいつものように出かけ、くたくたになって帰ってくる。


 ただ食卓に並んだチキンやケーキを食べた瞬間は、つかの間のクリスマス気分を味わえた。


 食事を終えれば風呂に入り、後はテレビを見ながら眠りにつくだけ。風呂の時点で、半分くらい寝ている気もするが。


「今日も疲れたな」


 独り言を呟き、ベッドに倒れてリモコンに手を伸ばす。テレビを付けようとするが、その気力も失せてきた。


 折角のクリスマスイブだけど、今の俺には睡眠が何よりのプレゼントだ。


 


 寒さに目が覚め、落ちていた布団を床から引っ張り上げる。


 そこに見えるのは、月明かりに照らされた艶やかな長い足。視線を上げていくと、ミニスカート。ビキニに覆われた大きな胸。


 そして、悪戯っぽい笑顔。


「メリー・クリスマス」


 初めて出会った時と同じ、ミニスカサンタの衣装で現れる瞳さん。


 どうしてと思っていたら、その右手が靴下に入っていた。


「クリスマスプレゼント」


 入っているのは、彼女の手。自分自身が、という意味か。


 で、どういう意味?



 並んでベッドサイドに腰掛ける、俺と彼女。


 彼女は改めて靴下を俺に渡し、くすりと笑った。


「何か、面白い事でも」


「体、大きくなってない?」


「成長期なので」


「腕とか、太くなってない?」


 つつかれる、二の腕。確かにかなり筋肉が盛り上がっていて、同年代の男子と比べれば発達している方だろう。


「格好良いー」


 甘い声を出しながら、二の腕に指を滑らせていく瞳さん。


 それにびくりと体を震わせ、彼女から距離を置く。


「どうしてここに」


「私も見てきた」


「何を」


「もう遅いし、今日は寝ようか」


 そう言って、ベッドに潜り込む瞳さん。


 俺が床へ降りようとすると、腕がすぐに掴まれた。


「早く、電気消して」


「え?」


「大丈夫。何もしないから」


 それ、俺の台詞じゃないかな。


 全然良いんだけどさ。


 


 差し込む朝日に目を覚まし、目の前には良い匂い。久し振りだなと思いながら、深呼吸をする。


 いや。そういう意味ではなくて、朝なので。


「おはよう、流君」


 視線を上げると、悪戯っぽい笑顔を浮かべている彼女と目が合った。


 俺も挨拶を返し、改めて深呼吸する。


 いや。朝なので。


「出かけようか」


「どこへ?」


「君が、昨日も行った場所。今日も、今から行こうとしていた場所へ」


 爽やかな笑顔。彼女に出会って初めて見る、心が温かくなるような。



 久し振りにナスへ乗り、彼女の言う目的の場所に到着する。


 確かに、俺が昨日来た場所だ。


「もう、上まで行った?」


「全然。それは、何年も先の話でしょう」


 俺達がいるのは、山のふもと。


 寂れた県道から伸びる、手作りの遊歩道。その手前にはロープが張られ、「私有地に付き立ち入り禁止」となっている。


 俺はロープをくぐり、山腹へと続く遊歩道を見上げた。彼女と別れてからもずっと整備し続けた遊歩道を。


 まずは枝葉を払う作業から進め、それ自体は比較的早めに終了。その後は杭を打って横木を渡し、斜面の土を崩して簡素な階段を作る事の繰り返し。今まで以上の力仕事で、腕が太くなるのも当然と言える。


 階段は本宮までの距離を考えると、1/10も出来ていないはず。作業は基本土日にしか出来ないので、そこはさすがに仕方ない。


「瑞樹さんも手伝ってくれるから、ペースが遅いという程でも無いですが」


「ベルは?」


「元気ですよ」


 走り回ったりする事はもうないと思う。ただタケノコを食べてからは気分的に良かったのか、少し老いが止まった感じ。 


 あくまでも俺や瑞樹さんの主観。自己満足かもしれないが。


 


 ナスに乗り、いつもの場所へ停車する。


 この先は最優先で整備をしていて、階段の間隔も下より短め。簡単に上がれるようになっている。


「見違えたね」


「頑張りました」


「自分で言わないで」


 少し俺の後ろを歩く瞳さん。


 初めてここに来た時は、後ろを付いていくので必死だったのを思い出す。俺も少しは成長したのだろうか。 


 俺達が整備した階段を上りきったところで、社へ到着する。


 まずはここを清めてから作業をするのが、日々の日課。上の方の枝を少し払ったため、今では社のある広場にも日が差し込むようになっている。


「来たか」


 例により、小袖に片手を入れて現れる命様。


 その傍らには、子鬼も。


「久し振りやな。娑婆に戻ってこられて、良かったやないか」


 例による、あの世ジョーク。これには瞳さんも、苦笑するしかないようだ。


「でも、どうして戻ってこれたんや。どえらいペナルティやなかったんか」


「これのお蔭だろう」


 小袖から手を出し、遊歩道を示す命様。


 道は麓まで続き、階段も少しずつ完成。ここを整備する事でポイントが付くのは前例があり、これ以上分かりやすい功徳もないと思う。



 俺や瑞樹さんが頑張れば頑張るだけ、それは報われる。俺達には何の見返りもないけれど、それは今俺の前で結実している。


 照れ気味な顔を背けて。


「……私、用があるので」


「そうか」


「あんじょう気張りや。あんちゃんも、たまには三途の川へ寄っていきや。今なら渡り賃、安くしとくで」


 だから、あの世ジョークはいらないんだって。



 ナスに乗り込んだ後も無言の瞳さん。


 その横顔は怒っているようにも見える。


「俺、余計な事をしましたか」


「そうじゃない。私が全然、お礼を出来ないと思っただけ」


「別にそれは」


「私は恩義を感じたから、こういう姿になれたの。それなのに、ずっとおんぶにだっこでは話にならないでしょ」


 小さい声で呟く瞳さん。 


 確かにそれでは、俺達の行為はありがた迷惑。とはいえ何もしなければ彼女と再会出来なかった訳で、俺としてもその辺は難しい。


「さあ、着いた」


 そう言って瞳さんは、素早くナスを降りた。


 


 俺達の目の前にあるのは、どこかで見たような土蔵前。瞳さんは扉の前に屈み、南京錠に針金を差し入れた。


「あの」


「大丈夫。すぐに開くから」


 懐かしい台詞。またこの時間が戻ってきたと思うと、つい頬が緩んでしまう。


 


 何かを叩くような音の連打。咄嗟に頭を下げ、地面に伏せる。


「MP5だね」


「何の話ですか」


「サブマシンガンの話」


 再びの射撃音。それに慣れてしまっている自分に驚いてしまう。少し笑ってしまっている事にも。


「今度はウージーか。古いけど、やっぱり良いサブマシンガンだよ」


「戻ってきた途端、何をなさってるんですか」


「恩を返そうと思って」


「仇で返している気がするのですが」


 瑞樹さんの言葉を聞かず、土蔵へ入っていく瞳さん。


 俺と瑞樹さんは顔を見合わせ、苦笑するだけ。


 ベルは足元に伏せ、退屈そうに欠伸をしている。



 



 戻ってきた俺達の日常。


 普通とは少し違う。


 だけど俺達が待ち望んだ、努力の結晶だ。




                        了

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晩夏のミニスカサンタはトリック・オア・トリート 雪野 @ykino1

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