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目の前のアサヒさんが、笑みの形に軽く唇を歪める。やっぱり、このひとはきれいだ。そんな場合じゃないのに、そんなことを思った。
「あんたが好きなのは、僕じゃないから。」
「え?」
「あんたが好きっていうか、執着してるのは、僕じゃなくて、自分の両親でしょう。」
さらさらと流れる水みたいに、アサヒさんが言った。
「その執着が上手く表せなくて、父親が執着してた僕に興味を持っただけでしょ。僕本体のことを好きだなんてことは、ないと思うけど。」
目の前で積み上げられていく理屈が、全く理解できなかった。私が執着しているのは、両親? アサヒさんを、好きではない?
ぽかんとしている私を前に、アサヒさんは低く笑った。
「間抜けな顔。……本気で、僕のこと好きなつもりだったんだ。」
つもりというか、私はアサヒさんが好きだ。ようやく認められた、自分の感情。それをこんなふうにあっさり否定されて、そうですか、と、受け入れられるはずがない。
「でも……、」
「でも、なに?」
「私、両親のことなんか、」
「執着してないって言いたいんでしょ。でもそれ、認めたくないだけだから。自分が無限に遠回りしたこと。」
無限の遠回り。もしもそれが本当だとしたら、取り返しはつかない。母はとうに死んだし、父との溝だって、もう埋めることはかなわないだろう。
じゃあね、と、三回めの別れの台詞をアサヒさんが口にした。そして、伝票をつまみ上げる彼の手は、微かに震えていた。
引き留められなかった。その震えに気が付いてしまえば。
「……さようなら。」
もう二度と会うことはないであろううつくしいひとに、辛うじて別れの言葉を告げる。アサヒさんは、唇の端で小さく笑い、そのまま席を立った。私は彼の背中を見送ることすらできなかった。自分の中の感情がどう動くかが、分からなくて。
一人になった喫茶店のテーブルで、私は両手で顔を覆い、即席の暗闇の中でじっと考えをめぐらせた。無限の遠回り。これまでの、私の人生の全てが。それは全く信じられないことだったし、信じたくないことでもあった。
私はしばらくそうしていたけれど、だんだん店内がにぎやかになってきたことに気が付いて店を出た。
電話を。
にぎやかな銀座の街を早足に歩きながら、熱にうかされるみたいに思う。
電話をしよう。まだ生きている父親に。もう、取り返しがつかなくても、電話を。
アサヒさん 美里 @minori070830
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