再会

 始発の新幹線で、東京に向かった。荷物はほとんど持たなかった。読みかけの本と、財布と、少しの化粧品。家に残してきたものは、深町尚久にすべて処分してもらうつもりだった。私があの家に存在していた痕跡など、なにもかも捨ててほしい。それが最後の罪滅ぼしだと思う。

 新幹線に乗り込み、座席につくと、読みかけの本を開いた。少しでも読み進めようと思うのに、目が滑って一文字も進められない。自分の動揺が簡単にはかれてしまって嫌になり、諦めて本を閉じ、窓の外を眺めた。それでも思い浮かぶのは、どうしても、ひとえにアサヒさんのことだ。あと数時間で、彼に会える。9歳の時からずっと、私の中に住み続けてきた人ひとに。

 閉じた文庫本を手の中で弄びながら、じっと、思い出せる限りのアサヒさんを思い出していた。合計四時間分の、彼の姿。

 あの頃の彼に会えるわけではない、と、自分に言い聞かせる。あの頃から、長い時間が経った。私だって、ポストカードを集めていた子どもから、父の不倫やら母の死やら結婚と離婚やらを経て、それなりに大人になった。アサヒさんだって、変わったはずだ。それは、確実に。その変化がどんなものであるか、私には測れない。全然違うひとになってしまったかもしれない。あのうつくしさや優しさや明晰さの全てを置き去りに、全然違うひとに。電話で父に、彼の近況を聞くことだってできたけれど、私はそれをしなかった。父もそれを知らない、という可能性だって十分にあったし、もし父がアサヒさんの現在をよく知っていたとしたら、それにまた嫉妬するのも嫌だった。

 新幹線は、どんどん走って行く。私のこんがらかった感情を置き去りに、いくつもの街を通り抜けて行く。

 新幹線は、八時半前にはもう、東京駅に着いた。駅のホームに吐き出される人にまぎれて、私も電車を降りる。こんなに大勢の人に、新幹線に乗るような用事があり、行くべき場所と帰るべき場所があるのだと思うと、めまいがしてきそうだった。

 私は東京から一駅だけ電車に乗り、銀座駅で降りた。子どもの頃に、父の背中について歩いた喫茶店への道を、自分はもう覚えていないのではないかと思ったけれど、駅を降りれば足が勝手に動いた。せいぜい徒歩五分で喫茶店の前につく。店が開くまでは、まだ二十分くらいあった。その辺をぶらぶら歩いていようかと思ったのだけれど、今度は足が動かなくなる。ここに突っ立っていては、ずっとアサヒさんのことを考え続けてしまう。それは、苦しい。そう思いはしたのだけれど、諦めて、私は店の前に突っ立っていることを選んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る