それから私は、三回アサヒさんに会った。場所は決まってはじめて会ったときと同じ銀座の喫茶店で、必ず父が隣にいた。父はいつも、学校に行こうとする私の手を唐突に引いて、銀座の喫茶店に連れて行った。母はいつも、台所に引っ込んでいて、父の行動を見てはいなかった。アサヒさんはいつも、きれいな笑顔で私を迎えてくれた。私はいつも、オレンジジュースを飲みながら、いくらでもお喋りをした。

 ポストカードを集めなくなったことを、私はアサヒさんに話したかった。そのことについてのアサヒさんの感想が聞きたかったのだ。父も母もなんの感想も寄せてはくれなかった、私の一種の卒業の儀。でも、常に父が、なにも聞いていないような素振りで、私たちの、というよりはアサヒさんの言うことに耳をそばだてているのは分かっていたから、話しはできなかった。

 アサヒさんに訊きたいことは、いくらでもあった。彼が何者であるか。それは、別にいい。確かに私はアサヒさんについてなにも知らないけれど、知りたいとも思わない。アサヒさんは、アサヒさんだ。父とどんな関係を結んでいたとしても、それでアサヒさんの価値が変わるわけではない。会うたびに、アサヒさんが父となんらかの情を結んでいることを、私は意識するようになっていたから、それは自分にそう言い聞かせていただけかもしれないけれど。

 父との関係。それも、いい。いいというか、訊いてはいけないと分かっている。私が何も知らない子どもだから、父は私をアサヒさんに会わせるのだ。私が父とアサヒさんの間にある感情を突き止めようなどとしたら、私はもう二度と、アサヒさんには会えない。深い嫉妬の情を感じはしても、そのあたりの思考は、私の中で子どものものとは思えないくらいクリアだった。

 だから私は、もっと全然違うことをアサヒさんに尋ねた。子どもの頃には国語と算数どちらが好きだったかとか、何年生で一番身長が伸びたのかとか、何歳から下敷きなしでノートを書けるようになったかとか。私は多分、アサヒさんのディティールを手の中に少しでも収めたかったのだ。

 アサヒさんは、どんな質問にも真面目に答えてくれた。国語だよ、とか、5年生かな、とか、多分、10歳くらいだと思う、とか、そんな答えに必ずきちんとエピソードも添えて。算数は得意じゃなかったな、数字なんか、確かなものには思えない、とか、五年生のときは毎日くらい成長痛がして、夜寝ている間にみしみし背が伸びていたな、とか、もともとあんまり下敷きは使わなかったな、胡桃ちゃんみたいに真面目じゃなかったんだ、とか。

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