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 がたがたと音を鳴らし、高架橋を走り抜けていく列車。車内ではスマートフォンや新聞を眺めるサラリーマンや重たそうなリュックサックを背負う子供、眠りこける高齢者などがそれぞれの時間を送っている。私は彼女と一緒に、横並びシートの端っこに座っている。

 自宅の最寄り駅まであと十分程度となる橋の上を、列車が通過した時だった。

「私、八歳の時に親が死んじゃってさ」

 彼女が、何でもないような口調でそう言った。しかし何でもないような口調は、より重い意味を孕んでいるようにも感じられた。出会ってから五年、それは彼女が初めて身の内話をした時だった。私は何も言わずに、彼女の言葉を待つ。彼女がそれを望んでいるように思えた。

「交通事故だったんだ。買い物の帰り道でさ、車に乗ってたんだけど、いきなり前からトラックが突っ込んできて。私は後部座席に座っていたから、けがはひどかったけど、なんとか助かった。でもお母さんとお父さんは、車体と一緒に潰れてた」

 私は彼女の言葉から想像する。その悲痛で残酷な状況を。そしてその時の彼女の心情と、今それを話している彼女の心情を。彼女はゆっくりと言葉を選びながら続ける。

「親を亡くして、私は親戚の家に預けられたけど、親と仲が良くなかったみたいでさ。私は良い扱いを受けなかった。いや、違うな。私はまるでいないものみたいに扱われてた。親戚は私とほとんど話してくれなかった。優しくなんてされなかった。必要最低限の衣食住が提供されて、生きるには困らなかったけど、私はすごく無味な時間を送ってた。学校にいる方が楽で、毎日家に帰りたくなかった」

 彼女の言葉が、車内の雑音とともに私の耳に入ってくる。そして私の意識に、はっきりとした、でも曖昧な箇所もある像を描く。それは私の心を強く締め付ける。オレンジ色のパーカーを着ている、どこか幼いところがある彼女の姿が視界に映り、それが滲み始める。彼女の笑顔が痛々しく映る。だがそれはとても美しい笑顔で、そこまでも私は愛してしまう。

 列車が弧を描くようにして、急なカーブを曲がり始めた。その中で、彼女は続ける。

「私は、早くここを抜け出したいと思ってた。だから大学は、私の地元からは遠く離れたこの場所にした。新幹線に乗ってあの街を離れた時は凄い充実感だったよ。って。それでなんだけど、新幹線に乗っている時にあることを思いついたんだ。それが、趣味を作ろうってこと。今まで特別趣味って言えるようなものがなかったからさ。それで見つけたのが、キャンプだった。備え付けの雑誌みたいなのにキャンプが乗ってたんだ。見つけた時、何となくだったけど、キャンプしてみようかなって思った。まさかそれで、君と出会うことになるなんて思わなかったけど」

 そこで、最寄り駅にもうすぐ着くというアナウンスが流れだした。それを聞いて彼女は、簡単に話をまとめようとした。正直、まだまだずっと話してていいよとも思った。だが彼女が終わらせようとしているから、僕も素直にそれを聴く。

「ごめん、長く話しちゃったね」まず彼女はそう言う。

「気にすることないよ。俺は聴けてすごく嬉しかった」それに私は、正直に返答をする。

「ありがとう。もう着くみたいだし、簡単にまとめるよ。で、何が言いたかったかというと」

 彼女がそう言うと同時、列車は駅に入り始め、私は「行こう」と言って彼女と席を立つ。他者が私たちの座っていた跡に座る。列車のブレーキで、少しよろめく感覚がする。ドアの方へ向かう。そこで完全に停車するのを待つ。彼女が、話の終わりを口にする。

「私は、君と出会えて本当に幸せだよ」

 ドアが開く。ホームに降りると、夕陽が差し込んでオレンジが広がっている。私たちは改札へと向かった。


 完成した料理を、彼女のところへ持っていき、一緒に食べる。キャンプらしい匂いが部屋に立ち込め、それが、差し込んだ夕陽のオレンジと調和している。

「いただきます」と言って食べ始める。香辛料が効いていて癖になる味をしている。我ながら上出来だと思う。明日は何を作ろうか、なんて考える。そして同時に、彼女が熱い料理を食べる時に、無意識的にしていた可愛らしい所作を想う。

「冷ましてから食べるんだよ?」と私は言う。すると彼女は「君の料理を早く食べたいんだ」と言う。

 あっという間に食事の時間は終わった。テーブルを拭いて、皿を洗う。生ごみが出る。それを私は少しだけ、ほんの少しだけ悲しく思う。だがそれは仕方がないことなのだ。そう、自分に言い聞かせる。生ごみを捨てる。

 風呂を沸かす。チャイムの音とともに、沸き上がる。石鹸や歯ブラシを持って、浴室に入る。裸足が触れる床は仄かに冷たかった。髪を洗い、身体を洗い、よもぎの香る風呂に浸かり、歯を磨いて出る。全身がさっぱりとして、いい気分だった。

 髪を乾かしたのちに、部屋の電気を落とす。眠りに就く。そして何もなく、気づけば次の朝が来ているだろう。夜の月明かりは消え失せ、騒がしいような朝日が部屋に差し込んでしまうのだろう。

 昔ならば、彼女の好みだった薄暗い照明の中で夜中、私は彼女を抱いていた。私はというより、彼女がそれを求めてきたのだ。そのたびに私は、高鳴る鼓動の中で喜びを感じたものだった。しかし今の彼女はそれを望んでいないから、夜中にそういった行為をすることはない。沈黙の夜だけがただ茫漠と横たわっている。

 だがもしどうしても、我慢ならなくなった時は、一人彼女との行為を思い出して処理をする。彼女の汗や喘ぎ、温もりを思い出す。そして度々彼女が口にした好色的な言葉を思い出す。目の前にあった彼女の端正な顔立ちを思い出し、その二対の膨らみを感じる。それだけで、私はまだ救われるような気でいる。まだ続けられるような気がしている。

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