百足山
二ノ前はじめ@ninomaehajime
百足山
吹雪に
あの竹の大弓には見覚えがある。父母が経営する旅館の玄関に飾られた、魔除けの弓だ。豪傑と
笠の下からその眼差しが射抜くのは、空との境界が
隆起した腕の先で、指が離される。弦が震え、解き放たれた白羽の矢は海水を
威風堂々とした佇まいに見とれた。彼は弓を下ろし、こちらへと顔を向けた。菅笠の陰で薄い瞳が
青年は大弓を片手で握り締め、こちらへと差し出した。引き継がなければならない。受け取ろうと小さな手を伸ばして、彼の姿は吹雪の中にかき消えた。
白い指先が虚空を掻いた。
電車の揺れでまどろみから目を覚ました。
窓際の自分が座り、隣と対面の座席にそれぞれ両親が座っている。小さな肩を揺さぶり、母親が準備を促す。車内アナウンスが次の到着駅を告げていた。もうじき目的地へ着く。
車窓に顔を向ける。青々とした山の景色を望む窓には、己の赤い瞳が映っていた。
つばの広い帽子を被り、
自分の容姿が嫌いだった。白い毛髪に赤い瞳。肌から色素が抜け落ちている。陽の光に弱く、長く浴びていると皮膚が焼けてしまう。
両親からはアルビノという体質だと教えられた。二万人に一人の割合だという。ご先祖さまが雪女を
旅の者が立ち寄る
「お嬢ちゃん、真っ白で綺麗ね」
屈託なく褒められ、どう返したらいいかわからなかった。耳を赤くし、帽子のつばを両手で掴んで顔を隠した。おかしそうな含み笑いが降ってくる。「人見知りなんですよ」と父親が帽子の上から頭を撫でた。
両親と並んで古風な町並みを歩いた。陽光が若葉を照り返し、山の輪郭が淡く輝いている。
「あそこが
父が指差した。三角錐の峰を描く山の中腹に細長い石段が伸び、その上に朱い鳥居が佇んでいた。奥には境内があり、山幸彦尊を祀り上げた神社があるのだろう。帽子の陰から山頂を見上げ、彼女は言った。
「うん、知っとうよ」
赤い瞳の色が薄れていた。その霞んだ目に映るのは、山頂から一対の触覚を垂れた大百足の姿だった。黒光りする
平たい額には四方に亀裂が走り、その中心で白羽の
あれこそご先祖さまが退治したという大百足だろう。死してなお朽ちることなく、現代も山々の上に禍々しい体躯を横たえている。両親はもちろん、この町の住民にもあの怪物が見えていないのだ。
巨大な大百足の死骸を見上げながら、少女は両目を見開いた。
「紗雪?」
白い少女は立ち止まった。両親が不思議そうに振り返るにも構わず、左手を持ち上げる。その手の中に見えない弓矢の輪郭が形成され、弦に指をかける。両拳を振り上げ、夢で見た青年の射形を真似て矢筈を引いた。弦が引き絞られ、彼女の身の丈に合った
矢を放った。帽子が飛ばされ、白い長髪が乱れる。鈴虫の鳴き声に似た音色が鼓膜に触れ、白い矢筈が空中を飛翔した。その鏃は大百足に到達することはなく、途中で霧散した。
少女は嘆息した。だめだ、今の自分では届かない。
母が地面に落ちた帽子を拾い、埃を払った。
「何ね、ご先祖さまの真似ばしとっと?」
微笑ましそうに我が娘を見下ろしながら、受け取ったつばの下で、少女の瞳は赤く輝いていた。ご先祖さまが遺した大弓に見合うまで成長したら、自分はまたここへ戻ってくるだろう。
あれを目覚めさせてはいけない。
百足山で頭を垂れる怪物へと向かって、白い少女は歩き出した。
百足山 二ノ前はじめ@ninomaehajime @ninomaehajime
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