第6章「永遠の響き」
『後宮からの誘拐』の大成功から一年が過ぎていた。マリアの発声法は、今やウィーンの音楽界で広く認められている。彼女の元には、多くの生徒が集まってくるようになった。
ブルク劇場も、エルランガーの設計による本格的な音響改修が進められていた。もはや誰も、その必要性を疑う者はいない。
ある静かな午後、マリアは自室で一冊の本の執筆に取り組んでいた。『声楽の理論と実践:ヴェーバー・メソッド』。現代の科学的知識を、この時代に相応しい形で説明した教本だ。
「マリア、来客よ」
母の声に、マリアはペンを置いた。応接室に入ると、そこにはエルランガーが立っていた。
「これを見てほしい」
彼が広げた図面には、新しい音楽堂の設計が描かれていた。音響効果を最大限に考慮した、革新的な建築案だ。
「素晴らしいわ」
マリアは感動して図面を見つめた。そして、エルランガーの真剣な表情に気づく。
「マリア、この音楽堂と共に、私と新しい人生を始めてほしい」
それは、プロポーズだった。
マリアは、一瞬言葉を失った。前世の記憶を持つ者として、この時代で家族を持つことに、どこか躊躇いがあった。しかし……。
「返事はまだ急がなくていい」
エルランガーは紳士的に言った。しかし、その目には熱い想いが宿っている。
その夜、マリアは父と二人で、書斎で音楽を奏でていた。ヴァイオリンとピアノの二重奏。今では、二人は最高の音楽の理解者となっていた。
「マリア、お前は幸せかい?」
演奏の合間に、父が静かに尋ねた。
マリアは、ゆっくりと頷いた。
「はい。とても」
それは、心からの言葉だった。
確かに、彼女は前世の記憶を持つ異邦人だ。しかし、今ではこの時代、この家族、そしてこの人生が、彼女にとってかけがえのないものとなっていた。
「エルランガー氏からの申し出も、聞いているよ」
父の言葉に、マリアは少し赤面した。
「彼は良い男だ。そして何より、お前の夢を理解している」
父の言葉は、マリアの心に深く染み入った。
数日後、マリアはエルランガーの申し出を受けることを決意した。それは、新しい時代の音楽を共に作り上げていく決意でもあった。
結婚式は、改修なったブルク劇場で行われた。モーツァルトが、二人のために特別な曲を作曲してくれた。
式の最後、マリアは劇場の中央で歌った。それは、科学と芸術、伝統と革新、そして魂の調和を体現するような歌声だった。
その歌声は、まるで時を超えて響き渡るようだった。
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