第7話「運命の人」

「白瀬」

「なんですか憂塚先生」

「暇であるぞ」

「だったら愛でも語りますか」

「そうだな、なに恥ずかしこと言ってるんだ」

「いえ、先生が話しかける時点で、それって好意を寄せてる証じゃないですか」

「そうか、うかつだった、これではこちらから愛してると言っているようなものか」

「そうですね、いいと思いますけどね」

「では仕切り直して、愛の続きを始めるか」

「ええ、」

「ともかくだ、愛とはなんだ」

「そんなの知りません、先生が教えてくださいよ」

「なるほど、鳴神によると月は愛の杯らしいぞ」

「いえ、月がきれいは、夏目漱石の言葉ですよ」

「はは、だとしたら問題だろ、」

「何がですか」

「月を知れば、誇大妄想に入ってしまうなんて、まるでペーパームーンではないか」

「なるほど、つまり先生は紙に書かれた月のことを、創造視してないんですね」

「はは、至ってしかり、人によって月へのイメージは違う、それを断定的にすれば、それはその風情に流されて、準枠に見れなくなるんだよ」

「なるほど、では月を見上げたら、そこには何も抱かず、まっさらな心で、感じてみろってことですね」

「よくわかっているじゃないか、心に教科書は必要ない、これこそ子らを育むのだよ」

「わかりました、では私も注釈や古代文献をド返して、自らの心と森羅万象に対峙します」

「いい心意気だ、それでこそ万を排して生きるということだ」

「では、今日は月を見ましょう」

「ああ、君の心に映る、その光景への感動を、どうか書き起こす事なく心にとどめてくれ」

「ええ、そしてその心を私は、言葉にして、空気に触れます」

「ああ、それでこそ、万事、己の威信になるだろう」

「ええ、価値にして代えてきます」

「はは、相変わらず、無頓着というか、万里を超えてるな、いづれ本になる月のようなしぐさなら、それは永劫の名をほしいままにするほど、孤独だと言うことだ」

「そうですね、先生も紙に向かって話してますよね、」

「ああ、空気ではなく心の声だ」

「それはいづれ叶うと思った過去の馴れそめなんでしょ」

「そうだな、君も度しがたいな、わかるものこそ考えている、君もそうなのか」

「いえ、決して、紙にとどめたいだけではありません」

「そうかともに歩いて、ともに時間を過ごせる、これは作家には難しいものなんだ」

「そうですね、いづれ言葉を絶やしてまで書き起こすこともあれば、それは望みと言うべきですか」

「いいや、それはポエム、詩になると思う、言葉が流れても、断片は残る、これはきっと君の言うところの涙であり、具現できない淡い希望なんだ」

「まさか一緒に行けるのは、そのときだけ、そんな刹那を書き留めているんですか」

「歩くものと書くもの、両方に言い得ることは、互いに一緒にあれないということだ、つまり君のゆう、望みとは、あくまで両者に写った同系統の希望ではない、だからこそ作家は書く中で行き詰まり、筆を置いて歩き出す、これは今の君たちだ、望みを足で知ろうとした、これこそが生きた物語だ、まるで作家は儚いだろ」

「そうですね、本当に思いを抱いているなら、それは身近に伝えてこそ、本にまでして愛を書くなんて、それって身近に人が居ないって事ですよね」

「はは、そうかも知れない、私もまた言葉言い合えるだけの人が、私の思いの丈を言い合える人が、身近に居ないのかも知れない、そうなればきっと本にしてまで何か反応を得ようとするのだね」

「先生が作家なのに、そんな再確認するなんて、まるで先生は今でも一人みたいじゃないですか」

「はは、売れてないからね。幾分か孤独ではある、しかしそれこそ思いを年生しろということだろ、だからその感慨は知れてると言ったところだ」

「相変わらず強情ですね、でも、孤独ならば私がどこまでもついていきます」

「そうか、ならばここで一句、君と出会えて良かった、孤独になっても君に会えるから、また勇気が出る、だから何度だってここに居てくれ」

「一句どころじゃないじゃないですか、でもその句を一句と言い張るだけ、どれも気持ちを込めたのでしょうね、さしあたり、愛というのですかね」

「はは、愛情に優劣はないか、また君こそそのたまものだよ、幾分素敵だ」

「まったく、先生らしいです、言葉を超えて心に触れて、その先の時間まで染め上げる、まるでレールに乗ってるみたいです」

「人は何だって出来る、なんせ一生という時間は限りあるからだ、この尊さを知れば、誰でも本気になる、私はとうに、出会っている、本気で生きるに値した、そんな痛烈な感動に出会っている」

「そうですね、いづれ死ぬと思えば、今を粗末にはできないでしょうね」

「そうだね、だがそれも間違えだ、」

「どういうことですか」

「怖がって大切にする、注意されて気をつける、なんてものは学ぶに値しない、感動に値しない、渾身の感情ではない、人はね、もっと身近な日常から大切なものを学ぶ、それがやがて自信を目覚めさせる、私はね、愚かだとおもって命を大事にしていた、前までは、でもある時ね、笑顔を見て、それ以上に生きねばと思ったんだ。これがどう言うものか今でもわからない、でもね、それは消えてはいけない、決して消えないそれほどの感動になった、だから特別なことをしなくても、いづれ心を託せるようになる、それがつまり愛だ、愛なんだ」

「先生ってそれほど日常を大切にしたいと思ったんですね、そこにあるすべてをとどめたいと、失いたくないと感動したのですね」

「ああ、そうかもしれない、どうも、ね。人は一人では気づくことも出来ない、だから誰かと居ないと命を大切に出来なくなると思う、だから出会えてよかったよ、君にあえてよかったよ、白瀬」

「ありがとうございます、なんだか照れますね、でもそれは先生の言う感動なんですね」

「そうだな、感動だ」

「出会いが感動なんて恋愛じゃないですか」

「そうだな、考えてみればそうか、だがしかしまだ一緒に居たい」

「どういうことですか、まるで愛が叶わないようなこと、」

「いや、恋とはね、いづれにしても長い時間をかけたほうがいいんだ」

「どういうことですか、アプローチをいっぱいかけたほうがいいとかですかね」

「はは、若いね、叶う恋と叶わない恋、どっちが貴重だと思う」

「そんなの叶う恋です」

「だがね、どちらも物足りない、真意とはね、恋をして自身を磨くことだ、だからね。その設問にはこう答えるべきだ、恋をしても叶えるわけじゃない、運命にこっちを向かせる、それが答えだ」

「まるで数奇な話です、運命なんて努力でなんとかなるんですか。」

「はは、取り方を変えてみようか、運命とは出会いであり偶然、ならば恋とは運命のものになっている、出会って恋してるなら、それは運命の力だ、だから逆にするんだ、自身を磨いて運命の人になるんだよ、これがさっきの問いへの真意だ」

「なるほど、そうでなくっちゃいけませんよね、確かにその通りです、わかりました運命の人になります、」

「はは、いいね、その粋だ」

「はい!」

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愛の答え NiceWell @NiceWell

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