第4話:雨の夕方

春の夕暮れ、突然の雨が商店街を濡らし始めた。千代は店先の花が濡れないよう急いで軒下に入れ終えると、ホッとひと息ついた。そんなとき、傘を持たずに歩いてきた青年の姿が目に入る。三浦光彦だった。


「三浦さん、雨に濡れて風邪引くわよ。少し雨宿りしていきなさい。」

店の軒下で佇む彼に声をかけると、光彦は小さく頷いて店内に入ってきた。店の中は花の香りとラジオの音が満ちていて、外の冷たい雨とは対照的に穏やかな空気が流れている。


「すずらん、今日も買いに?」

千代が尋ねると、光彦は一瞬戸惑ったような表情を見せたが、少しだけ頷いた。

「でも、急ぎじゃないので。雨が止むまでで大丈夫です。」


不器用な言葉に千代は微笑んだ。花屋での時間を急がないという彼の言葉に、少しだけ心を開いているのだと感じた。千代はいつものようにすずらんを用意する手を止め、ラジオの音量を少し上げた。


「ラジオ、懐かしいわね。私、これがないと仕事にならないのよ。」

光彦は何か言いたげにラジオを見たが、結局黙ったままだった。だがその沈黙の中に、どこか心地よさが漂っていた。千代もそれ以上話しかけず、花の手入れを続けた。


雨音とラジオ、そして花の香りの中、しばらく時間が流れる。光彦はふと、店の奥にある小さな写真立てに目を止めた。それは千代と、若い男性が並んで微笑む写真だった。


「ご主人ですか?」

不意に光彦が口を開いた。千代は少し驚きながらも、写真に視線を移す。

「ええ。もう20年前に亡くなったけどね。このラジオもあの人が買ったのよ。」

千代の表情には寂しさよりも、懐かしさが浮かんでいた。


光彦は黙って頷き、それ以上は何も言わなかった。外の雨はまだ止む気配がなかったが、店の中は不思議と暖かい空気に包まれていた。

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