第2話

 よっぽどショックだったのか、王太子はすっかり元気を無くしてしまっている。

 見栄っ張りなあの人のことだ。もしかしたら、国庫にも手を付けたのかもしれない。かなりふっかけられたとしても、煽てられて気分が良くなれば誤った判断をするタイプだから。


(でももう、わたくしには関係のないことだわ)


 かつてはそうした問題を、ユーリアが秘密裏に処理していた。即断即決なところはいいのだが、いかんせん勢いだけなところもあって……とまあ、もういいのだ。


「では、わたくしはここで失礼いたしますね。手続きはわたくしにお任せくださいませ。誓約通り、婚約破棄に基づく慰謝料請求もさせていただきます」


 扇子を閉じたユーリアは、二人に向けて淑やかな礼をする。


「ま、待て、ユーリア。誓約とは……」

「まあ、ご存知ないのですか? 殿下は少し、文書を隅々まで読むことをおすすめいたします。おそらくその偽物の『真実の愛』にお支払いされた金額と同じくらいにはなりますわ」

「で、でも、これは、本物なんだ……そうだろう?」

「そうですよぉ! ユーリア様がなんと仰っても、これは本物です!」


 王太子が縋るような顔で男爵令嬢を見遣ると、彼女は力強く頷いた。開き直ったのかもしれない。


「……だが、ユーリアは宝石に詳しいからな……そうだ、一応鑑定してもらおう」

「え!? なぜです?」

「こうして難癖をつけられていては、疑念を払拭しない訳にはいかないだろう。君だって疑われてしまったのだから。私も男爵を疑いたくはないし、逆に我々の言い分が正しいとユーリアに見せつけてやろう」

「〜〜〜、はい……」


 なんだか最初の仲睦まじい様子とは違って二人とも慌てているようだが、ユーリアには関係のないことだ。

 二人の勢いが風船が萎むように小さくなってゆくと、それに反比例して周囲のざわめきが大きくなってきた。


「ねえ貴方、私のこのルビーは本物なの!? 光の帯ってなぁに!?」

「特価だと言って薦められたが、まさかこれは……?」


 ユーリアたちのことは見ずに、青くなっている人もいる。よく見たら、この夜会にはルビーを身につけている人が多い。


(もしかしたら、男爵家による売り込みが広範囲に広がっていたのかしら)


 そんなことを思いながらパーティーを退席しようと踵を返して出入口へと向かう。


 両親と陛下が登壇されるのはもう少し後の予定だったから、ユーリアがこの場にいない事で驚かせてしまうかもしれない。


 それでも、この場に残りたくはなかった。

 積み上げてきたことが無に帰す虚しさで、今は誰とも話したくはない。


 ユーリアが扉に近付いたところで、扉がひとりでに開いた。向こう側からの来客があったようだ。


 驚くユーリアの前には、赤髪を後ろに撫で付けた盛装姿の美しい青年が立っている。紺色のジャケットに施された銀糸の刺繍も美しい。


(美しい装飾……流石だわ)


 思わず視界に入ったジャケットの刺繍に目を奪われる。刺繍は手仕事だ。これだけの仕事をする職人を抱えられる貴族家はなかなかいない。


「ユーリア。どこに行くんだ? まだ夜会は始まったばかりだろう」

「……ロイド」


 現れたのは、ロイド・オブライエン侯爵子息だった。幼馴染の彼は現在十八歳になるユーリアの二つ歳下で、小さい頃は姉弟のようによく一緒に過ごしたものだ。


(お姉さんぶりたい私に、いつもニコニコ笑顔でついてきてくれていましたね)


 ユーリアはロイドのかわいい少年時代を思い出す。庭園で絵本を読んだり、散歩をしたり。


 今思えば、ユーリアにとっての楽しい幼少の記憶はそこにある。


 ユーリアが十二歳になった時。王太子妃候補筆頭としてかの王子の婚約者になってからは、なかなか二人で会うことは無くなってしまった。


 懐かしい気持ちになりながら、ユーリアはロイドを見上げた。こんなに背も大きくなっていたのだっけ。


 彼はユーリアの置かれた立場や役目を知っている。一応、説明はしなければならないだろう。


「始まったばかりだけれど、わたくしの役目は終わったの。殿下に婚約破棄されたから退出しようとしていたところよ」


 何と言おうか迷ったけど、こう言うしかない。事実だし、それ以上でもそれ以下でもない。


「婚約破棄……!? 本気で言っているのか」

「ええ。皆様の前で大々的に宣言していらしたし……ほら、ご一緒にいらっしゃるあのご令嬢が真実の愛のお相手ですって」


 ロイドの視線が中央の殿下たちに向く。

 ユーリアもついでにそちらを見てみたが、殿下はなにやら男爵令嬢に話しかけているようだった。


「ではね、ロイド、楽しんで」


 手短に説明をしたユーリアは、ドレスの裾を掴んで立ち去ろうとした。

 だが、その手をロイドに掴まれた。


 驚いて見上げると、黒曜石のような瞳が真っ直ぐにユーリアを見下ろしている。


「ロイド? わたくし、早く立ち去りたいの」

「……ユーリア。君はこれからどうするんだ」

「どうって……どうしましょう? 特に予定もないから、国内旅行でもしようかしら。各地の宝石を見てみたいし」


 ずっと妃教育を受けてきたが、それもなくなり婚約者もいない状態だ。醜聞もあるだろうし、誰もユーリアには近付かないだろう。


 これまでユーリアの傍に侍っていた令嬢たちだって、いずれ王太子妃となるユーリアの権威を見込んでのことだ。


「わかった。ひとまずは公爵家に帰るんだな?」

「ええ。そうね、今夜のところは」


 ユーリアが頷くと、ロイドは後ろにいた侍従になにやら指示をする。侍従は急ぎ馬車乗り場の方へと走っていったようだった。


「俺が今乗ってきた馬車がまだ近くにいるはずだ。指示はしているから、ユーリアはひとまずはそれに乗って帰ってくれ」

「……ありがとう。でも、ロイドはどうするの?」

「俺は……ちょっとアイツに一発入れてから考えるよ。おじさんたちの馬車にでも乗せてもらおうかな」

「アイツって……? ロイド、危ないことはしてはいけないわ」

「わかってるって。大丈夫だよ、ユーリア」

「ロイド様! 馬車の準備が整いました」


 侍従が戻ってきたところで、会話は終わってしまった。

 優しく目を細めたロイドが、ユーリアの頭をぽんぽんと撫でる。


「ユーリア、よく頑張ったね。後は任せて」


 大人びた顔で微笑むロイドに、ユーリアは目の奥がカッと熱くなるのを感じた。


 そう、頑張ってきたのだ。ユーリアなりに、かの王子のことを理解し支えようと、たくさん勉強をした。

 自分の時間なんて、ほとんど無かった。


「ユーリア様、参りましょう」

「ええ……」


 ロイドが会場に入って行く後ろ姿を見送ったユーリアは、侍従に連れられて城を後にした。


 家に戻ると驚かれたけれど、疲れてしまったユーリアは、何も答えずに自室で深い眠りについた。



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