殿下、その真実の愛は偽物です

ミズメ

第1話

「ユーリア・マクファーデン公爵令嬢。今日限りで君との婚約を破棄する!」


 とある秋の日の夜会でのこと。


 公爵令嬢のユーリアは、婚約者の王太子から唐突にそう告げられた。


 彼の後ろには不安げに眉を下げる桃色の髪の男爵令嬢がいて、ひしとくっついている。

 豊満な肉体が素敵である。ユーリアはちょっと自分の胸元を見下ろして一瞬考えたあと、また王太子に向き直った。


 今夜の夜会は、社交シーズンの始まりを告げる盛大なものだ。王宮の広間で開催されたこの夜会で、王太子の婚約者であるユーリアもその準備に奔走した。


 目の肥えた夫人たちを満足させることのできる洗練された内装、少し珍しいものも取り入れつつも流行を取り入れて会話の一助になればと熟考した食事や菓子。


 何よりドレスの準備こそ肝だ。


 ユーリアは王太子の瞳の色に合わせた鮮やかな青のドレスを身にまとっている。西国の方で流行り始めたという細かな刺繍の入ったデザインを取り入れて、生地の手配から始まり数ヶ月に及ぶ準備をしてきた。


 美しく染め上げられた青く光沢のある布地と銀糸の刺繍のコントラストはユーリアの煌めく銀髪によく映え、ひときわ美しい。


(まあ……婚約破棄)


 王太子が告げたそれを、ユーリアは頭の中で反芻する。


 婚約破棄を宣告するということは、婚約を破棄することを公に知らしめるということ。


 はやりの構文風に慎重に考えてみても、それ以上の情報はない。


(でも、なぜでしょう)


 ユーリアは思う。


(わたくしたちの婚約は、色々な政治的な思惑が絡み合った上での必要不可欠なものと思っていましたわ。でも、殿下はそれを破棄すると仰っている――)


 つまり、だ。


(この場での婚約破棄にはきっと山よりも高く海よりも深い事情があるに違いないですわ)


 ユーリアは何事も深く考える性格である。


 だからこの、突然の婚約破棄にも重大な理由があると考えた。


(だって考えてもみて。こんな公の場で宣告する意味を。婚約破棄は王家にとっても公爵家にとってもひどい醜聞だわ。それをわざわざこうして実行した……相当の理由があるはず)


 婚約は軽いものではない。

 王家に関わらず、貴族同士の婚約がまとまるにはそれなりの工程を踏まなければならない。


 貴族同士の結び付きを認めるには、元老院と呼ばれる貴族から選出される特別な議会を経る必要があるし、その後に教会で神々に誓わなければならない。


「殿下。恐れながら……この件は議会や教会への手続きはお済みなのですか?」

「これからだ。まず君に告げるべきだと思ったからな!」


 変なところで律儀だが、それらその全てを根回しなしにこの婚約を反故にする――よっぽどの理由がないと、ありえないことだ。


 真っ直ぐにこちらを見る王太子の表情は真剣そのものだ。冗談を言っているようにも見えないし、仮に冗談だとしても笑えなすぎるけれど。


(もしかして、あの目付きにも何か意味が……?)


 王太子の鋭い眼光が自分の後ろにいる誰かへのアイコンタクトかと思って振り返って見たけれど、後ろにいた恰幅のいい伯爵を驚かせただけだった。違うみたい。


 王家は絶大な権力がある。


 それは事実。だけれど、各領地を治める領主たち――すなわち貴族たちだって完全に王家の言いなりというわけでは無い。


 それぞれ派閥があり、王家に近い家、反発する家、中立を保つ家、それぞれだ。


 我が公爵家は中立だった。


 かつての王女が降嫁した際に賜った公爵位だけれど、だからといって王家に絶対の忠誠を誓っている訳ではない。


 公爵家の理念と王家の理念に齟齬が生じれば王家に反することを厭わないマクファーデン家のことを、きっと王家は長年煩わしく思っていた事だろう。


 何が起きたかは分からないが、ユーリアの父の代で両者は歩み寄りを見せた。それが、この度の婚約だった。

 ユーリアはこれまで邁進してきた妃教育のことを思って気が遠くなる。


「……理由をお聞かせ願いますか?」


 ユーリアは全ての可能性に思いを馳せながら王太子にそう問いかけた。

 

 何かよっぽど重要な事案が王子の口から語られるのではと思うと、緊張してくる。


「私は真実の愛を見つけた! 王妃になることは諦めて欲しい。私は愛する人を愛妾になどとするつもりはないからな」

「えっ」


 驚きのあまり思わず口から出てしまった言葉を、ユーリアは扇子でおさえる。


(真実の愛? 真実の愛と言ったの、今)


 王太子の顔は真剣だ。後ろにいる男爵令嬢も同様に。


(もしかしたら、これは何かの暗号かもしれないわ。『真実の愛』……そうだわ、昨年売り出された新しい宝石の名前!)


 ユーリアは王太子の後ろに控える男爵令嬢をまじまじと見つめる。彼女の胸元には、大ぶりなルビーのブローチが光る。


 血のような鮮明な赤色のルビー、最高級のそれを『真実の愛』という。大変な人気で、当然宝石が大きければ大きいほどその希少価値は高い。


 男爵令嬢が身につけているのはなかなかのサイズ感だ。正規品であればかなり値が張る。


「まあ……少し、拝見してもよろしいでしょうか」


 そのルビーの輝きに気になるところがあったユーリアは、彼女の胸元のルビーをもう少しよく見せて欲しくて純粋にそうお願いする。


「な、なにをだ」

「その『真実の愛』を見せていただきたいのです」

「何を言うっ! 真実の愛を見せるとはどういうことだ!?」

「えっ? そのご令嬢が持っていらっしゃる『真実の愛』を是非わたくしにも直接見せていただきたいという他ないのですが……本物なのかどうか、知りたくて」

「わたしと殿下の真実の愛は本物ですっ! ユーリア様、疑うなんてひどいですぅ」


 男爵令嬢はひしと王子に縋り付き、めそめそとしだした。


 会話では埒があかない。


 ひとつ息をついたユーリアは、つかつかと二人の元へと行くと、近くから男爵令嬢の胸元にあるそのルビーを覗き込んだ。


(まあ……これは)


「何のつもりだ、ユーリア!」


 王太子が激高したように声を張り上げる。パーティー会場であるというのに、すっかり静かになってしまっていて、その声がよく通った。


「……この宝石は、殿下がご令嬢にお贈りになったものですか?」

「そうだ! なんだ、ユーリア。その事に怒っているのか? 私が君じゃなくこの可愛い人に貴重な宝石を贈ったことを」


 なぜだか殿下がドヤ顔だ。

 ユーリアに宝石を検分されている当の男爵令嬢はどこか目を逸らしているというのに。


「だとしたら、これは由々しき事態です。この宝石は偽物ですわ、殿下」

「なっっっ!」

「宝石の中に光の帯が見えません。宝石商が殿下に偽物を売り付けたのならば詐欺に値します。まあ他の可能性もありますが……」


 ユーリアは再び男爵令嬢を見る。


「な、なんですか? わたしが何か!?」

「ご令嬢はどう思われますか? こちらの宝石が偽物だと聞いて」

「え!? あ! そ、そんなの……わたしは気にしないですっ、殿下の愛がありますからっ」

「そうですか」


 ユーリアは王太子と男爵令嬢の顔を見比べる。贈った宝石が偽物だと聞いて顔面蒼白になっている殿下と、偽物でも構わないと胸を張る令嬢。


(気にしない、とは不思議な反論だわ。偽物ではないと言わないのね)


 ユーリアは首を傾げる。


 その発言の他にも、どこかギクリとした様子で目を逸らしたり急に冷や汗をかいたりなど変化が著しい。


 十中八九、令嬢はその宝石が偽物だと知っていたに違いない。素人目には本物と見紛う出来だ。


 そもそもかの男爵家が急に力を持ち始めたのも、自領の山からも宝石が大量に見つかったという触れ込みに起因する。もしかしたら、それらも叩けば埃が出るかもしれない。


(『真実の愛』は別になんの隠語でもなかったのね……! 余計なことを暴いてしまいました)


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