第3話


 建物に入ると、アデライードとドラクマがすでに待っていた。

「何を話していたんだい?」

「お庭のことですわ。春になったらどんな花が豊かに咲くか。

 ネーリ様は人物画より風景画がお好きだそうよ。兄上。

 美しい庭だと分かれば、春になったらシャルタナの館を描きに来て下さるかも」

「そうか。それはいい考えだ」

 ドラクマは笑いながら頷いている。


「アデライード嬢にも今、お話ししていましたが……ネーリ殿、貴方ももうこの別邸に入ったからにはシャルタナ家の大切な客人なのだから、ぜひ好きな時に訪ねてきて屋敷や庭など、興味があれば描いて下さい」


「光栄です。ありがとうございます。シャルタナ公」

「風景画がお好きなら、これは気に入って下さるかな」

ドラクマはそう言って、カーテンで仕切られていた更に奥に、アデライードとネーリを招き入れた。

 そこはダンスホールのように広くなっていって、絵画の間だった。

「フランスやイタリアの画家のものもあるのですよ」

「まぁ……」

 アデライードは自然と声を出していた。ネーリも同じだ。

まるで美術館のように一面に様々な絵画が飾られている。

「大きな絵ばかりでしょう? 私たちの祖父がこういった巨大な絵を好んで、よく手に入れていましたの。でもこういう絵は持ち運びも出来ないし、置く場所が限定されますから、私あんまり好きではありませんわね。適度な大きさでも素晴らしい絵はたくさんありますもの」

「でも、素晴らしい絵ばかりです」

「すごい」

 早速絵の側に駆けていって目を輝かせているアデライードとネーリに、シャルタナ兄妹は微笑ましそうな目を向けた。

「まあ、お可愛らしいこと。埃をかぶっている我が家の家宝が、こんなに若い方に喜んでいただけるなんて、良かったですわね。兄上」

「本当だね」


「【砂漠の女王ネフェルタリ】……これ、リド島の聖堂に飾られるの数年前に見たことがあります」


「まあ、そうでしたの」

「シャルタナ公の所有されていた絵だったのですね」

「【砂漠の女王】は今度王立劇場でも演目が掛けられますのよ」

「異国風の絵ですわ、とても美しいです」

「その演目の間、こういった絵が王立劇場に何点か飾られると聞きました」

「そうなんですか」

「見てみたいなぁ」

「ラファエル様にお願いすればきっと連れて行って下さいますわ。ネーリ様も一緒に見に行きましょう」

 ネーリにアデライードが言うと、彼が応えるのより早くレイファが言った。


「まあ。それならば私たちがご招待しますわ。シャルタナ家の桟敷がありますし、ラファエル様は妃殿下のご信頼厚くお忙しいでしょう? 私たちならば何の気兼ねも無く遊んでおりますし。演目が変わったら必ず王立劇場には見に行きますのよ。

 アデライード様も、勿論ネーリ様も遠慮なさらずおいで下さいませ」


「兄に相談してからでも構いませんか? シャルタナ公のご厚意に甘えるばかりでは叱られるかもしれませんので」

 咄嗟にアデライードがそう言うとレイファはもちろん、と頷く。

「ぜひ遠慮無くお越し下さいと、ラファエル殿に伝えて下さい」

「ありがとうございます」

 またゆっくりと、ドラクマとレイファが一枚一枚絵を説明し、案内してくれた。

 名門貴族の家宝と言われるだけあって、素晴らしい絵ばかりだ。

 ネーリも感動したが、ふと、一枚の絵の前で足が止まった。

「これ……」

 ああ、とドラクマが微笑む。


「イタリアの画家、パウロ・フォルトゥナートの作品です。

 聖書の【ノアの方舟】をモチーフに描いたもので、嵐を抜けて光が射し込み、約束の地が見えた至福の瞬間を捉えているのだとか。この光の描き方、とても美しいでしょう」


 ネーリはゆっくり頷いた。


「嬉しいな。私もこの絵は特に好きでね……」


 隣に立ったドラクマを見上げる。

 彼は愛しそうに目を細めて、絵を見つめていた。

 ネーリの黄柱石ヘリオドールの瞳が輝き、もう一度、絵を見上げた。

 一瞬で、思い出した。

 記憶に刻まれる、配置、全体像、塗りつけられた筆遣い、色。

 鮮明に。

 それからゆっくりと他の作品も見て回り、全て見終わった時にはすでに真夜中になっていたが、シャルタナ兄妹は自分達の馬車を出して、ラファエルの屋敷まできちんと二人を送ってくれることになった。

 一瞬だけ、アデライードとネーリだけになった時があった。


「アデルさん。さっき言ってた王立観劇の話……受けてくれる?」


 不意にネーリがそう言った。エントランスに飾られた首飾りを眺めるフリをしながら。 アデライードがネーリを見る。

 今日会った印象は決して悪くない。だがシャルタナは敵かもしれない。

 ラファエルに相談した方がいいと彼女は思ったが、見返したネーリの瞳が、澄んだ色で自分を見つめていることに気付いた。彼が小さく頷く。

「わかりました」

 アデライードは何も聞かず、それだけ言った。


◇   ◇   ◇


 馬車に乗り込む時、アデライードは言った。

「兄に相談してみますが、異国の舞台、ぜひ見てみたく思っています」

 ドラクマは朗らかに笑った。

「良かった。私一人でお二人を退屈させてもいけない。妹のレイファもその時は是非呼びましょう」

「はい。ありがとうございます。楽しみにしています」

「遅くなってしまった。さぁ、兄上が心配なさいますから、参りましょう」

 ラファエルの屋敷の馬車にアデライードとネーリが乗り込み、その後ろのシャルタナ家の馬車にドラクマとレイファが乗り込む。公爵自ら屋敷まで送り届けてくれるというのも、彼がいかにラファエル・イーシャを重んじているかが伝わって来た。

 二台の馬車は軽やかな音を立てて、走り始める。


 乗り込むと、アデライードはさすがに少し、疲れを感じた。

 疲れたが、嫌な疲労感ではない。

 素朴な修道院で生まれ育った彼女は、煌びやかな美術品をこんなに一度に鑑賞したことはなかったのだ。

「疲れた?」

 何も言わなかったのに、ネーリがそんな声を掛けてくれた。


「慣れないことなので、少し。でもとても楽しかったです。

 芸術品というものは、あんなに美しいものなのですね。

 わたし、あんなものを生み出せる方達を本当に尊敬しますわ」


 アデライードの素直な言葉は、ネーリを微笑ませた。

 彼がアデライードの手を握ってくれる。

 兄以外の男性にそんな風にされた経験がなかった彼女は少し驚いたが、ネーリが優しい顔で笑ってくれているのを見ると、すぐに身体の力が抜けた。


「僕にもたれかかって、少し眠っていていいよ。

 ラファエルの屋敷が近づいたら起こしてあげるから。

 屋敷に付いたら、今日はゆっくり休んで」


 アデライードは普段そんなことを男性に言われても、平気ですわとやんわり断るくらいのことはする娘だったが、今はそっとネーリの肩に頭を預けて、目を閉じてみた。

 やはりネーリからは、ラファエルと同じ気配がする。


(私を温かく包み込んでくれる。

 太陽のような気配)


 この世のどんなことからも、守られている。 




 

 


【終】

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海に沈むジグラート 第64話【シャルタナ家の人々】 七海ポルカ @reeeeeen13

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