第2話
自分と、
その椀を店の台所のカウンターのところに置いて、踏み台をしまう。
踏み台を置いて戻って来た
「夢に
「ああ」
銑次はと言えば。
起きる前に、夢なんか、見ただろうか。
見たような気もするが、見たとしてもぜんぜん覚えていない。
初めて会ったときはまだ女子中学生だった。
その才能にまず店主の坂村憲悟が気づき、美貴もその才能を絶賛して、ピアニストに育て上げた。
銑次がきく。
「で、なんて?」
美貴が問い返す。
「なんて、って、何?」
「だから」
銑次は口をとがらせた。
「夢の中で、千愛が何か言ってたか、ってこと」
「さーあ」
言って、美貴は肩をそびやかす。
若いころによくやったように。
身体全体が「O」型のおばさんになったいまやっても、あんがいそのしぐさが似合っていたりする。
何なのだろう?
「あの憲悟さんの店で、白い、ウェディングドレスからよけいな飾りをぜんぶ取り払ったみたいなドレス着て、ピアノ弾いてただけ。曲は「オール・ザ・シングズ・ユー・アー」だったかな」
曲目までよく覚えている。
あの千愛。
あれから何人もの男といっしょになって別れ、というのを繰り返したらしいが、一度でもウェディングドレスを着たことなんかあるのだろうか?
でも、そのことは言わず、
「よく覚えてるな。夢のことなのに」
と言うと、
「うぅん」
と美貴は意味不明のうなり声を上げた。
昔はこれでじゅうぶんに色っぽかったものだが。
さすがに、いまは……。
美貴が言う。
「いつもどおり、思いっきりよく音を切って、次の展開が読めないのに、けっしてハズしたって思わせない、そんなピアノを、この世にピアノと自分しかいない、だから幸せ、って感じで弾いてた」
「まあ、そんなんだったな、掛川千愛」
銑次は、ふっ、と息をつく。
「いまはどうしているのやら」
「憲悟さんは知ってるんでしょ?」
と、美貴は、娘の順が用意しておいてくれたらしい
「口止めされてるんだと。前にここに来たときに言ってた」
「それは、わたしもいたから、聞いてたけど」
つまり、それ以上の何かを知らないか、ということなのだろう。
「憲悟のやつ、「広い意味で浅草の範囲」って言ってたから、狭い意味での浅草からははずれたどこかなんだろうけど」
「それは広すぎるわねぇ」
「わねぇ」とか。
たしかに、浅草という土地は、浅草の観音様の周囲、普通に「浅草」と呼ばれている範囲だけでもけっこう広い。その周囲の「浅草的な場所」まで含めるとさらに広くなる。
片端から訪ね歩いてお目当ての相手に出会えるような広さではない。
というか、「狭さではない」というか。
「ねえ」
と、鍋の中の湯が沸騰したかどうかを確認しながら、美貴が言う。
「いまあのころに戻れたら、あんた、千愛に告白する?」
銑次のほうを「ちらっ」と見ることもせずに、そんな重大なことを言う。
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