ともなき音叉2
授業が終わり帰路に立つつもりでいた。西日が傾斜を迎え赤く空を染める。いつにもまして蝉がうるさい。
「えっと………内田さん………?」
私は彼女の名前を呼んだ。
「香菜でいいよ」
慣れた口調で自分の呼称をそう求める。私たちは今日出会ったばかりだと言うのに。
ボーイッシュなキャップを被る彼女は印象をさらに変えた。参考書の入った重い手提げでさえ彼女という花を彩っているかのように見える。
内田香菜。彼女はそう名乗った時、どこか寂しそうな顔をしていた。少し離れた私立の女子高に通っているようだが、私は高校受験にもあまり熱を入れなかった為、何となくの場所しか分からなかった。
「………それで、私に何か用………?」
おずおずと彼女に尋ねる。建物の入口で私が出てくるのを待っていた彼女。行き交う受講生の間に挟まり私たちは隣合って歩く。
「今日の過去問エグくなーい?一問も分かんなかった」
「理工学部の赤本ある?明日貸してー」
「先生ヤバくね、くそキレてた」
雑多な話題で埋め尽くされる喧騒に、一人置いていかれそうになる。思わず手が耳に触れそうになった瞬間、彼女から見られていることに気がついた。私は咄嗟に結ったヘアゴムを触って誤魔化す。香菜は言う。
「うん………あの、この辺の、本屋………教えて欲しくて」
私はなんとなく駅に向かっていた足をついと止める。道行く人の流れに逆らわないよう、道の端の街路樹に二人で寄った。
「本屋さん………か………」
私は小さく呟いて、大きな規模でない駅の構内の商業スペースを想起する。その中に書店は無かったはずだ。昔ここに通っていた時の記憶を辿り、近くの商業ビルに書店が入っていたことを朧気に思い出す。
「確か、あそこの交差点を右に曲がってすぐのビルに入ってたと思う」
私は駅とは反対側の道路を指さして告げた。説明不足だっただろうか、彼女はじっと私の方を見つめたまま動かなかった。街頭にくっついた蝉がけたたましく鳴いている。わずかな沈黙の後、彼女は照れくさそうに話す。
「ごめんね………もし時間が空いてたら、一緒に来てもらえない?……あたし、方向音痴で………」
私は条件反射で左手の腕時計を見る。今の私にそれほど切羽詰まった用事は思い当たらなかった。だが土地勘のない彼女の為に書店を案内してあげることは、家に帰って単語帳を開くよりも遥かに有意義だと思えた。
二つ返事で私は彼女の望みを快諾した。
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