体験談 近づいてくる④
あれが実家まで来るのに、もう半日もかからないというタイミングになって、さすがにもう実家にはいられないと思ったんです。ここでじっとしていたら、結局追いつかれるだけじゃないかと。それで考えたのが、「海を渡ったら、さすがにあれも追ってこれないんじゃないか」という思いつきでした。少なくともあれは階段を登っていたし、陸路じゃないとだめなんじゃないかって。やらないよりマシですよね。急いで沖縄行きの飛行機を取ったんです。直前の予約で高かったですけど、背に腹は代えられない。
三日目の早朝、実家を出て空港まで電車を乗り継いで向かいました。移動の途中、駅で少し時間があったんですよ。あれの位置を確かめるためにホームの椅子に座って少しだけ目を閉じたんです。
……それがいけなかったんです。
どうやら睡眠不足が祟って深く眠り込んでしまったみたいで。
猛烈に嫌な気配を感じて目が覚めたときには、あれは、もう駅のホームにまで入り込んでいたんです。
焦って目を開けたけど、もちろん何も見えませんし、音も聞こえません。何も感じない。でも目を閉じて意識を向けると、確実に“そこ”にいるのがわかるんですよね。慌ててホームを逃げようとしたものの、逃げた先には下りる階段がなくて、行き止まりみたいな状態でした。そのとき、ちょうど空港行きの電車が滑り込んできたんです。とにかく入られないように、ドアが閉まる直前に、半ば転がり込むように乗って——あれからは、いったん逃れられたと思いました。
ところが、安心して目を閉じた瞬間、信じられない光景が頭の中に広がったんです。あれが走り出した電車の窓ガラスに体を押し付けたかと思うと、ズルリと染み出るように車内へ入りこんでくるイメージが見えて。思わず声にならない悲鳴をあげました。でも、まばらに乗っていた他の乗客は誰ひとり気づかない。あれは確実に車内へ侵入しているのに、誰も見向きもしないんです。
とにかく距離を取らなきゃって思って、反対側の車両のほうへ逃げました。次の駅に着くまで時間を稼げるかなんて計算している余裕はありませんでしたよ。電車の最後尾まで追い込まれて、俺はもう震えるしかなくて。視界の端にいる乗客たちは「何してんだ、この人?」って表情でこっちを見てました。そんなの構ってる余裕なんてないのに。
目を閉じると、ゆらゆらと、あれが近づいてくるイメージが頭の中に鮮明に浮かぶんですよ。恐怖で目を開けていられないのに瞳の裏にそれがいる。目を閉じては、あの塊がぺたぺたと近づく情景を見てしまう。開いていたら、いつあれが触れてくるかも分からない。
それが距離を縮めるほどに、今までモヤにしか見えなかった輪郭がどんどんはっきりしてきて……ついには、あれの正体みたいなもののイメージが見えてしまったんです。青白い、まるで水ぶくれしたような赤子。それも何十体も、顔のない赤子同士が絡まり合って蠢く塊になっている……そんなおぞましい姿を。見た瞬間、血の気が引いて、背筋が凍りつきました。
もう、触れられるまであと数歩、いや数センチといった感じでした。足音といえるのかどうか、べちゃり、べちゃり……って、赤子のようなものがいくつも絡まり合って蠢く音が、自分の鼓膜を直に振動させているかのように響いてくるんです。……俺はただ、固まって震えるしかなかったんです。
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