第5話 契約
日曜日。
わたしは株式会社
玲さんからの返信は早かった。
『わかった。まずはありがとう。次の日曜日の朝10時に、本部ビルのエントランスに来てね。』
本部ビルは少なくとも十階以上はある、大きなビルだ。のどかな街である川添で、ひときわ異彩を放つ建物。それに対峙するたった一人のわたし。
緊張する……
複雑な想いを胸に、わたしは本部ビルに足を踏み入れた。
(き、きれいだな……)
思わずキョロキョロとしてしまうわたし。この前勧誘された時にも見たことだが……本部ビルは、よさげなオフィスビルと大差ない雰囲気だ。
(まぁ、謎の獣を回収してた職員もいたし、CROSSは普通に、たくさんの従業員を抱える立派な会社の組織なんだろうな。)
その会社こそ、
(ここで集合って話だったけど……)
玲さんは……いた。みんなスーツの中一人だけあの制服だから、すぐにわかった。玲さんも気づいたらしく、こっちに駆け寄ってくれた。
「朱音さん、おはよう!」
「あっ玲さん……!おはようございます。」
「一人だけ私服だからすぐにわかったよ~。私についてきて。」
「は、はい。」
改札口みたいなゲートを首から下げた社員証をかざして通り抜けた玲さん。わたしもその後ろを蛇に睨まれたカエルのようについていく。何も問題ないとはいえ、こんな立派なオフィスにただの高校生のわたしはかなり場違いであり、そりゃあ緊張もする。
わたしと一緒にエレベーターに乗り込んだ玲さんは、「15」……一番上のボタンを押すとともに……またもや社員証をかざした。
「……?」
わたしの疑問を浮かべた表情を見たのか、玲さんは答えてくれた。
「あぁ、15階はCROSS関連のフロアしかないから、社長とCROSS関係者しか入れないんだよ。だからほら。」
青いアクセントがかっこいい社員証を得意げに見せつける玲さん。
「このCROSS専用社員証をかざさなければ、エレベーターが動かないってわけ!」
「な、なるほど……」
そういえば、エレベーターなんて沢山あるのにわざわざ誰も乗っていない一番奥のエレベーターを選んでいたし……きっとこれしか15階に行けないのだろう。
「……着いたよ。」
おしゃれなオフィスのエレベーターは、安っぽい音なんて鳴らさない。
右上のモニターが「15」を映したすぐあとに、扉が静かに開いた。
……先ほどまでのオフィスとは一線を画した雰囲気。
青を基調とした、どこかメカメカしくてカッコイイデザインの廊下。
間違いなく、この前目覚めた場所……ではない(そもそも、あそこは2階だ)けど、それに近い場所だ。
「……今日は、一番手前の部屋で、契約書を書いてほしい。」
「契約書……?」
「あのー、もし朱音さんがCROSSになったとしたら、会社としてはバイトの扱いになるの。」
「バ、バイト……」
「うん。その方が色々と簡単だからね。だから……普通のバイトと同じように、契約書が要るわけなんだ。」
「なるほど……」
部屋に着いた。自動で開く扉。中は……椅子と机、それに契約書らしき紙があるだけの、会議室のような雰囲気だった。
「座って。これが、契約書……」
そう言って、机の上の契約書を指し示す玲さん。
わたしはひとまず玲さんの向かい側に座ったものの……いくつかの疑問が浮かんでいた。例えば……
「あ、あの……面接とかは、いいんですか?」
「えっ?」
「何というか、いきなり契約書って、変だなって……それにもしかしたら、わたし、とんでもないクソ女かもしれないじゃ、ないですか……」
「まっさか!朱音さんがそうする人には見えないよ~。あと……面接はもう済んでるし、ね。」
「えっ……?」
「ほら、この前利き手について質問したでしょ?あれが面接だよ。」
「……???」
えっ、利き手、だけ……?本当にCROSSってそれだけでなれるの?
「あぁ、もちろんそれだけじゃないよ。朱音さんは……CROSSの才能がある。それが最大の理由かな。多分今の高校生の中で一番、ね。」
「さ、才能……」
あの採血検査のことだろうな。でも、結果が正式に出たわけでもないのに、納得なんて……
「……疑うのも無理ないよ。でも、もし朱音さんがCROSSになって一度でも変身をしたのなら……『才能』の話はすぐに信じてもらえると思う。」
真摯すぎる視線……嘘をついているようには、見えなかった。こんなに見られると、なんだか恥ずかしい……
(ま、まぁひとまず、これを見ないことには……)
視線から逃げるように、契約書をじっくりと眺めるわたし。
……まあ、ヤバいことは書いていなかった。強いて言えば
「緊急事態には強制招集をかけることがあります」
くらいかな。そうはいっても、
「実戦は必ず週一回までです。例外はありません」
ということも書いてあるから、とことん搾取される心配はなさそうだ。
「あくまでバイトなので、会議に参加する必要はありません」
ともあるし。もう一つ気になるのは……
「……あ、一つ、いいですか?」
「どうしたの?」
「あの、両親の許可をまだもらってなくて……」
当然の質問。わたしだってただの高校生だ、それくらいは気に留める。
だが、玲さんの返答は意外なものだった。
「……あぁ、なら心配ないよ。」
「?」
「あらかじめ、話しておいたから。」
「えっ……?」
言葉を失うわたし。
「これを見て。朱音さんの両親のご署名……」
玲さんが見せた紙には……確かにお母さんとお父さんの筆跡で署名がしてあった。
「この前会ったとき、ご両親に『帰りが遅くなる』って連絡を入れたんだけど、その際に貰っておいたものだよ。」
「……ちょっと、見せてください。」
「えっ?いいけど……」
自分で言うのもなんだが、わたしの親はそこそこ常識がある方である。たったひとりの愛娘が戦闘に身を置くなんて、許しそうにないのに……
そんな疑問は、玲さんから奪い取った紙――契約書のコピーだった――を見てすぐに解決した。蛍光ペンで印がつけられていたところに、確かにこう書かれていたのだ。
「CROSSの構成員は、原因不明の気絶症状(仮称)に対する新薬を無償で処方されることができます」
新薬の存在は知っていた。原因不明の気絶症状を一時的に和らげる薬……ニュースでそこそこ取り上げられていたからだ。でも値段が高すぎて、とてもじゃないが手に取れそうになかった。それを、無償で……?
「……朱音さん、この症状にずっと悩んでいるらしいから。私が本社に交渉してこの条件を入れてもらったんだ。その契約書にも書いてあるはずだよ。」
「……」
背中が震える。元からやるつもりで来たとはいえ、こんなわたしのためにここまで徹底的にサポートをしてくれるCROSSの有難さ、そしていつの間にか両親を説得するなど、何をされるかもわからない不気味さを、今、全身で実感している……
(わたしは、この組織の一員に、なろうとしているのか……)
落ち着け……わたしが損をする条件ではないはずだ……
震えを抑えようと、一心不乱に手元の紙を読み進めていくわたし。すると程なく他にも気になる点がみつかった。
「……すみません。」
「ん?どうしたの?」
「あの、雇用主の名前……」
「あれ、社長のこと知ってるの?ずいぶん前に引退したと思うけど……」
「……いや、何でもないです。」
契約書に書かれた雇用主の名前……
『株式会社名家連合社長 横嶺 紗香』。
(横嶺……絵那ちゃんのお母さんかな?期待の跡継ぎって……本当だったんだな。)
その後もしばらく読み込んだが、他には
「やめたいと言えばいつでもやめることができます」
だったり、
「任務による負傷、疾病の治療費は全額CROSSが負担します」
だったり、怪しいどころかむしろありがたい条件ばかりが連なっていた。
(これもCROSSのおカネがなせる業、なのかな?)
震えもようやく収まった……ひとまず、契約書が原因で大きな損を被ることはなさそうだ。
(……よし。)
『朱音 巳友』
ちょっと歪な字だけれど、確かにこの手で、わたしは名前を刻んだ。
「……うん。確かに受け取った。」
「……はい。」
もう戻れない。わたしはCROSSになったのだ。
絵那ちゃんに会いたい、ただそれだけの思いで。
「……」
玲さんは、契約書を見つめながら感傷に浸っているように見える……
「……これで朱音さんは、晴れてCROSS所属になったよ。当然、いきなり実戦なんて無理だからある程度の訓練期間は設けるけど……社員証……正確にはバイト証だけど……それができ次第、いつでもここのオフィスに入ることができるからね。」
「はい……」
「じゃあ、今日はこれで終わりだから、いつでも退出していいよ。……よかったら、CROSS本部の色んな部屋を紹介してもいいけど。」
「い、今はいいです……失礼しました。」
まだ心の準備ができていない。絵那ちゃんと鉢合わせる可能性がある以上、不用意にここをうろつきたくはなかった。
写真のデータはその場で玲さんに送信しておいたから、社員証ができるまでは数日で済むそうだ。家に郵送されるらしい。それまでの間はひとまずリラックスできる。
「……絵那ちゃん。また会えるかな……」
エレベーターを一人降りながら、わたしはそうつぶやいた。
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