『猿、死人、襟巻き』

「マフラーによる首吊り死体が見つかった。」


山村の警察署で眠い眼を擦りながらあくびをしていた駐在は、その電話に眠気を吹き飛ばされた。

総人口は300人。

たまに起こる夫婦喧嘩を仲裁するくらいが関の山だった駐在にとっては、国家転覆にも値する程の大事件だった。


亡くなったのは前川ハル子さん(68)。

駐在が赴任した時には庭で取れたトマトをどっさりと持ってきてくれ、以降「これで元気だしぃ」と定期的に野菜を署に届けてくれた。


しかし去年夫に先立たれてからはめっきり元気が無くなり、署に来てくれることも無くなった。

自殺した、と聞いても「ハル子さんなら確かに」と納得は出来る。が……


「マフラーで、ってのが、妙だわなぁ。」


ハル子さんの葬式を後にした車内で、駐在はポツリと呟いた。

農作業をしていたハル子さんは柵や袋を纏めるための縄を持っていたはずだ。

首吊りの道具にそれを選ばなかった事が、駐在の中で引っ掛かっていた。


不審な点が見当たらなかったとして、本部は「独居老人の自殺」で捜査を打ち切った。

こんな田舎の事件など手間を掛けるだけ無駄だ、というのが本音だろう。

これ以上の進展が見込めない中で、胸の内の違和感を解消できるのは駐在自身しかいない。


「どうせ暇な仕事だ。少し、調べてみようかね。」


微かな好奇心を胸に、駐在はアクセルを踏み込んだ。




駐在が訪れたのはハル子さんの家だった。

すぐ裏の森から猿の泣き声が響く古民家。

マメな性格からかしっかりと掃除をしていたようで、家主を失って少し経った今も小綺麗なままだった。


「邪魔するよー。」


見回りの際にお茶の誘いを受けた時と同じ挨拶をして、裏庭のドアから入る。

さすがに花壇の花は枯れてしまっていたが、畑のトマトやキュウリはちょうど育てていた最中らしく、いくつか綺麗に成っていた。


そしてやはり、庭の隅にはスキやクワの耕具に混じり、ずた袋用のしめ縄が数本束ねて置いてあった。

近づいて持ってみたが、マフラーよりもずっと丈夫に出来ている。

首を吊ろうという人間が無視するとは考えられない。


「となると首吊りはハル子さん以外の仕業…なのか?」


駐在が呟いたその時、ガサッと庭の近くにある藪から音がした。


「誰だ!」


驚いて音のした方を見るが、誰もいない。

しかし、藪を掻き分けて裏山に進んでいった跡は見えた。

動物にしては横幅が大きく、道を塞ぐ枝が手で折られた形跡もある。

間違いない。人間が通った跡だ。


「ハル子さんが通った跡か?でもなんで裏山に……」


首を吊った場所が裏山の中だったことから考えると、ハル子さんは死ぬ前にここを通っていったのだろう。

だが自殺するならもっと通りやすい道もあったはずだ。


庭に手がかりがない以上、ここを辿る他無い。

藪の中から襲われる可能性もある。

駐在は拳銃に手を添えていつでも取り出せるようにしながら、慎重に道を進んでいった。


枝葉を潜って避けながら、曲がりくねる道を進むこと5分。

草がより生い茂ってきた所で道が途切れてしまった。


視界の悪い中なんとか痕跡を探そうと、駐在は辺りを見渡す。

すると茂みの中の1角に、トマトやキュウリ、スイカなど、多くの野菜が乱雑に積まれているのを見つけた。

恐らくハル子さんの庭で育てられた物だろう。誰かが盗み出したようだ。


「こんな分かりにくい所に隠して……って隠すなら当然か。」


駐在は草を掻き分け野菜の元までたどり着く。

低いところに枝が多く生えているので、四足を付いてハイハイ歩きの形になった。

1番上に置かれていたトマトを手に取ってみると、小さな歯形が付いていた。

しかし、人間のものでは無い。これは……


「猿の食べ差しだ。」


駐在が呟いたその時、首にフワリとしたものが当たる。

ハッとした瞬間、首が締め付けられると共に体が強く引っ張り上げられた。

足が地面を離れ、首の締め付けが更に強くなり、気道が塞がる。


「グッ、ガァッ!」


何とか首を自由にしようともがく内に、駐在の体が半回転する。

目にしたのは自分の首からぶら下がるマフラーと、それが結び付けられているしなりの強い枝、そしてその枝の上でニヤニヤと笑う数匹の猿の姿だった。


酸素が行き届かなくなりぼやける脳でも、事態の概要は把握できた。

この猿達は丈夫で折れにくい枝の先端にマフラーをくくりつけ、跳ね上げ式の罠を作ったのだ。


野菜の山に気を取られた人間は、上で首を括ろうと待ち構える猿に気付かない。

マフラーを首に掛けると同時につっかえ棒を取って軋ませていた枝を戻せば、首吊り死体の完成だ。

ハル子さんも同じ手口にやられたのだろう。


(くそっ!早くマフラーをはずさないと……!)


首回りのマフラーを左右に引っ張り緩めようとするが、びくともしない。

冬の冷え込みが激しいこの村で売られているのは厚手のマフラーばかり。

しかも手触りの良さや少しのほつれもない所を見るに、完全な新品だ。

ちょっとやそっと引っ張られたくらいでは破けない。


それでも何とかしようと顔を真っ赤にして歯を食い縛る駐在を見て、猿たちはキキキと笑う。

明らかに、この状況を楽しんでいた。

ハル子さんに続いて大柄な駐在も仕留めたとなれば、猿たちはますますこの遊び・・に熱中するだろう。

いずれ警察が異変に気付いて本格的に捜査を始めたとしても、それまでに何人の村人が犠牲になるか分からない。

今ここで、伝えなければ。

しかし……


「ク……カッ……コハッ……」

「キキキ!」

「キキ」

「ンキャッ!」


口に残った微かな息を吐き出すことしか出来ない駐在を、猿たちは更にけたたましく嗤う。

視界は霞んで、意識も遠退く。

耳も遠くなり、木々のざわめきと猿の泣き声が混ざり合い、消えていく。

嫌だ、死にたくない。

俺がいなくなったら、誰がこの村を守るんだ。

この事を、早く知らせないと。

絶対に、絶対に、ぜったいに。

ぜっ……た……い…………………………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アッシーの三題噺 アッシー @1234_ASH

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ