あの山に骨を埋める

清水らくは

あの山に骨を埋める

 激しい雨だった。この先の道は険しく、進むのは得策でないと考えた。戻るのも危険か。岩と木の影に隠れた場所を見つけ、そこにしゃがみこんだ。

 久々に登山に来たらこのありさまだ。予報では雨の確率は20パーセントだったが、降らないとは言っていない。仕方ないと思いつつも、ずっとやまなかったらどうしよう、と憂鬱になる。

 一人で山に登るのは本当に久々だった。ずっと恵介と一緒だったのだ。山で出会い、山で楽しみ、山で喧嘩して、山好きな女に盗られた。

 一人でも私は山に登れるんだという、見栄から決行した登山。汚い気持ちを自然に見透かされていたのだろうか。がむしゃらに山頂を目指すほどには熱くなっていなかった。私の恋心も、頂ではなくなっていたのだろう。

「え」

 冷静なせいで、私にはそれが見えてしまった。木の根元に見える、白いもの。地面に少しだけ突き出たそれは、骨だった。山で骨を見るのは初めてではない。獣に襲われたのか飢えたのか力尽きたのか、動物の骨というのがたまにあるのだ。

 ただ、見ただけでな何の骨なのかはわからない。人骨かもしれないが、私の知識では判別することができない。

 骨はとても小さい。私は手を伸ばした。なぜそうしたのかと聞かれると困る。あえて言うならば、骨が呼んでいるようだった。

「見て、すごい景色がきれい」

 骨に触れた瞬間、頭の中で声がした。驚いて尻もちをついてしまった。

「何……?」

 もう一度骨に触れる。

「そうだね。これを見せたかったんだ」

 知らない女性と男性の声だ。ただ、光景は浮かんでくる。私たちの場合、逆だった。私の方が登山歴が長く、恵介をお気に入りの山に連れていくことが多かった。見せたい景色があったのだ。

「また来たい」

「同じ山にかい?」

「季節や天気が違えば、違う景色になるんでしょ?」

「ははは、そうだ」

 骨から声が聞こえる不思議さについては、考えないことにする。会話は続いていく。まだ付き合って何年もはたっていないんだろうな、と思った。楽しそうで、幸せそうだ。

 私は骨を拾って、リュックのポケットに入れた。会話は聞こえなくなった。

 雨脚が弱まってきた。私は、骨と共に下山し始めた。



 骨は、触れると頭の中で語り出す。

 家に持ち帰った骨は、マグカップの中に入れた。嫌な思い出がよみがえりそうになる時、触れてみる。するとあの男女が、楽しそうに会話をするのだ。山以外にも普通のデートをしていたり、家で会話をしていたり。幸せそうな声だった。自分も幸せだった時を思い出したくて、何度も繰り返し骨に触ってしまう。

 これは人骨だろう、という怖さはなかった。物というよりは、思い出に直接触れているような気がした。

「最近会えなかったね」

 女性の声が少し寂しそうだった。色々あって、なかなか会えないときはある。それは確かだ。自分のことを思い出して、何度か頷いた。

「ああ。仕事が忙しくて」

「そう。ねえ、次いつ山行ける?」

「ああ、そうだな……」

 二人は、私も行ったことの山へ登る計画を話し始めた。

 山へ行き、会えない日が続いて、また山へ行き、しばらく会えない。女性のことを思って、つらくなり始めた。違う。私のことを思い出しているのだ。

「賑やかなところへは、別の人と行くんだね」

 冷たい声が響いた。

「いや、あれは……」

「いいの。こういう日が来るのはわかっていたから。でも、どうしても私を選ぶって言うなら、許してあげる」

「ごめん……」

 頭が割れそうだった。幸せは骨の中でも砕けていた。

「やっぱり、ここの景色がきれい」

 その声に、続く男性の声はなかった。とぎれとぎれに聞こえてくるのは、自分に言い聞かせるような女性の声ばかりだった。



 私は再び、あの場所に戻ってきた。岩と木に隠れたところ。今日の天気は快晴だった。土を掘って、骨を埋めた。

「のぞき見してごめんね」

 私は手を合わせて、頭を下げた。

 そして、歩き始める。一時間ほどで、山頂に着いた。いくつもの山々と、澄んだ空。

「すごい景色がきれい」

 そう言って私は、大きく息を吸い込んだ。

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あの山に骨を埋める 清水らくは @shimizurakuha

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