地下鉄の夢

朝本箍

地下鉄の夢

 友人のMが大学の卒業式の日に体験した話だ。

 今でもそういう大学は多いらしいが、Mの大学は入学式と卒業式は人数が多いため、大学構内ではなく体育館やホールを貸し切って行うことになっている。Mの時代には街中から少し離れた場所の普段はコンサートを開催している、立派なホールが会場だった。

 会場近くにはあいにく袴の着付けをしている店舗を見つけられなかったので、Mは街中の店舗を予約し、そこからは普段使っている路線ではない地下鉄で移動することにした。

 かなり早い時間に起きなければならないが、友人達が皆袴を着る機会などもうないかもしれないと張り切っていたので、そういうものかと諦めた。通勤ラッシュ後の時間になることがせめてもの救いだった。

 そして当日。

 着付けは幸か不幸か順調に終わり、予定よりも早い地下鉄に乗ることが出来た。それなりに人が多かったものの、どこからどう見てもハレの日を迎えたMに周囲は優しく、不慣れな格好を気遣って席を譲ってもらえたという。

 そして会場へ向かい発車した地下鉄は、次の駅へ入ろうかどうかというところで「何か」にぶつかって停止した。直後、車内が暗転し「しばらくお待ち下さい」という焦ったような、それでいて諦めているようなアナウンスが響く。

 先頭車両に乗っていたMはぶつかった瞬間、どんという鈍い音と「何か」に車輪が乗り上げた傾きを確かに感じたらしい。初めてだったがつまり、そういうことなんだろう、とそれらに理解させられた。

 卒業式の日になんてことだ、そう思い同時に、遅刻するかもしれないと慌てたMがとにかく友人達へ連絡しようとスマホを取りだそうとした時、不運は重なった。

 暗転した車内に光が差し込む。それは地下鉄の外からだった。何だろうと好奇心から車窓の外へ視線を移動させたMは、今まさに担架に乗せられて運ばれて行く毛布の塊を見てしまった。

 地下鉄職員の茶色い制服と、救急隊員の薄青い服に挟まれた黄土色らしい毛布は確かに膨らんでいて、やっぱりそうなんだ、Mは何故かぼんやりとそれが視界から消えるまで見送った。

 同乗の人々は大半が自分のスマホを眺め、車窓を向いていたのは自分くらいだった。無関心にも慣れているようにも見える人々は動揺もなく地下鉄の再開を待っている。

 それが去ってから少しして、地下鉄は何事もなく出発し、Mは卒業式へ何とか間に合った。結局友人達へは連絡をしていなかったが晴れの日に相応しくない話題だという自覚はあったので、行きの地下鉄であったことは誰にも言わなかった。卒業式は特に涙もなく淡々と終わり、Mは友人達と祝賀会へと移動した。

 その日の夜。

 祝賀会でそれなりに飲んだMは辛うじてレンタルした袴から着替えたものの、化粧も落とさずベッドへもぐり込み、そして、夢を見た。

 真っ白で地平線もないだだっ広い空間に、ぽつんと自分だけが立っている。どこを見渡しても何もないのに何故か今日は晴れていて、夏の暑さが本格化しつつあることを知っていた。空もなければ温度も感じないのに。

 どこからか、音がする。つい最近聞いた音だ。

 何の音だろうと振り向いた先には白を断ち切るよう、古びて錆びついた線路が一直線に伸びている。間違いなくさっきまでは存在していなかった線路。そこから少し離れた場所に同じくいつの間に現れたのか、季節外れの黄色いコートを着た女性が立っていた。黒髪が腰まで流れ、コートの裾は足首まで伸びている。

 女性はMに気づくことなく、おぼつかない足取りで線路の方へと歩き始めた。嫌な予感がMの喉を大きく鳴らした。また、音。駆動音だ。

 線路や女性と同じようにどこから現れたのか、古い線路の上を電車、いや地下鉄が走ってくる。女性はまだふらふらと線路へ差しかかったところだが、止まる気配は微塵も感じられなかった。まずい、これじゃ今朝の。

 Mは女性に対して制止の声を出そうとしたがその声が出ない。砂でも詰まっているのか、喉がからからに渇いているのか。さっき大きく鳴ったのが嘘のようにMの喉は何の音も立てず、地下鉄の駆動音だけが響く。

 今朝と違うのは衝突音も聞こえなかったことだ。

 黄色いコートの女性は地下鉄に轢かれ、Mの前で半分になってしまった。反射的にその身体からは目を逸らしたが線路と地下鉄は魔法のようにかき消え、白い世界に赤が広がっていることからは逃れられない。どうしよう、そう思った次の瞬間、半分になった女性の上半身が、ゆっくりと動き出す。

 両手を足のように使い、Mに向かって這ってきているのだった。ずるり、ずるり、何故なのか考えることもしたくない粘着質な音に混じって小さな声も聞こえる。

「どうして?」

 私が聞きたい、とMは叫びたかったがやはり声は出なかった。

「どうして?」

 ずるり、ずずず、ずるり、ずるり。

 女性の上半身が自分の足元までやって来たところで目を覚ました。

 卒業式と事故が夢の中でごちゃ混ぜになったのだろう、そう納得したものの気色悪さを拭い去ることは出来ない。Mは持ちネタのひとつ、実体験の怪談としてこの話をよくするようになった。聞かされた私達も何故か必ず同じ夢を見たのだが、そこの理由はわからない。


「どうして?」

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地下鉄の夢 朝本箍 @asamototaga

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