第2話 兄の事情・2

「は? 白雪姫?」


 高校への通学路を歩きながら、オレは聞き返した。


「うん。今度の文化祭でね、うちのクラスで演劇の出し物やることになったの。結構、今から準備で大わらわなんだけどね」


 ほんわか笑いながら、ユカリはのんびりと答える。

 咲夜はさっきから黙り込んだまま、仏頂面で後ろを歩いている。


「へえ。オマエ、何やんの? 白雪姫?」


「ええっ、まさかぁ」


 驚いた様子で、首を横に振る。


「わたしなんて、お姫様って柄じゃないよぉ。わたしは小道具の担当で、あとモブの侍女役とかで、ちょっと出るくらいかなぁ」


「んー、そうかぁ? 結構『お姫様』役とか似合ってると思うけどなぁ、オマエ」


「や、やだなぁ、もう……コウくんったら」


 何気なく言ったつもりだったが、ユカリは顔を真っ赤にしてモジモジしている。


「いやいや、物腰とかなんか高貴っぽい感じするぞ。ガチでお嬢様だし。『ユカリ姫様ー』みたいな」


「ちょっ、やめてやめて」


 その反応が面白くて、つい調子に乗ってからかっていると、


「痛っ」


 後ろから咲夜に踵を蹴られた。チラと振り返ると、「バッカじゃないの」とそっぽを向いて膨れている。どうやらうちのお姫様は、相当ご機嫌斜めのようだ。


「あのね、ホントは最初、クラスのコたちから『白雪姫』役にって推薦されてたの。でも断っちゃった」


「へ? なんで?」


「だ、だって」


 より一層顔を真っ赤にして、ユカリはボソボソと口籠もる。


「し、白雪姫役ってことは、その……アレ、するんだよ? も、もちろん、演技なんだけどさ……」


「はあ? なんだよ、『アレ』って?」


 彼女は一瞬、泣きそうな表情でオレを見やって、


「もうっ、コウくんの意地悪!」


 拗ねたように、プイと顔を背けた。


「? ? ?」


 ……ワケがわからん。


「バァーカ」


 訝しげに首を捻るオレに、後ろから声が響いた。咲夜のやつだ。


「白雪姫で『アレ』っていったら、キスシーンに決まってんじゃん」


(ああ、なるほど)


 そういうことか。ようやく合点がいった。


「あー、その、なんだ……なあ、ユカリ」


「…………」


「あの、白雪姫が王子様のキスで目を覚ますって、アレな……ぶっちゃけディズニーが世界に広めた改変版だかんな」


「……え?」


 涙目で無視を決め込んでいたユカリが、ふと顔を上げる。


「元ネタのグリム童話では、白雪姫は棺を地面に落とされた拍子に喉に詰まってた毒リンゴが口から飛び出して生きかえるっつー、なんかビミョーなオチなんだよ。王子様のキスで目を覚ますってのは『眠り姫』の話の方だ。魔女の呪いで100年間眠り続けてたお姫様が王子様のキスで呪いが解けてハッピィエンドっていう、さ。グリム童話では『いばら姫』だし、ペロー童話では『眠りの森の美女』だな」


「へ、へえ」


「いや、フツーに考えたらおかしいだろ。毒リンゴ食って死んだ死体相手にキスするって……どんな変態王子だよっ! 完っ全にネクロフィリアじゃねえか」


「ひっどーい、なにそれぇ」


 クスクス笑いだすユカリに、オレは更に調子に乗って続ける。


「『シンデレラ』なんかもさ、日本でよく知られてるのは、ペロー版の『サンドリヨン』の方だよな。シンデレラっつったら〈ガラスの靴〉〈カボチャの馬車〉〈魔法使い〉ってイメージだろ? でもグリム版の『灰かぶり』では三つとも出てこないからな」


「えー、本当に?」


 目を丸くするユカリに、オレは心の内で快哉を叫ぶ。


(ああ、なんて……なんていいリアクションをするやつなんだぁぁぁぁっっ!)


 そう、これだよ、これ。コイツは昔っから、オレの蘊蓄をメチャメチャ素直に喜んで聞いてくれるのだ。


〈ゼノンのパラドックス〉とか〈天国と地獄の門番〉とか〈モンティホール問題〉とか〈世界五分前仮説〉とかな。ある意味、オレの中二病的な知識自慢をこじらせる元凶となったのがコイツだといっても、過言ではないだろう。


 そう、そうなんだよ……コイツの尊敬の眼差しが、オレに麻薬のような高揚感をもたらし、その快感を得たいがために、オレは……


「ふぅーん、そーなんだぁ」


 そして。そんなオレに、妹の醒めきった言葉が冷水を浴びせてくる。


「はいはい、お兄ちゃんの雑学自慢スゴいでちゅねー。ウィキペディアでいっぱいお勉強したでちゅねー。よっぽど暇なんでちゅねー。拍手してあげまちゅよー、パチパチパチ」


「クッ……」


 いつもながら小馬鹿にした口調の毒舌が、的確にオレの胸をグサグサ抉ってHPを削ってきやがる。相変わらず絶好調だな、おい。


「う、うるせぇな、オマエには言ってねえだろ。余計な口出ししてんじゃ――」


「あー、はいはい、すいませんねぇ、蘊蓄王のお兄ちゃんに比べて情弱な妹で」


「いやっ、だから誰もンなこと言ってねえだろーが! どんだけオレを貶めてえんだよ、オマエはっ」


「あれでしょ? お兄ちゃん、将来クイズ番組とかに出て『宇治原二世』って呼ばれるのが夢なんだよね」


「ザケんな、ゴルァァッッ! 人生最大の侮辱だわ! 言っていいことと悪いことの区別もつかねえのか、このバカ妹がっ」


 険悪な空気で妹と睨み合うオレを、

 ユカリはただ黙って、穏やかな生温かい笑顔で見守っていた。


 少し困ったような、そして何故か、どこか寂しげな――。





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