影祓いの異端騎士 〜宿命を討つ銀炎の戦記〜

冬司

序章

プロローグ【目覚め】


「ミーナ!」


叫び声が、怒り狂う川の咆哮に呑み込まれていく。


濁流は春の雨を吸い込んで膨れ上がり、穏やかな表情を失っていた。

水面が牙を剥いた獣のように波立つ。

泥を含んだ褐色の渦が次々と生まれては消えていく。


「つ、つかまれ!」


ルカは川岸に生えた柳の枝を必死に掴み、震える腕をミーナに向けて伸ばした。

彼女の白い指先が、濁った水面下で光を失いながら遠ざかっていく。


(あと少し、あと少しだけ──)


その瞬間、足場が崩れた。


体が宙を舞い、視界がぐるりと回る。

泥まみれの水が容赦なく喉に流れ込み、氷の刃となって肺を突き刺した。

凍えるような水圧が四肢を締めつけ、息ができない。

必死に手を伸ばしても、掴めるものは何もなかった。


渦に巻き込まれ、意識が遠のいていく。


水面が遠ざかり、深い闇が迫る。

溺れる者の目に映る最期の光景は、こんな風なのかと、どこか冷静な思考が頭をよぎった。


その時、異変が起きた。


暗闇の中で、ルカは奇妙な光景を目の当たりにした。

水中とは思えない、星空のような景色が広がっていく。

無数の光の粒が静かに漂う。

その一つが、意思を持つようにルカの胸へと近づいてきた。


銀色の光が、ゆっくりとルカの肉体に溶け込む。


(──温かい)


死の淵に立っているはずなのに。

その光だけが不思議な温もりを持っていた。

まどろむような心地よさが全身を包み込む。

意識が徐々に深い眠りへと誘われる。


──ルカ——


突如、誰かの声が頭の中に響いた。

それは遠い記憶の底から引き上げられたような、懐かしさと違和感が混ざり合った声だった。

優しさの仮面を被った、何か得体の知れないものが、彼に語りかけている──そんな予感が背筋を走った。


(誰──なの?)


問いかけた瞬間、意識が闇へと沈み始めた。




***




「生きてる! この子、まだ生きてるぞ!」


誰かの叫び声が、遠くで木霊する。


重たい瞼を開くと、灰色の空が視界いっぱいに広がっていた。

頬に感じる砂利のざらつき。

喉の奥が焼けるように痛む。

肺が裏返るほどの咳が込み上げてくる。


「ルカ! ルカ!」


泣き叫ぶ声に振り向くと、ミーナが涙に濡れた顔で覗き込んでいた。

彼女の服からは川の水が滴り落ち、震える手が彼の頬に触れる。


「よかった……本当によかった……!」


周りには何人もの村人が駆けつけていた。

安堵の声が行き交い、誰かが毛布を持ってくる気配がした。

だが、ルカの意識は奇妙な違和感に捕らわれていた。


全身が冷え切っているのに、胸の奥だけが異様に熱い。

あの銀色の光が、まだ彼の中で脈打っているような──。


(これは、一体……)


その時、背筋が凍るような感覚に襲われた。


誰かに、見つめられている。


それは遠くからの視線ではない。

すぐ近く、この場所で、何者かが彼を監視している。


皮膚の内側を這うような不快感。

まるで体の中に、見知らぬ存在が潜り込んでいるかのような戦慄。


ルカは恐る恐る周囲を見回した。

そこには心配そうな村人たちと、安堵の表情を浮かべるミーナの姿しかない。


(誰……どこにいるの……?)


答えはない。

ただ、正体不明の気配だけが、執拗に彼の存在を見つめ続けている。

その視線は外ではなく、確かに己の内側から感じられた。


彼の体の中に巣食う何かが、目を覚ましたかのように。


寒さで震える体を抱きしめながら、ルカは知った。

この日を境に、自分の人生が引き返せない道を歩み始めることを。


あの川底で出会った光は、決して救いの手ではなかった。


それは、彼の魂に巣食う「何か」の目覚め。


すべては、ここから始まる。

人ならざるものとの、逃れられぬ物語が──。

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