09:りょうしゅはなやんでいた。

 パロが領主一家の一員になった翌朝。


 前夜から一睡もできず執務室で夜を明かしたジャンは、深刻な問題を抱えていた。

 先日の火災についてだ。

 城塞都市の象徴とも言えるクロスヴェイン城で起きてしまった以上、領主として民への説明責任がある。しかしそのために必要な調査は、火災から2日が経過した現在も難航していた。


 出火原因は放火であることが判明している。

 しかしこれを説明すると、当然”犯人は誰なのか”という流れになる。これに対し「目下調査中」などと正直に話せば、今代の領主は城に放火されても犯人が誰なのかさえ分からない無能、というレッテルを貼られるだろう。事実とは言え、先代領主と交代して半年しか過ぎていないこの時期にその程度の報告では、今後の領地経営に大きくマイナスとなるだろう。

 では嘘の進捗を発表する? それも悪手だ。せめて犯人がはっきりしていれば推論を交えた話し方もできるが、どこの誰かも分からないのに「目星はついているが公表はできない」のような説明では犯人擁護とも捉えられかねない。

 かと言って架空の人物を犯人にでっち上げるのは更に悪い。簡単に終わる事件ではない以上、辻褄が合わなければ後で嘘がばれる。

 ……やはり、早急に犯人の特定か、あるいは犯人に繋がる確実な情報が必要だ。


 しかし……。

 何度目かの溜め息とともに机上に目をやる。

 現時点の進捗は、机上に置かれた数枚の調査報告書といくつかの回収品のみ。

 回収品は先日、騎士団が城へ現場検証に入った際に不自然と感じた物を大雑把なフィーリングで拾ってきたらしい。

 それらが今回の犯行に結びつく可能性は、正直言って低いだろう。


 ジャンは机に片肘をつき、親指でこめかみを押さえながら報告書を読み返す。

 火災発生時の証言報告によると、火の手は少なくとも城の2階と3階の計4地点から、ほぼ同時刻に発生したらしい。

 建物内部の木造部分を中心に炎は広がり、石造りの外郭の大部分は原形を留めたが内部はかなり焼けていたと騎士団からも報告が上がっている。


 あの炎は……普通の炎ではなかった。

 どんなに水をかけても炎は消えず、更に燃え広がるばかりだったと証言報告に記載がある。実際ジャン自らも消火を試みたので、この内容が誇張や誤りではないことは知っていた。魔法が使われたのか、あるいは特殊な燃料が用いられたのか。この点はまだ明らかにはなっていない。


 別な書類に視線を移す。こちらは出火時の不審人物に関する調査報告だ。

「火がついた時、どの火元にも不審な人物はいなかった」

 警備の兵士たちの証言は一致している。

 放火であれば通常、犯人がその場にいて、火をつける動作をするはずだ。しかし今回の火事ではそんな動きを見た者は誰もいなかった。だとすれば何らかの仕掛けが使われた可能性が極めて高い。

 では、そんな仕掛けをいつ誰が……?

 当日の入退城者の記録も報告に上がっている。だが関係者も訪問者も全て身元が確認ができていて、連絡もつく。つまり犯人は「城内に頻繁に出入りできる者の誰か」である可能性が高い。


 静寂に包まれる執務室。

 そこへ小さな足音が近づいてきたことにジャンは気づいた。

 足音は扉の前で止まると、ノックする小さな音が部屋に響く。


「入りなさい」


 ジャンの声が返ると、遠慮がちに執務室の扉が開かれた。

 扉の低い位置からひょいと顔を出したのは、ふわりとした栗色の髪を揺らしたミゼリーと、その更に低い位置から我先にと部屋に入ってきたパロだった。


「パパ、おはよう!」

 ミゼリーは無邪気な笑顔で、部屋へと足を踏み入れた。重苦しい空気が滞留した部屋に光が差したかのように感じた。パロもジャンの足元までやってきて、つぶらな瞳で見つめながら短い尻尾を振っている。


「おはよう、ミゼリー。……パパは今お仕事中だよ」

 歩き回るようになってから、ミゼリーにはどうしても用事があるとき以外は執務室には来ないように話していたので、ここまで訪ねてきたのは久しぶりの事だった。


「うん。でも、パパずっと考えてて、たいへんそうだったから」

 少女の心配そうな瞳がまっすぐに彼を見つめる。その純粋な視線に、ジャンはふっと微笑を浮かべた。

「そうか……。心配をかけたな」

 ミゼリーは元気よく頷いた。

「うん!  だからね、パロと一緒にお手伝いしにきたの!」

「お手伝いしてくれるのか、ミゼリーは優しいな」

 平時ならば何か適当な理由をつけて戻らせるところだが、愛娘の健気な申し出に徹夜明けのジャンは断る言葉もうまく浮かばず、「こっちへおいで」と手招く。彼は途中でパロを回収した娘ごとひょいと持ち上げると、自分の膝の上に座らせた。

 ミゼリーの視界が上昇し、今まで見えなかった机の上に数枚の報告書と、焼け跡から回収された品が雑然と置かれているのが見えた。


「あれはなに?」

「現場で見つかったものだ。騎士団員の独断で、その場所にあるのが不自然だと感じた物を片っ端から回収してきたらしいんだが……」

「ふうん……」


 火元近くに落ちていたため、いずれも黒く焦げていたり、一部が溶けたり変形したりしている。これらの品の中に犯人の痕跡が残っている可能性は否定できないが、どれも単なる残骸にしか見えず、これといった手がかりは見つかっていない。

 ミゼリーはじっと見つめて、首を傾げた。


「むずかしいね」

 ミゼリーの分かりきっていた回答に、ジャンは苦笑する。

「そうだな……パパも頭を抱えている」

 一方、ミザリーの腕の中から机の上へと飛び乗ったパロは、焦げた回収品に順番に鼻を近づけて検証? していた。

 そして、それらのうちのひとつの匂いを嗅ぎ取ると、前脚で軽く転がした。


「……?」

 パロはミゼリーの方を向き、じっと見つめる。

 ミゼリーはその仕草を見て、何かを察したように目を輝かせた。

「パロ、わかったの?」

 小さな手でパロの頭をそっと撫でると、一度だけ静かに尻尾を振る。


「パパ、パロはこれがあやしいって!」

 ミゼリーは興奮気味に、パロが嗅いでいた品を指差した。

 ジャンは驚きつつも、黒く煤けたそれを手に取って眺める。金属のようだが溝があり、そこに何かが詰まっているようだ。


「これは……なぜ、ここに……?」

 ジャンは唇を引き結び、それ以降の言葉を続けなかった。

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