無限の理想

音宮 まい

無限の理想

 遮光カーテンがあっても、今日の日差しは強かった。

 目が覚めたのは、その強さよりもし尿の腐ったにおいのせいだった。

一気に部屋の温度があがったからだ。


 わたしは空っぽのゲージを見つめた。

それは大きく見えた。120cm*70cm、高さ70cmほどの典型的な大きさなのに、フローリングの床に、王様のように鎮座していた。


 寿命だったんだ、最後まで看取ってやった、後悔しないように手をつくした。別れは今まで何度も経験していたじゃないか。

 頭では理解していた。

 それでも、定年が近くなった社会人のくせに、ものの道理がわからない駄々っ子のように、拒絶していた、あがいていた。

 部屋のどこかに隠れているんじゃないかってどうしても目は探してしまう。

 前夫がこの部屋を出て行ったときでさえ、そんなことはなかった。

 わたしの頭、いえココロは理性的だった。浮気され、向こうの女に子供ができたのだと聞いても、受け入れた。

 すぐに辣腕をふるう弁護士を探し始めたほどだった。


 けれど、今度ばかりは受け入れられない。どうしても無理だった。


 ビンゴがしんだ、なんて。

 

 ビンゴに出会ったのは偶然に近かった。

 そもそも自分が犬を飼うなんて思いもしなかった。

 慰謝料として今棲むマンションをもらってから、しばらく経って近所にカフェができた。日曜の午後、居心地のよいカフェでのんびりすることが楽しみになっていた。

 やがて、隣のペットショップの動物たちを窓越しに通り過ぎがてら覗くことも習慣になっていた。小さなコーギー犬と目があった。

 

 それがビンゴだった。

 お互い、しばらく見つめ合っていた。

 

 気がついたときには、私はビンゴを胸に抱えていた。

 確実にあたたかい鼓動が伝わってきた。

 もこもこした毛なみ。

 それでくすぐったくなったのは、肌だけではなかった。

 

 久しく誰ともハグして居なかったことに気づいた。

 妙な照れくささが私のなかに湧き出していた。

 やがて笑いがこみあげてきた。

 プレイボーイが本命の女性を見つけてしまったときの自嘲のようだった。

 もう手放せない。

 私は観念した。

「うちくる?」

 瞳で聞いた。

 ビンゴはうれしそうに吠えた。


 私は神の啓示にも等しい出会いを感じた。

 だから、「ビンゴ」と名付けた。

 

 翌週のカフェでののんびりタイムは、ビンゴが一緒だった。

そんな時間が幸福のひとつだと教えてくれた。

 ビンゴのトイレの世話をし、ビンゴの毛なみのためにブラッシングもかかさず、栄養状態まで気にかけた。

 それを面倒だと思うどころか、楽しいとさえ感じ出していた。

 家事全般を楽しめなかった私が。

 自分でも驚くほどの変化だった。

 前夫との生活で、こんなココロになったことがあっただろうか。

 思い返せば、わたしはこれほどまでに無償でなんの見返りも求めずに行動していなかった。

 言葉を交わす人間に対してこうはいかなかったのかもしれない。



 時の移ろいは残酷で、やがて苦難がやってきた。

 ビンゴが変性性脊髄症にかかってしまったのだ。

 完治させるための治療法はなかった。

 徐々に進行し、とうとう呼吸不全で最期を迎えたのだった。


 もっと何かすべきだったろうか?食事?医者?

 それから、それから私は理想の飼い主だったろうか?

 至らない点が一杯あったんじゃないか?

 あぁ。堂々巡りでビンゴの死を考えるのが習慣になってしまっていた。

 このままではいけない。

 あるじの居なくなったケージの掃除が第一だったが、私は財布と家の鍵だけを持って出た。

 それでも一歩前進したはずだ。


  

 脚は自然とビンゴと出会ったペットショップへと向かった。

 はねまわる小犬たち。ガラス越しにビンゴを探してしまっていた。


 いるわけないのに。


 あぁだめだ、選ぶ気がおこらない。

 もうビンゴしか飼えない。

 この空しさをうめるには新しい犬を飼うしかないと頭ではわかっている、でもだめだ。どの犬もビンゴじゃないのだから。


 オーナーが近づいてきた。

 新しい犬を勧めるだけだろうと思い、立ち去ろうとした。

「ここだけのお話ですが…」

 そう耳元でささやかれて、脚が止まった。

 いつのまにか私はオーナーの話にひきこまれていった。


 フローリングの床では、緑のミニスカーフを巻いたビンゴがはねまわっていた。

 お気に入りのおやつをあげた。

 ふさふさの毛並みをみせつけるかのように、あごと首を動かし、かみながら私の顔をずっと見つめていた。

 自然と笑みがこぼれてきた。

 私と一緒にいるだけでうれしい!と全身で訴えてくるようだった。

 言葉なんて通じなくてもいい。

 見ているだけでわかる、それがお互いをおもいあう瞬間だ。

 

 白のミニスカーフを巻いたビンゴが嫉妬して、おやつをねだってきた。

同じおやつをあげて、なでまわす。うれしそうに首をくねらせた。

 あ、平等にしなくちゃ。

 静かに窓辺でまどろんでいたピンクのミニスカーフを巻いたビンゴに近づいた。

 おやつを見せたが、反応しない。

 ただ、眠るのが好きらしい。いや、このビンゴは”梅”だ。死期が近づいてきているのかもしれない。


 一度に3匹のビンゴと過ごせるなんて、数ヶ月前まで思いもしなかった。

 あのペットショップのオーナーにビンゴのクローンが作れると聞くまでは。


 そして、クローンの製作には松竹梅のコースがあり、どれを選んだら良いかわからなくて、早くビンゴに逢いたかった私は全コースのビンゴを注文したのだった。


 ”梅”のビンゴはすぐにやってきた。

 ペットを不慮の事故で死なせてしまったなど、飼い主側にお別れのココロの準備ができていなかった人向けコースだった。

 けれど、”梅”だけあって、私の顔を見ても私をご主人さまだと認識しなかった。

 作り込みが浅いのだ。

 しかも寿命を2,3ヶ月程度に設定し、老衰で死ぬように設定していた。

 テロメアコントロールといって、細胞の生まれ変わりを制限し、長生きできないようにしてあるのだそうだ。

 もちろん、お値段はリーズナブルだった。  

 そのせいか食べ物に好き嫌いがなかった。

 オリジナルは決まった缶詰やおやつにしか興味を示さなかった。

 当時はそんなわがままに、難色を示し、好き嫌いせずに食べなさい、と叱りさえした。

 それでも好きなおやつは欠かさず買うようになってしまっていた。

 わがままに応えるのが、結局わたしは楽しかったのだと今さらながらに気づいた。


 しかし、これではビンゴであってビンゴとは言えない。

 最近は「ビンゴ」と呼ぶと反応しはじめたくらいだ。

 どこか別人格、双子のビンゴの片割れと一緒に居るような感覚だった。



 ”竹”のビンゴは下ごしらえがされていた。

 私をご主人さまだと認識するように、小容量の脳内メモリを搭載、”梅”ビンゴより長生きできる1年の保証期間つきだった。

 ただ私の顔を見て突進することはなかった。

 しずしずとやってきて、立っている私の片足を両前足でくるみ、ハグするのだった。

 拍子抜けに近い感覚があった。

 以前のビンゴは、私を倒さんばかりに抱きついてきたのに。


 ”松”のビンゴは昨日やってきたくせに、まさに”ビンゴ”だった。

 以前一緒に過ごした生活の動画をクローン製作所に渡していた。

 この動画や私がおぼえていた行動パターンすべてを脳内メモリにインプットした。    

 容量はもちろん”竹”よりも大きい。

 理想が高く、再現性が高いクローンを望んでいる人にはおすすめだ。

 もちろんお値段も高い。それもとびきり。


 やがて新手のブリーダーたちは、この愛犬クローン作成の分野へ進出しはじめることだろう。

 何しろ交配の手間がはぶける。

 人気の高い、愛くるしい犬種をコピー生産して市場へ出せばいいのだ。

 しかも食べ物の好みや仕草、性格はインプットしだいで飼い主のお気に召すまま、となるのだから。

 


 ”竹”ビンゴが”梅”ビンゴの異常に気づき、吠えた。

 やがて、”梅”ビンゴをなめはじめた。

 私はカラダに力が入らなくなり、座り込んだ。

 まだ暖かかったが、”梅”ビンゴは息をしていなかった。

 寿命が突然きた、ということだった。


 じわじわと頬を伝っていくものがあった。

 覚悟していたはずなのに、また、あの悲しみが襲ってきた。

 けれど、ひっかかるものがあった。

 妙にわかりかける何かがあった。

 このとき、オリジナルのビンゴを失ったときと同じ悲しみが私を襲ってはいなかった。


 違っていた。

 

 ”梅”と過ごした日々が頭の中を駆け巡った。

 ”オリジナル”とは違って、好き嫌いがなかったから何でも食べた。

 食べている途中で一度”おいしい!”というかのように吠える癖があった。

 そんな癖はオリジナルにはなかった。

 私は”梅”としての個体であるビンゴをやはり愛していたのだ。

 ビンゴであって、ビンゴでなかった”梅”を。


 私は”松”も”竹”も”梅”も作ったことを後悔した。


 クローンを作るイコール永遠の愛を注ぐ。

 そうはできない、永遠よりも儚いのが美しいというありきたりのことではなく、永遠に愛し続けるということは、そのための努力をし続けるということだ。

 誰も注力し続けることなんてできないんじゃないか。

 それだけのエネルギーを使うのは、あくまで人なり、なんなりの一生分と限りがある。

 そして新しく愛情を注ぐ対象を変えなければ、愛が、エネルギーが、多方面に流れることはないのだ。

 クローンを作るということは”愛情”をコピーすることだった。

 クローンというのはDNAが変化し、進化へと向かった生き物ではない。

 だとしたら、愛情を注ぐことも進化せず、延々とルーチン化への深みにはまりかねない。

 


 やがて雨のように激しい悲しみで、私は吠えて泣いた。

 愚かだったことに気づいた。

 ”竹”にもすまない気持ちがやってきた。

 オリジナルのビンゴと異なっていたことに不満を示してたいたからだった。


 私に天罰が下ったらしい。

 頭に激しい痛みがはしった。  

 脳溢血のようだった。

 ひざをついた。

 できたのはそれだけだった。

 フローリングの床にぶざまにたおれこんだ。

 いえ、もうひとつできたことがあった。

 死を悟ったことだった。


 倒れた私に”竹”ビンゴがすりよってきた。

 吠えていた。

 ”竹”は神経が繊細でよく気がきく個体だった。

 そう、そんな特徴は”オリジナル”にはなかった。

 だめよ、ほえちゃ。ご近所迷惑でしょ。

 私の言葉はビンゴには伝わらず、ビンゴは吠え続けていた。

 

 心配しないで。

 あなたたちを家によぶと決めたとき、手はうってある。

 私が先に死んでも、あなたの面倒をみてくれるように、ペットショップのオーナーに頼んである。

 負担付き遺産相続贈与というやつよ。

 お金も大丈夫。

 投資の分配金が入ってくるから。


 ビンゴ”竹”はやがて吠えなくなり、くうんくうんと鼻を鳴らし始めた。

 ”竹”が私の頬をなめ、そのつど、”竹”の白いスカーフが私の頬をかすめた。

 そんな感触さえ遠ざかっていった。

 そのとき、私は息をひきとった。

 


 ……はずだった。

 目をあけると、いつもの部屋にいた。

 でもどこかおかしい。


 家具の配置もそのままだった。

 けれど色が、色みがおかしい。

 このリビングはこんなに陽にやけてしまっていただろうか。

 経年劣化していた。

 それを感じる私さえも妙な劣化をおぼえた。

 一度にどっと歳をとってしまったような、妙な疲労感が全身にまとわりついていた。


 うすぼんやり、と思い出してきた。

 そうよ、わたしは倒れたんだ。

 でもそれ以上のことが思い出せない。

 倒れたあと、どうなったのか。

 病院に運ばれて、治療を受けて、自宅へ戻ってきたのだろう。


 そうでなければ、今の、この自宅でただ、たたずんでいる説明がつかない。

 視界の隅で動くものがあった。

 そうよ、犬を飼っていた。

 コーギー犬ていう種類。

 あれがそれよ。


 犬は私が目覚めたのがわかったのか、すりよってきた。

もこもこした毛並み、ああ、そうだった、この毛並みの感触をいつまでも味わっていたいと浸っていたことがあった。


 名前は?松太郎?いや違う。そんなわけない。

 首に巻き付いた緑色のスカーフを見て、なぜかそんな単語が浮かんだ。

 犬がないた。

 遅れて「おはようございます、ご主人さま」という声が聞こえた。

 私は絶句した。

 犬がしゃべった?

 私はどう対応して良いのかわからず硬直した。

「あ、驚かれるのも無理はないですよね、動物の話がわかるアプリ「ソロモン」が開発されたんですよ」

 緑のスカーフの横に小さい拡声器のようなものが目にとまった。

 ここから出てくる音のせいで、犬がしゃべったと思ったのだった。

 犬がしゃべった内容に頭が追いついていかない。

「ご主人様が投資したベンチャー企業が開発したアプリですよ」

 そういえば、そんなことをしたような気がする。

 ペットや動物と会話できるよう、翻訳機の開発に少々投資していた、気がする。


「これでもっと楽しい時間が過ごせますよ」

 座り込む私の膝に犬が手をのせた。

「ご主人様が残してくれたお金のおかげで、僕は何不自由なく、あのペットショップのオーナーさんのお世話になっていました。

 でも、理想の飼い主ではなかったんですよ」

 犬が私の顔をのぞきこんだ。

 眉間にしわが寄ったようだった。

「やっと再会できたんです、そんな顔しないでください」


 口を開こうとした。

 でも、何をしゃべっていいのかわからない。

 以前もこんなことがあったような気がする。


「こうやってご主人様が戻ってこられて、待ったかいがありましたー」

 にこにこ。

 そんな感じで犬は饒舌だった。

 でも、でも、でも。

 わたしは死んだはずではなかったの?

 思い出せないけれど、以前夫がいたときと同じような感覚がよみがえってきていた。

 あれはかっこよく言えば、思いやりの逆効果、裏返し。

 けっきょく失敗の連続だった。

 お互い話ができる能力を持ちつつ、すれちがった。


 今、同じ状況にはまりこんでいそうな気がしていた。

 いや、今は無事に死の淵からよみがえったのだ。

 喜ぶべきか。

 それでも、どうしよう。

 聞くのがこわい。

 はぐらされるかもしれない。

 聞いてしまったら、以前の夫との関係になりそうだった。

 

 首に巻かれたスカーフのピンク色が視界に入っているのをみとめ、”梅”という単語が浮かび上がり……頭はぐるぐると回っていった。

 ”松”の私は、”松”ビンゴが先に他界したらどうするだろうか?

 きっとまた”松”ビンゴを作成するだろう……

 そして”松”の私がまた他界したら?

 次の”松”の私が作成されていって……?

 そして次は?

 またその次は?


 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞!!


 めまいの中、漠然としたイメージがやがて形を作ってやってきた。

 

 愛情というラビリンス、無限のらせん階段、理想を求めてやまないループへと転落・上昇をくりかえし……

 もう脱けだせない。

                                         <FIN>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無限の理想 音宮 まい @Babel-eleven-nine

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ