第18話 閃光の片鱗
法獣たちはじりじりと四人を囲み、鋭い息を吐き出していた。湿った大地に力強い爪痕を刻み、巨体が重たげに揺れる。視界の向こう、風に流されるように金色の蝶がかすかに見え隠れする。
鳴はじっと蝶を見つめた。その金の光が遠ざかるたび、心が少し焦れる。
法獣たちが邪魔だ一ー。
静かに短刀の柄を握りしめる。しかし、この刀では全ての法獣を倒すのには時間がかかるだろう。鳴は視線を下げ、黒い布に包まれた佩刀に目を留めた。
先ほど日向から渡された刀布はまだ新しく、手に馴染む上質な風合いを持っていた。その紐を手のひらでなぞり、ゆっくりと結び目に指をかける。
これなら一度で切り開けるーー
「にゃあ。」
ふいに静寂を裂く声が鳴る。
鳴は動きを止め、音の方へ顔を向けた。
泳だった。
いつもの穏やかな表情ではない。地面に軽やかに座るその身体から、まっすぐ鳴を見つめる瞳には妙な重みがあった。
鳴はわずかに眉をひそめ、再び刀に触れた指を見た。
「にゃあ。」
もう一度短く泳が鳴く。
まるで「それは使うな」とでも言っているようだ。
鳴は一瞬の間を置き、紐から手を離す。
黒い布に包まれた刀はそのまま腰に収まっている。
代わりに、腰の反対側から短刀を引き抜いた。銀色の刃先が鈍く光を帯びる。
泳はその様子を見届けると、ゆっくりと一度だけ瞬きをした。
鳴は再び法獣へと視線を向けた。邪魔を排除し、早く蝶を追わなければならないーーただそれだけが鳴の中で静かに根を張っていた。
鳴は静かに一歩前へと踏み出した。
風が森の奥から吹き抜け、白銀の髪を軽く揺らす。目の前の法獣たちは鋭い爪を地に突き立てながら低い唸りをあげていた。その音は地を伝って響き、空気にまで緊張を染み込ませるようだった。
鳴はその空気を意にも介さず、背中越しにぽつりと告げた。
「離れた方がいいよ……危ないから。あと、邪魔」
振り返ることもなく淡々と告げたその声には、不思議な確信があった。
貴音、郁之助、七彦の三人は一瞬言葉を失った。
「……え?」
貴音が思わず漏らす。
「ちょっ、何言ってんだ?」
郁之助が焦ったように言う。
七彦は鋭い目で鳴を睨んだ。
「勝手な真似するな!」
それでも鳴は振り返らない。短刀を手に軽く構えたまま、ただ前を見据えていた。
戸惑いと困惑が三人の表情に浮かび上がる中、法獣たちはさらに威圧感を増し、地鳴りのような足音で一歩ずつ距離を詰めてくる。
その場の空気は、引き絞られた弓の弦のように張り詰めていた。
鳴は静かに息を整え、短刀を軽く握り直す。
その動きには一切の無駄がなかった。法獣たちの重々しい唸りと足音が、森の静けさを震わせる。鋭い爪を構えた一体が、地を揺らしながら踏み出した瞬間一
鳴の姿がふっと消えた。
否、音もなく疾ったのだ。
空気が切り裂かれる感覚だけが残る。刃は一直線に法獣へと向かい、鋭い爪が振り下ろされるより早くー
「――!」
法獣の巨体が一瞬動きを止める。
その首は既に空を舞っていた。
刃が通った軌跡は寸分の狂いもなく、まるで一本の美しい線を描いたかのようだった。刈り取られた花の茎のように無惨ながらも不思議な美しさを漂わせていた。
巨体が地面に倒れ込む轟音が鳴り響く。
鳴は軽やかな動作で刀を振り払うと、足元にわずかに滴った血も気に留めることなく静かにんでいた。
空気がぴんと張り詰めたまま、森には一瞬の静寂が訪れる。
その冷徹なまでに美しい一瞬を目の当たりにした三人は言葉を失い、ただただその光景を見つめるしかなかった。
最初に口を開いたのは、貴音だった。
「な、なに今の…。」
その声は震え、呆然とした表情が彼女の顔に浮かんでいた。
他の二人も、その驚きは隠しきれなかった。郁之助が目を見開き、言葉を失ったまま、ただ鳴を見つめる。
「…何が起こったんだ?」
七彦は呆然としたまま、息を呑んだ。
鳴は何も言わず、冷静にその場に立ち、くるりとこちらに振り返る。
その様子を見た残り二体の法獣は、怒りに満ちた雄叫びを上げ、獰猛な爪を光らせながら迫ってきた。その足音が轟音となって響き、周囲の木々が揺れる。
貴音の声が瞬時に響く。
「鳴!危ない!」
しかし、鳴は一切の動揺を見せず、静かに二体の法獣を見つめた。足元を少しだけ動かし、視線を逸らさずに両手に握った刀を軽く握り直す。その刀がわずかに輝き、風に揺れる森の中でひときわ冷たく反射した。姿勢は一切乱れず、まるで全てが計算されたかのようだ。
足元が揺れ、二体の法獣が迫る中、鳴の瞳は一瞬も揺るがなかった。
二体の法獣が同時に飛び掛かる。その一歩を踏み出した瞬間、鳴はまるでその動きが予測できていたかのように、静かに体をひねりながら一歩踏み込んだ。
音もなく刀が振り下ろされる。
一体目の法獣が鳴の斬撃を予測できなかったのか、間に合わずその首を軽く、確実に刎ねられた。首と胴が一瞬で裂け、空中でひらりと舞うように倒れた。
だが、もう一体が猛スピードで鳴に迫っていた。
鳴はその刃が届く前にもう一歩踏み込み、逆手に持ち替えた刀を瞬時に振り上げる。身体ごと力強く旋回し、刀がその妖の胸元に突き刺さる直前、鳴は背筋を伸ばし、その力を一気に刃に込めた。
その刃がその体を斬り裂く瞬間、鋭い音が響くとともに、法獣の血が飛び散り、空気に赤く散った。
鳴はまるで何事もなかったかのように、短刀を鞘に納めると、静かに周囲を見渡した。だが、目に入るのはただの荒れ果てた森だけで、蝶の姿は、もはやどこにも見当たらない。鳴はぎゅっと手を握りしめ、その場に立ち尽くす。
そして一度だけ深く息を吸うと、無言で振り返り、倒れ込んだ法獣たちを睨みつける。その眼光は鋭く、虚空を切り裂くかのような迫力を持っていた。しかし、法獣たちの姿はすでにパラパラと消えかかっており、しばらくすると、その体は完全に消え去り、ただ木札が三つ、虚しく地面に落ちていた。
鳴はその木札に目を向けることなく、視線をわずかに反らせると、短く息を吐き出した。
そして固まったまま動かない三人を見て鳴は、少し首を傾げると、いつもの無感情な口調でぽつりと言った。
「……何してるの?」
その問いかけに、張り詰めていた空気が弾けたように、貴音と郁之助がようやく動きを取り戻す。
「鳴!すごいよ、すごすぎるってば!」
貴音が弾んだ声で叫びながら駆け寄り、目を輝かせる。
「お前、何なんだ?いや、マジで……どうやったんだよ、今の?」
郁之助も肩で息をしながら鳴の元へ駆け寄り、じろじろと彼の全身を見回した。
そんな二人の反応に、鳴は特に興味を示すこともなく「..別に」とだけ返す。
一方、七彦はその場から動かず、ただじっと鳴を見つめていた。目には未だ言葉にならない感情が渦巻いているようだった。
鳴はそんな七彦に気づくと、一瞬だけその瞳を見返したが、すぐに視線を逸らし、軽く息をつく。
「……急がないと時間、なくなるよ。」
そう淡々と告げると、振り返り森の奥へと歩き出した。貴音と郁之助が慌ててその背を追う中、七彦はまだその場で何かを噛み締めるように立ち尽くしていた。
四体の法獣を倒し、課題を終えた四人は、星籠山の入り口にいる日向のもとへ戻るため、山道を下り始めた。しかし、道中はどこか気まずい空気が漂っていた。
「なあ、鳴…」
沈黙を破ったのは郁之助だった。振り返りながら軽い口調で問いかける。
「お前って、何者?」
その言葉に七彦と貴音の視線も鳴に集まる。特に七彦は鋭い目つきで鳴を値踏みするように見ていた。
鳴は歩みを止めることなく、淡々とした声で答える。
「....君たちと同じ新入生。」
「それにしちゃ、あの戦い方は普通じゃなかったけどな。」
七彦が鼻を鳴らしながら皮肉を込めた声で言うが、鳴は気にする様子もない。
貴音が鳴と七彦の間に割って入り、明るい声で話題を変えるように言った。
「でもさ、さっきの鳴、かっこよかったよね!びっくりしちゃった!」
「…別に。」
鳴はそっけなく答えたが、貴音の明るい笑顔に一瞬だけ表情が和らいだ気がした。
「まあいい。課題は達成したが油断するな。どうやら罠が仕掛けられているみたいだからな。」
七彦が険しい顔で言う。
「もー、わかってるってば!ナナちゃんは堅いなあ。」
貴音が口をとがらせながら軽い調子で返す。その言葉に郁之助も頷きながら笑った。
「そうそう、お前はいつも堅すぎるんだよな。少し肩の力抜けよ。」
「お前らが適当すぎるんだ!」
七彦が鋭い目つきで二人を睨みつける。
「ひどーい!私たちだって真面目にやってるよ!」
「そうだ、そうだー」
貴音と郁之助が揃って抗議の声を上げるが、七彦は馬鹿にしたように鼻で笑う。そんな三人の小競り合いを、鳴は静かに聞いていた。
木漏れ日が差し込む山道は、昼の静けさをたたえていた。遠くでは鳥の囀りが重なり合い、穏やかな音の波となって耳をくすぐる。
重い戦いの余韻が漂う中、それでも山道には静かな安らぎがあった。四人はそれぞれの思いを胸に、日向の待つ山の入口へと向かい、歩みを続けていた。
輪廻の契 茜部 綱 @kisuke_50
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