第5話 鬼龍院加奈子さん

 大五郎さんの山から、真昼間にもかかわらず異常な光が放たれている。


 そういう噂話が村役場を訪れる地元村民の爺ちゃん婆ちゃんから聞こえるようになった。


 この光は離れた村や町からも見えるほどで、村に一番近い町の人々の間でも話題になっていた。当然ネットにもその様子が写真や動画がアップされておりちょっとだけ世間でも広まり始めていた。


 隣の里山の地主であり、大五郎さんの幼馴染でもある鬼龍院加奈子さんは、この光の正体を知るために大五郎さんの家を訪問することになった。現村長からの強い要望である。断ると何かと面倒だ。

 なぜならば現村長は加奈子さんの夫なのである。

 これは全村民が知ってることなんでよろしく。


 加奈子さんは、村役場の公用車で通称「オボロエース」に乗って大五郎さんの家を訪ねることにした。オボロエースは現市長が付けた愛称である。

なハイ」の略であることも全村民の知るところである。


 今年、彼女は夫とともに還暦を迎えた。

 長年この地域で暮らしてきた経験から、この異常現象の原因が大五郎さんであると睨んでいた。というか確信していた。

 大五郎さんが徹底した事勿れ主義者で、少し底が抜けた自然愛好者で、農業林業を生業天職とし、子供のころからいらぬ騒ぎを起こしておきながら当人は自覚のないトラブルメイカーであると骨の髄まで知っていたからである。


「絶対何かやった。オダイゴがやった。犯人は奴だ。市中引き回しだ」


 とぶつぶつ呟きながら、オボロエースでガッタンゴットン跳ね飛びながら、大清水家の私道を駆け上がっていったのである。

 村だから引き回しは市中じゃないですよとツッコミ入れる人はいなかった。

 過疎により現在村役場は人手不足である。


 頂上手前の駐車スペースに車を止め、徒歩で大五郎さんの家に近づくと、加奈子さんは納屋の異常な光に少し怯んだ。


「オダイゴ! 何が起こっているの!?」


 ……と納屋の扉をバーンと勢いよく開ける。


 ここでひとつお断りをしておこう。

 さっきから加奈子さんが云っているオダイゴというのは、大五郎さんの中学生時代からの綽名である。


 「後醍醐天皇」という歴史上の人物名を「醍醐天皇」と間違って覚えてテストに書いた大五郎さん、「確かに天皇家の立派な方に御の字を付けるのは良いことだ。だが間違い方が超微妙すぎて危うく正解にするところだった!」と先生に暴露され「褒美としてお前は今後オダイゴと名乗れ!!」と村の全中学生(五名)」の前で怒られたのか褒められたのかよくわからないまま宣言されたのが始まりである。どうでもいいことなのだが、村では割と有名なことなのでどこかにメモして。


 さて、加奈子さんが納屋に入ると、そこには輝く鍬を持った大五郎が居て、周囲は微かな光の粒が舞っていた。それなりに奇麗であった。


 そして見過ごせないある光景が広がっていた。


 大五郎さんの脇に緑色の肌をしたゴブリン(裸族)が数名立っていて、にっこにこして加奈子さんを見ているのである。


「……はぇ?」


 さらにこじんまりとしていたはずの納屋の中がとんでもなく広々となっており、どうみてもドラゴンにしか見えない怪獣が、爬虫類の王様イリエワニのカシウスのような眼玉でしかも上から目線で物理的に加奈子さんを見つめていたのだった。


「……あふぅ」


 思わず女子高生時代に戻ったかのような可愛い声を発する加奈子さん。

 六十歳になったばかりだ。


 熱心に鍬を磨いていた大五郎さんは加奈子さんを見ると、大したことでもないかのように答えた。


「加奈っぺ、俺にもよくわからんことが起きてるんだけどどうしたらええ? でも言えることは、この鍬が俺の生活を変えたってことだな」


 そして、大五郎さんはこれまでの経緯を突然説明し始めた。


 古本に書いてあった怪しい呪文で鍬がダンジョンコアとなり、ファンタジーさんたちが現れ、彼の畑仕事を助けてくれていることを淡々と話した。


 加奈子さんは最初驚いて聞いていたが、次第に大五郎の様子がおかしいことに気が付いた。


 もちろんその不思議な話にも興味はあったのだが、幼馴染の性格をよく知っている加奈子さんには、大五郎さんが強がりと怯えを隠すように、立派になっていく畑や薪などの蓄えをことさら大げさに誇っているように見えたのである。


 それもかつて聞いたことがないほど滑らかな活舌で淀みなく喋る大五郎さんの姿に、別人が居るような違和感てんこ盛りであった。


 これは子供のころ肥溜めに落ちた大五郎さんが、恥ずかしさを胡麻化そうと武勇伝にしてその様子を一方的に喋って聞かせてきたのと似ている。

 いやむしろ、あの時以上に異常な語り口だと感じた。


 あーこれはオダイゴ、相当テンパってるなと加奈子さんは察した。

 平静を保っているけれど、実はギリギリの精神状態だと。

 わかってないまま今の今までなんとか凌いできたんだと。

 

 なお、ドラゴンと目が合った瞬間、驚きで加奈子さんはちょっと漏らしそうになったのだが、漏らしたかどうかを含めて紳士諸君は気付かない体でよろしく。


 加奈子さんは、さっきの怒声は収めて口調を優しく変えて話しかけた。


「ファンタジーさんたちと一緒に暮らすなんて大五郎さんらしいわね。でもちょっとまって。このファンタジーさんたちはバレたらまずいって分かってるでしょう? 明らかに地球外生命体だよね、世間に知られたら大事になるから。それ、どうにかしないとね?」


 大五郎の喋りを踏んでゴブリンやドラゴンを「ファンタジーさん」と言う優しい加奈子さんであった。


「そうなのか? こんな辺鄙なところ誰も来ないし問題ないかと思うぞ」


「そんなわけないわよ。あんたンち、ビッカビカに光って隣町で大騒ぎになってるの知らないの? あー、そっかそっか、ここ電波届いてないからねえ。気づかなかったのね」


 そう言いながら加奈子さんはカニ歩きで壁伝いに大五郎さんに近づく。

 そして、裸族のゴブリン君や怪獣にしか見えないドラゴンと出来るだけ目を合わさないようにして、大五郎の上着の袖をつかんで引っ張る。

 それから小声で大五郎にお願いする。


(オダイゴ! ちょっと、あんた! いったん外に出てくれない? こんなところじゃ落ち着いて話できないわ!)


(なんだ、加奈っぺ。ファンタジーさんたちが怖いのけ? だいじょぶだいじょぶ。緑のファンタジー君もドラゴンさんも全然へーきだぞ。ドラゴンさんなんて料理上手だしな。みんな働き者で俺の言うこと全部聞いてくれるぞ)


(あーもう、それはいいから、まず外に出よ? ね? 私がもたないの。ちょっとドラゴン迫力ありすぎでしょ? あんたは守られてるかもしれないけど私はエサに見えてるかもしれないじゃない。それに料理上手ってあんた、何を食べさせられてるのよ! 変な動物食べさせられてないでしょうね)


 そう言って無理やり納屋の外に大五郎さんを引っ張り出すことに成功した加奈子さん。


 周囲が輝いてとても眩しいので、大五郎の自宅にお邪魔することにした。


 そして一歩踏み入った大清水家の玄関で、突然固まる加奈子さんであった。


「はじめましてぇ、加奈子さまぁ。ワタクシ大清水大五郎さまの側付きで『フィリウス』と申しますぅ。あ、これ名刺でございますぅ」


 そこに待ち構えていたのは、体長二メートル近い大きなクラゲであった。

 おまけに流暢に喋る。

 普通、クラゲは海に住んでいて喋らない。


 フィリウスというクラゲさんは空中にぷかぷか浮いており、無数のレース編みのような触手がぷらんぷらん泳ぐように空を漂っていた。


 全身が淡く薄く白色発光しており傘の部分が特に美しい。淡い電飾が動いて流れる模様のように見えた。


 そして本体から長く伸びた二本のレース状の腕を伸ばして名刺を差し出す生き物をクラゲといえるかどうか、後で自分を問い詰めたいと加奈子は思ったとか思わなかったとか。


「ダンジョンマスター大清水大五郎 筆頭セクレタリー

  空中浮遊型魔法生命体 フィリウス=マイッカ」


 名刺をいつのまにか受け取ってしまった加奈子さんは、名刺の文字は読めたが意味を理解できなかった。


 というか理解するのを自己防衛機能が拒否した。

 本能的に「だめだこれ以上は」と思ったとか。 


「あー加奈っぺ。こいつさ、今朝から俺にくっついていろいろ教えてくれてるクラゲちゃん。なんかさ、俺じゃ対応できないことをいろいろやってくれるらしいの」


 鬼龍院加奈子。

 六十年生きてきて初めて、思考を放棄してこの場から逃げたいと思った。

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