ダンジョン・マイッカ

出海マーチ

第1話 大清水大五郎さん

 大清水大五郎さんは、還暦を迎えた六十歳である。


 日本の深山幽谷、鳥のさえずりしか聞こえないような場所にぽつんと建つ古い一軒家に、一人で静かな生活を送っていた。奥さんは五年前に病で亡くなってしまった。その悲しさを毎日の畑仕事や山歩きでごまかして過ぎていく、そんな日々だった。


 ある日、大五郎さんはとんでもないことをやってしまった。


 それは愛用の鍬を使って畑を耕したときのこと。


 大五郎さんはふと、麓の村へ買い出しにいったときに、古書店で五〇円で売ってたボロボロの書物のことを思い出したのだ。


「大地と一体化する秘法」


……と題する薄っぺらな本。子供が鼻で笑ってしまうタイトルだった。


 そして怪しげなくせに図解満載、妙に解りやすくしかも読み易い。

 どんどん読んでいくと、最後に簡単な文様と秘密の言葉というのが見開き一頁を使って大きく書かれていた。おまけに誰かが味噌汁でも零したのか茶色まだら模様で変な風味が滲み出ている。


 もちろんそんな胡散臭い古書を大五郎さんは買うつもりはなかった。

 買わなかった。買うわけがない。

 大五郎さんは分別ある大人だ。

 お財布に三十二円しか残ってなかったのを覚えていたからではない、と思う。

 うん、きっとそうだ。


「まあ、何が起こるかわからんが試してみるか」と呟く大五郎さん。


 古本は買わないけれど、その場でチラシの裏に書き写すセコ……機転を利かせる賢さよ。大五郎さんはわりとずる賢いのだった。六十年も生きてれば望まぬとも身につく知恵もあるというものだ。


 メモを見ながら鍬の柄に奇妙な模様を描き、秘密の言葉を唱える大五郎さん。


 夕暮れ時の山林は静寂に包まれ、彼の声だけが響く。両手で握った鍬を竹刀のように構えてじっと観察していたけれど何の変化もない。


「なんも起こらへんか。そんなもんやな……まぁ、ええか」


 ちょっと残念な表情を見せたけれど、その日の畑仕事を無事に終えて帰宅した。


 だけれども、翌朝見た鍬はいつもと違っていた。


 輝いているのだ。

 異常な輝きを放ってぎんぎらと光っているのだ。

 さりげなくどころか猛烈に自己主張する光だった。


 しかも、その光が大五郎さん自身に妙な力を与えているような気がしたとかしないとか。


「なんや、この光と力は? まあええ……のんか?」


 首をかしげながらも、ギラギラする愛用の鍬をひょいと肩に担いで、いつものように畑に出る大五郎さん。


 だが手元が何やらもぞもぞする。


 鍬の柄の部分が一段と光り輝き、まるで心臓が鼓動を打つように脈動していた。


「なんか変なこと起こっとるみたいやな」


……と思いつつしばらく様子を見てた大五郎さん。


「まあええか、仕事には関係あらへんしな」


と、そのまま仕事を開始した。


 もぞもぞする感触は一日中続いたけれど大五郎さんには大した問題ではなかった。それより畑のほうが大事なので。


 その夜のこと。


 晩飯を食べて寛いでいた大五郎さんは、不本意ながら納屋に放り込んだ愛用の鍬を確認しに行くことにした。


 なんだか納屋があり得ないくらい発光してるのだ。


 夜の里山が煌々と輝いている。昼かと見紛うほどの明るさであった。

 さすがにこれを「まあええか」と無視するわけにはいかない。自分の山の出来事だから。


 実はこの異常発光に気付いてから二時間も経っている。


 気づいたのが二時間前なので実際はもっと前からかもしれない。


 面倒が嫌いな大五郎さんは、知っていながら見て見ぬふりをしていたのである。

 問題先送りは大五郎さんの得意技のひとつであった。


 白色光が乱舞する納屋の扉を開けると、鍬の周囲には微かな光の粒が舞い、まるで何かのエネルギーが集まっているかのようだった。


「おうふっ! なんかおもろいこと起こっとるやんか!」


 ズレた感想を述べる大五郎さん。


 その光景に少し興奮しながら観察を続けていたが、ただ周囲が煌めいているだけでこれといった変化はない。確かに奇麗だけれど、すぐに飽きてしまった大五郎さんだった。


「まあええか、問題あるわけちゃうみたいやしな。自然の流れに任せとこ」


 と笑って母屋に帰ってしまったのだった。


 そして残された鍬。

 不満気に震えてダークな光を放った。


 その夜、大五郎さんの夢に鍬が現れ、その中心から無数の光が放たれる光景が延々と続いた。何かが彼の愛用の鍬と一体化したかのような不可思議な光景だった。


 大五郎さんはその夢の中でさえ「まあええか」と呟き、何もしなかった。


 翌朝、いつも通り納屋で愛用の鍬を手にした大五郎さんは、鍬全体が力強く輝いていることに気づいた。しかし「まあええか」と気にせず肩に担いで畑に向かった。


 そしてその日、畑で第一鍬を振るった瞬間、それは起こった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る