神龍軒を食らわば骨まで
月見 夕
足掻き
月末に開催されるイベントに何とか滑り込むことができ、俺はその準備に大わらわだった。
近くの運動公園で催されるそれは、地元の飲食店が露店となり一堂に会する「地元メシ総選挙」なるものだ。
来場者に自慢の逸品を振る舞って食べ比べてもらい、気に入った店に投票してもらう。最後に集計結果を発表し、地元で一番の味を決めようという来場者参加型のイベントらしい。
主催者の話によると、参加予定の店舗は市内外から合わせて六十ほど。中華だけでなく洋食や和食、カレーにパンなど、事前に出店料を支払った飲食店であればどんなジャンルでも参加資格があるらしい。
中にはテレビ取材なんかも入るような人気店も来るそうで、それなりの規模感だということが分かる。
チラシが入った当初は、出店料と売上見込みが釣り合わなそうだからと参加を見送ろうとしていたのだが……今はそんな悠長なことも言ってられない。
――一ヶ月以内にここから立ち退いてくれ。そういう契約だったはずだ。
突然現れたスーツの男の台詞が耳に残っている。
彼が携えた契約書は、この店を土地ごと明け渡すことを承諾するものだった。どういう経緯で親父がそれにサインしたのかは不明だが、そのせいで三代続く神龍軒は今月末に閉店しなければならないらしい。
黙って店を閉めるのを待つだけ……ではなく、やれることは何でもやりたかった。大きなイベントでうちの味を知ってもらい、「閉めてほしくない」と声が上がるくらい押しも押されもせぬ店となれたら……風向きが変わったりしないだろうか。
このイベントが、神龍軒にとっては最後の舞台になるかもしれない。
最後まで足掻けるのなら足掻け。年下の女の子にそう電話口でぶん殴られたからには、俺もできることのすべてをぶつける気でいた。
閉店後の客席に広げたカレンダーの裏紙に殴り書き、必死にアイデアを絞り出す。
どんなメニューで勝負するのか。手堅く定番品で一番人気の麻婆豆腐? 限定メニューで出していた創作中華のほうが人目を引くだろうか。デザートで勝負するなら杏仁ロールケーキか?
イベント当日に食材が用意できるかどうかも重要だ。前日昼までは通常営業をしつつ夜間営業を休んで仕込みに入るとしたら、通常手配する量では間に合わない。仕入れ業者に相談してイベントで使用する分の食材が間に合わないのなら、間に合うような別の食材で作る他のメニューを考えなければならない。
スマホの電話帳アプリの中から仕入れ業者の連絡先を漁っていると、控えめな音を立てて玄関を潜る音がした。顔を上げると、バツの悪そうな顔をした兄貴と目が合った。
中華屋を辞めてバンドで食って行こうかと口走ってどこかに行ってしまった兄貴と顔を合わせるのは気まずい。が、追い出したわけでもないし、
「……おかえり」
余計なプライドを脇に置いてそう声をかけると、兄貴は小さく息を吐いて口を開いた。
「軽はずみなこと言って、悪かったよ。あれから色々考えたけど……神龍軒は親父から託された暖簾で、思い出の詰まった場所で……やっぱり簡単に無くしたりはしたくない」
ひとりで考え歩いてその結論に至ったのか、バンドメンバーに諭されたのかは分からない。
けれど、その選択を心から選び取ってここへ帰って来た兄貴を無下にできるほど、俺も鬼じゃなかった。
客席の上に散らかしていたチラシ裏の殴り書きを取り出し、その辛気臭い顔に差し出す。
「…………これ、計算してくれ」
「……何これ?」
「想定してる露店メニュー、持って行けても二、三種類だから……全メニューの原価を出してその中から三種類選んだ全パターンを三百人前用意した場合の原価合計を出して比較したい」
「高校ん時に数学で留年しかけた俺にそれ頼むとか拷問か??」
「算数だよ、頑張れ」
マジかよ……と紙を受け取ってげんなりする顔は、もういつもの兄貴だった。俺の向かいに座り、早速真剣な顔でスマホの電卓と睨めっこしている。たった二人の兄弟だ、何度だってこうやってやり直していくさ。
俺は改めて電話帳の中から仕入れ業者を探し、連絡を取る。
「そうです。三百人前は考えていて――」
「短納期でその量ですと何とも……」
「ですよね……」
懸念した通り、いつもの食材は集まりそうになかった。どうする、こうなったら近い食材を買いに走るか……?
近隣のスーパーを思い浮かべて頭を抱えていると、電話の向こうで担当者が何か思いついたように声を上げた。
「……ああ、あれならご用意できるかもしれません。
「排骨か……」
それは豚のあばら肉のことだ。いわゆるスペアリブ。揚ればパリパリ食感に、煮込めばトロトロになる食材で、台湾なんかじゃ甘辛く煮た大ぶりのスペアリブをご飯に乗っけた
骨付き肉なので食べづらいのが難点だが……見た目のインパクトもさながら、味も含めてイベントでは異彩を放つだろう。試してみる価値はある。
「……それで何とかします。よろしくお願いします」
電話を切ると、向かいの兄貴が顔を上げる。
「排骨?」
「ああ。定番メニューにはないけど……何か考えないとな」
思い切って三百人前の排骨を注文した以上、イベントまでに何か形にしなければならない。それができなければ、神龍軒は大量の骨付き肉を抱えたまま沈むしかない。
どうしたものかと頭を痛くしていると、兄貴は手を打って顔を綻ばせた。
「それならさ、久しぶりにあれ作ってくれよ。覚えてるか? 俺たちが小さい頃に親父が作ってくれた――」
兄貴の言葉に懐かしい親父の背中を思い出し――俺たちが子供の頃に争って食べたあの味が、口の中に蘇った。
◆
院内の中庭、その木漏れ日の下で懐かしい声がする。
あの頃のままの彼は車椅子の私を振り返り、その何度も思い出した笑顔を向けた。
「勝負しないか、俺と」
「何よ……それ」
「俺が死んでも――」
――――
――
懐かしい夢を見て、目が覚めた。
たったひとりの病室で、彼の夢を見たのは本当に久しぶりのことだった。
あなたとした約束のお陰で今、私は生き長らえている。だから――
「もう少し待っていてほしいの……大丈夫、約束は守るわ。どうか見守っていてね」
窓の外に見つけた星にそう呟いて、私は少しだけ微笑んだ。
神龍軒を食らわば骨まで 月見 夕 @tsukimi0518
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