第4話 熱

「アキくん」


頭上から声がかかり、僕は読んでいた本から顔を上げる。思っていたよりも彼女の顔が近くにあって、驚いた僕はのけぞってしまった。


「ふふ、なにその顔」

「サナさんがびっくりさせたんじゃないか」


彼女は満足げに笑みを浮かべる。彼女は時々こうやって僕をからかった。


「さ、行こうよ」

「はいはい」


僕らは手を取って歩き出す。すでに汗だくな僕とは違い、サナさんは暑がる気配も見せず、どこか涼しげな空気すらまとっている。薄いワンピースがそよ風でなびく。




「ねえ、ここに来るの久しぶりじゃない?」

「あー、確かに。最近ちょっと忙しかったからな……」


僕らが訪れたのは大学の近くにある水族館だった。いい立地だというのに建物は長い間建て替えがされておらず客も少ないので、僕らにとっては絶好の穴場だった。


目玉の大水槽を通りすぎた小さなクラゲコーナーが僕らのお気に入りだった。というか、彼女の。

アカクラゲにミズクラゲ。色の違う種々の触手が混ざり合いオーロラのようだった。


「クラゲはね、地球に誕生してからずっと姿の変わっていない珍しい生き物なの」


そう言ってぷよぷよと浮かぶ彼らを見つめる彼女の横顔は、恍惚に似た憧れのような表情を浮かべている。


彼女は変わらないものが好きだった。時間が一番恐ろしいものだと以前言っていた。


「楽しい記憶でも愛おしい思い出でも、なんども想起するうちに当たり前になってしまうの」


まるで波が収まるみたいに。

彼女の視線は端の方に追いやられて佇むベニクラゲに注がれていた。彼らは体が一定よりも成長すると幼体の姿に戻り老化をリセットできる。つまり、不老なのだ。


「ねえ」


気づくと、彼女が僕を覗き見ていた。


「この時間が永遠に続けばいいのに。そう思わない?」


返事を待つことなく、彼女は僕に唇を重ねた。そこには僕ら以外誰もいなかった。僕らの境界は薄れて、やがて一つになった。握られた手から彼女の熱が伝わってくる。思考が止まってしまうほど心地のいい熱だった。

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