第8話 初雪の約束

 寒さが深まる12月、故郷の町には初雪が舞い降りた。雪は静かに、白くふわりと空から降り積もり、街並みを一変させた。玲奈はカフェの窓際に座り、雪景色を眺めながら、思い出に浸っていた。この町に戻ってきてからの数ヶ月、心の中に少しずつ変化が訪れていることを感じていた。過去の痛みが完全に消えたわけではないけれど、それでも少しずつ、前に進んでいる自分がいた。




 梨花が忙しそうにカフェの厨房で動き回っているのを見て、玲奈は小さなため息をついた。「今日は本当に寒いな…」と、窓を流れる雪を指でなぞる。


 その時、店のドアが開き、誠也が入ってきた。雪が彼の肩に降り積もり、その姿がまるで冬の風景に溶け込んでいるようだった。誠也は外から来たばかりのため、顔や髪に雪が積もっている。玲奈の目がその姿に自然と引き寄せられた。


 「お疲れ様。」誠也は穏やかな笑顔を浮かべながら、玲奈に向かって歩み寄った。


 「お疲れ様、誠也さん。」玲奈も微笑んで答えた。


 誠也はカウンターに腰掛けながら、雪を見つめた。「今年の初雪は、早かったな。」


 「本当に。」玲奈は答え、心の中でふと彼の言葉に耳を傾けた。雪が降り積もるこの静かな空気の中で、何か特別なことが起こりそうな予感がした。


 しばらくの間、二人は黙って雪の降り積もる景色を見ていた。だが、やがて誠也が静かに口を開いた。


 「玲奈さん、話したいことがあるんだ。」


 玲奈は驚いて顔を向けた。「話したいこと?」


 誠也は一度深く息を吐き、少し言葉を選ぶようにしてから続けた。「実は、ずっと前から気になっていたことがあって…玲奈さんがここで新しい生活を始めてから、少しずつ君と過ごす時間が増えていく中で、僕の心も変わっていった。」


 玲奈は心の中で何かを感じ取った。誠也の表情が真剣で、いつもとは違う温かさを帯びていることに気づいた。彼の言葉に何かが込められていることを直感的に感じ取った。


 「それが、何かしら…?」玲奈は静かに問いかけた。




 誠也は少し黙ってから、ゆっくりと話し始めた。「玲奈さん、君と出会ってから、僕は君の笑顔に何度も救われてきた。君の優しさ、強さ、そして何よりその素直さに、僕はずっと心を動かされてきたんだ。」


 玲奈の心が少し揺れる。これまで何度も誠也の優しさに助けられ、心が安らいだことがあった。でも、彼の想いが自分に向けられているということに、驚きと戸惑いを感じずにはいられなかった。


 「でも、玲奈さんは…まだ過去に囚われていると思う。」誠也は続けた。「それがあるから、僕は君に気持ちを伝えるべきかどうか、ずっと悩んでいた。でも、今日、雪が降るこの瞬間に、どうしても伝えたくなった。」


 玲奈の胸が高鳴るのを感じた。雪の降りしきる寒い日に、誠也の温かい言葉が心に深く響く。彼が本当に伝えたかったことは、ただの優しさや友情ではなく、もっと深い想いだったのだ。


「誠也さん…」玲奈は静かに彼を見つめ、言葉を選ぶようにして続けた。「私、どうしていいかわからない。過去のことが、まだ心に残っているから。」




 誠也は黙ってうなずき、少しだけ距離を縮めた。「分かっている。でも、僕は君を待つつもりだ。君がどんな決断を下しても、僕は君を支えたい。過去を乗り越える力を、君が持っていることを信じているから。」


 玲奈は誠也のその言葉に、涙がこぼれそうになるのを感じた。彼の気持ちがどれほど真剣で深いものであるか、それが伝わってきた。そして、その温かさが、今まで彼女が抱えていた孤独感を少しずつ溶かしていくのを感じた。


 「私、まだ迷っている。」玲奈は少し顔を伏せてから、静かに言った。「でも、誠也さんといると、少しずつ心が落ち着くの。あなたの言葉に、心から励まされている。」


 誠也は優しく微笑んだ。「それなら、今はそれだけで十分だよ。焦らなくてもいい。君が自分の心と向き合わせて、決めるべき時が来るまで、僕は待ち続ける。」


 玲奈はその言葉に、自然と涙が溢れた。心の中で何かが溶け、次第に安心感が広がっていった。過去の痛みを抱えたままでいい、と思える瞬間が訪れた。それは、誠也の無償の優しさに包まれた時だった。


 「ありがとう、誠也さん。」玲奈は涙を拭いながら、笑顔を見せた。「私は、少しずつ進んでいきたい。」


 誠也は静かに頷き、玲奈の手を優しく握った。「それでいいんだ。君のペースで、僕はいつでもここにいるよ。」


 その時、店の外で吹雪が強くなり、雪はますます激しく降りしきっていた。しかし、玲奈はもう寒さを感じなかった。誠也の手のひらの温もりが、心から温かく感じられた。


 初雪の夜、玲奈の心に新たな決意と温かな約束が芽生えた。それは、誠也との未来に向かって、一歩を踏み出すための第一歩だった。

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