第4話
家に帰り着いた時には、二十二時を過ぎていた。
息子の正一は風呂から上がって、寝るところであった。
「ああ、お帰り。今日は遅かったね」
「うん、ただいま!ばあちゃんには電話したんだけど、今日は、遅番の仕事に替えてもらったのよ」
「うん、聞いたよ。朝、調子悪かったんだって?明日はゆっくり休んでいなよ」と母を気遣った。そして、自分の部屋に入って行った。
道子は母の咲子が用意して呉れていた夕食を食べて、風呂に入って寝ることにした。咲子は離れの自室に入って寝たようであった。
道子はベッドに仰向けになって、じっと天井の蛍光灯を眺めていた。彼女はこれからの対応策を考えていたのである。
今現在、ポリペ-ルを積んだ車は、家の裏の倉庫の前に止めている。氷をぎっしりと詰め込んでいるので、50kgより重いだろう。朝までには、氷は、或程度は溶けるだろうが、
この倉庫には、鮮魚店を営業していた時に使っていた、様々なものが雑然といれられていた。大型の冷凍冷蔵庫もあった。通電して使用することは出来ないが、物入れとしては使える。縦長の重い冷凍冷蔵庫で、上下二室に分かれていた。下段の冷凍庫のスペ-スには、ペールをそのまま立てて入れる広さはあった。
道子は一旦、その中にペールを仕舞う事に決めたのである。
翌日の日曜日、正一が九時から始まる野球部の練習に行く前に、道子は彼に手伝わせて、ペールを車から降ろして、物置倉庫のなかにある例の壊れた冷凍冷蔵庫の中に運びこんだのである。
「お母さん、一体、この中には何が入っているの?」と正一は、やはり、道子の予想通りに訊いて来たのだった。
「うん。市場の倉庫に入りきれない大切な荷物で、一週間、お母さんが預かって保管するように頼まれたのよ」
「ふうん。お母さん、意外と信頼されてるじゃん」
「うん。まあね」
正一は、それ以上の事は何も訊いてこなかった。そして、急いで、野球部の
母の咲子は、この事には全く関知してなくて、何も知らなかった。
倉庫の中には、冷凍冷蔵庫の他にも、魚を陳列していたガラスケースや、量り売りの為の
倉庫内の広さは十畳くらいあった。倉庫の入口の鍵は、居間に祭っている神棚の下のフックに、いつも無造作に掛けられていた。普段はまったく用の無いもので、家族三人の誰も関心のない存在であった。
しかし、道子は今後は、車のグローブボックスに入れることにしたのである。
翌日の月曜の朝、道子は家にある掃除用のバケツに水を入れて、以前、店をやっていた時に使っていたデッキブラシを車に積んで出勤した。バケツは10L用を二個、それぞれに水を満タンに入れていた。
彼女は、事故現場に来ると、その手前の路肩に車を止めて、バケツとデッキブラシを車から下ろした。まだ、朝の五時前なので、辺りは真っ暗だった。持参した懐中電灯を取り出して、アスファルト舗装の路面を注意深く観察したのである。しかし、血痕の跡などは見当たらなかった。彼女は注意深く、辺りを見回したが、人っ子一人も居なかった。
道子はバケツの水を道路にぶちまき、デッキブラシで、老女が転がっていた辺り一面を擦って洗い流したのである。すると、その時にカチッと何かが当たり、ブラシを
道子は辺り一面を、更に注意深く見て、他に散らばっていないかと探した。そして、十数個のガラス片を見つけて、全部を拾いあげたのである。多分、全てを回収したと思われるのだが、今日の帰りに、もう一度確認する事にして、一旦、現場から離れたのである。
そして、いつもよりスピ-ドを上げて、定番の、いつものコンビニの駐車場に
車を止めた。そして、これもいつも通りに缶コーヒ-を買って、飲みながらヘッドライトを確認したのである。すると、やはり左側のガラスカバ-が破損していた。
エンジンを掛けてライトを点灯させてみたが、ライトそのものはちゃんと点灯した。カバ-だけが破損したようだ。
道子は
『このままではマズイ!』と考えた。修理に出した時に何にぶつけたかを勘ぐられてはヤバイ。と思ったのである。嘘をつくのは簡単だが、万が一と云う事もある。
今の道子は極端に用心深くなっていたのである・・・・・
彼女は運転しながら考えた。そして、通勤途中に道路の左側に、大きな石が路肩にせり出している場所を思い出したのだった。それは、これから走る直ぐ先の橋の
すると、橋に通じている左側の脇道の農道の方から、六十代くらいの夫婦らしき男女が、音を聞きつけて走って来たのだった。
「大丈夫ですか⁉」ご主人らしき男性が心配そうに声を掛けて来た。連れの女性も心配顔で道子を見つめていた。
「はい。大丈夫です」道子はびっくりした表情で応えた。そして、車から降りて、割れたガラス片を拾い始めたのである。すると、優しそうな男性は、道子の顔を覗き込んで、訊いて来たのだった。
「あなた、先を急いでいるのではありませんか?」
「はい。出勤途中です。でも、このまま放置して行く訳にもいきませんし!」
「大丈夫。私たちに後のことは任せて、直ぐに出発しなさい!」と言ってくれたのである。「単なる自損事故です。誰にも迷惑はかけていません。気にする必要は無いですよ」と言って、早く、早くと道子に出発することを急かせたのだった。
「それでは、お言葉に甘えて、行かせて頂きます」と一礼して、道子は車に乗った。その際に、せめてお名前だけでもと訊ねたら、近くに住んでいる農家の御夫婦で、山田五郎さんとその奥様との事であった。
二人は朝の日課で、天気の日には、この周辺を散歩しているとの事であった。普通は、脇道の農道を歩いているのだが、大きな音が聞こえたので、事故かもと思って、この道まで出て来たらしい。
道子は時間のロスを取り戻すために、スピードを上げて、車を飛ばした。しかし、壊れたヘッドライトは、今日中に修理する必要があった。整備不良車のままでは走れない。ましてや、ヘッドライトの故障であれば、朝夕の暗い道は走れない。石にぶつけたためにライトも破損してしまったのである。彼女は市場に着いたら、高橋主任の馴染みの整備工場に頼んでもらって、今日帰るまでに修理を完了してもらえるように、頼みこもうとと考えていた。
門司港へは、ほぼ、いつも通りの時間に着くことが出来た。ヘッドライトの修理も高橋主任のおかげで、帰る時間までには間に合いそうだった。道子は安心した。
絶対に人にぶつかって破損したとは思われないようにしなければ・・・・・万が一察知されたら、すべてが終わってしまう。危なかった。いまでは、石にぶつかって破損した時の証人もいる。真実はぶつかったと云うよりも、自分から故意にぶつけたのであるが・・・・・
もし、追及されたとしても、なんとでも言える。そのような場合の対応には道子は自信があった。
血痕が見つからなかったと云う事は、内出血だけだったのだろうか?今一つ気にはなった。この日の仕事は十六時上がりだった。ヘッドライトの修理も終了していた。
職場を十七時前に出て、事故現場には十八時半には着いた。この頃は日が少しながくなって、まだ、明るかった。朝方に続いて、もう一度周囲を観て廻ったが、血痕もガラス片も発見できなかったのである。10分ほど、確認チエックして、それから家に向かった。朝持って行った、二つのバケツには、氷を満杯に入れて持って帰って来た。家には、十九時に着いた。着いてすぐにバケツの氷を倉庫のペールの中に入れて、倉庫の鍵を掛けたのである。鍵は、車のグローブボックスに収納した。
台所では、母の咲子が夕食の支度をしている音が聞こえていた。正一は、まだ学校から帰ってないようだ。放課後、野球の練習をやっているのだろう。
一見、他人から観ると、何の不安も無い平和な家庭に見えるだろう。でも、今の道子は不安で生きた心地がしなかった。しかし、家族に相談することも出来なかったのである。
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