第36話 第三幕 悪食姉妹 ⑤
〈『皮剥ぎ』視点〉
特殊な加工を施した人間の
魔法体系としては変化魔法に分類されるそれは、対象の姿形だけでなく体臭や魔力の質、さらには魂の形さえ、対象を模写することを可能としていた。
対象に変化した際、断片とはいえ記憶を読み取れるのは、そうした上辺だけでない『生物の本質』までをも複製しているからに他ならない。
「そしてここからあ! さらにい、目覚めなあ、
ゆえに、固有魔法によって人種の垣根を越えて、
強化魔法に分類されるそれは、触媒に『魔石を用いた魔道具』を必要とし、身に纏う重装鎧の胸元に埋め込まれた蒼銀の宝珠が、魔法に呼応して眩い光を放出する。
そして魔石とは、
魔獣から採取される『核』の遺骸。
魂をそれと共鳴させた者は、一時的に魔獣の力を引き出すことを可能とする。
「……っ、ああああ、ああああああああっ!」
とはいえ『皮剥ぎ』が対象に選んだのが、
ただの鬼人であるわけがない。
生前の彼女は、高名な王国の騎士だった。
そして彼女が馳せた武勇とは、
とある魔人の討伐。
騎士が愛用する魔鋼鎧には、彼女が討った『魔人の核』が用いられていた。
「……きっ、キタキタきたあッ!」
つまり騎士を模倣した『皮剥ぎ』の力となるのは、陳腐な魔獣ではなく、その上位種である魔人。
魔人とは、たった一体で小国を滅ぼす怪物であるが、創造主より『人類にとっての試練』という役割を与えられたそれは、己という試練を乗り越えた者には、偉業を認めて、相応の報酬を贈ることでも知られている。
そのため本来であれば魔人の核を用いた魔鋼鎧など、魔人に認めらた、当人にしか真価を発揮できない。
しかし悪女の生まれ持った〈祝福〉は、
そうした尊厳すらも踏み躙った。
「ま、まさか、あのお姿は、『不倒』のオルガナ殿っ!?」
「そんにゃバカにゃ!」
「……あ、あはははあ! さすが騎士サマあ、王国騎士の英雄サマのことは、ご存知だったようだねえ!」
獣人騎士たちの浮かべる驚愕と、絶望が、心地よい。
胸の内側から湧き上がる全能感が、
ベロアの心を満たしていく。
「でも今はもう、ご覧の通りい、全部アタイのもんさあ!」
かつて自らを討ち取った好敵手の呼びかけに、魔石に宿る魂の残滓が応えて、魔鋼鎧が姿を変質させる。
ギチギチと質量を増大させた装甲が粘体のように伸びて、手足や顔を覆い、重装鎧から全身鎧へと変形。
表面は光沢を帯びて、魔力的な防御力を備えたそれは、まさに
只人から鬼人への〈呪貌貼付〉による変化。
さらに〈解放魂魄〉による変身を経て。
女の姿は、王国の騎士たちに謳われる、
英雄騎士を模していた。
「そ、そんにゃ……」
「チクショウ、王国の、英雄が……っ!」
そうした英雄が数年前から消息を絶っていたことは、田舎領地の獣人騎士も聞き及んでいたことだろう。
けれどその反応を見るに、彼女がすでに討たれ、こうして『皮剥ぎ』の魔道具に成り果てていたことは、夢想だにしていなかったようだ。
非常に気分が良い。
喉の奥から嗤いが込み上げてくる。
「……」
黙ってこちらを睨みつける大男も、
内心では萎縮しているに違いない。
込み上げる多幸感に、
つい口角が緩んでしまう。
「……ん? んんん? どうしたんだい、ダンナさあん。美しいアタイの姿に、見惚れちゃったかあい?」
「……その、御姿。そして威容」
絞り出された大男の声音には、
ありありと苦渋が沁みていた。
「浅学な拙者は存じ上げぬが、さぞ高名な武人であったとお見受けする」
「うん、うん、そうだよお。その通りだよお! コイツはねえ、魔人を討伐して名を馳せた後、十年以上も王国騎士団の精鋭に名を連ねた、正真正銘のエリートサマなのさあ!」
語りながら、当時を思い返して。
悪食姉妹の
「でもまあその最期は、たまたま遠征中に立ち寄った村で、今のアンタらみたいに男子どもを人質にとられて、呆気なく逝っちまったんだけどねえ! あははははっ!」
「がははは! あのときのアイツの顔、マジでサイコーだったよなあ!」
「殺すなら、私を殺せえ……でしたっけ? だからお望み通り、あの人から殺してあげたんです。そのあとで当然、
屈辱に歪む英雄の顔。
泣き叫ぶ男たち。
正義を信じて声援を飛ばす子ども。
そうした強者を、弱者を、小さな灯火を、一緒くたにしてグチャグチャに凌辱する快感を思い返して、女の股がじんわりと濡れる。
(ああ、早くコイツらにも、いい顔を浮かべてもらいたいねえ)
そのためには、この大男を血祭りに上げるのが手っ取り早いか。いいや。ダメだ。それだけだと溜飲が治らない。自分たちに舐めた態度をとったメスガキどもには、もっと悔いてもらわないと。そうだ、この大男は半殺しにしておいて、目の前でメチャクチャに犯してやろうか。顔は自分の好みではないが、末妹はそっち方面でも悪食だ。肉棒さえあれば満足する。その際にはあの木刀で、持ち主の菊門を貫いてやるのも一興かと、すでに勝利を確信している『皮剥ぎ』の胸中では、暗い情欲が燃え盛る。
なにせここに至るまで、
慎重に保険を重ねてきたのだ。
もとより実力で劣るとは思わないが、それでも油断せず、念を入れて周到に罠を張り巡らせるのが、裏世界でここまで生き抜いてきた秘訣である。
だからこそ、一手間かけて騎士団に潜伏し、内部情報を抜き出した。
街で人質を誘拐して、わざわざ人手を使ってまで、こんな森の奥にまで連れてきた。
さらに魔生樹の討伐で体力を削り、食事に毒を盛って、弱体化を図った。
そのうえでこうして奥の手である固有魔法まで使い、こちらに有利な条件で決闘に興じるというのだから、これで負けるのはもう不可能と断じていいだろう。
自らの勝利は揺るがない。
「……」
「ん? どうしたい、ビビっちまったのかい?」
ようやく自らの窮地を悟ったのか。
押し黙る大男に、ベロアは更なる愉悦を得るため、悪意をまぶした希望を差し出す。
「んー、なんだったら今からでも、後ろのお弟子さんたちとの共闘を申し出てみるかい? ダンナさんが裸踊りでも披露してくれるんなら、考えてあげてもいいよお?」
「おお、そりゃいいや。それ脱ーげ、脱ーげ。男なら男らしく、その股座の剣で戦ってみせろやっ。それならオレサマが、相手してやってもいいぜえ?」
「うへえ。あいかわらずゴルディちゃんは、ゲテモノ食いですねえ〜」
「……いや、いい」
それよりも、と。
哄笑する悪食姉妹をまるで意に介さずに。
刃のように無感情な瞳で、大男は告げた。
「立ち会いはもう、始まっておるのか?」
瞬間、鉄壁と化したはずの全身を、
凄まじい悪寒が貫く。
(んなっ……なんだい、この怖気はっ!?)
甲冑兜の内側で表情を歪めるベロアに、
あくまで無表情を保ったサムライが告げる。
「そこはすでに、拙者の間合いぞ」
大男が手にするのは、木刀ですらない、か細い小枝。
当然その間合いなどあってないようなもので、自分たちとの距離は、ゆうに三メートル以上ある。
常識で考えれば、
切先など届くはずがない。
如何なる魔法であれ、武術であれ、対応するには十分な間がある。
それでもベロアの直感は、
己の窮地を告げていた。
危ない。
今すぐ逃げろ。
このままだと殺られる。
まるで喉元に刃を突きつけられたような焦燥が、脳裏に全力で警鐘を鳴らしている。
「……はあ? うっぜ、だったら、お望み通りに――」
だというに。
止める間もなく短慮な末妹が、
語気を荒げて前に出た。
それが合図となった。
「宜しい。ならば――」
バヂッ……と。
生じた閃光によって目を焼かれて。
「――チェスト、御免」
それから、男の声が聴こえて。
「……んあ?」
ゴルディの間抜けな声がしたかと思えば。
「……ごポッ。かっ……かはあっ!」
喉の奥から湧き上がる熱が、
口から溢れ出した。
(……うへえ? な、なんだい、こりゃあ?)
慌てて吐瀉物を押さえ込もうとすれば、
ガクリと、膝から崩れ落ちてしまう。
混乱に拍車がかかり、
上手く思考が働かない。
それでもどこか遠く、義妹である、暴食姉妹の声が聴こえた。
「あ、あへえ、なん、じぇ……っ!?」
「……っ、いやああああああ! ご、ゴルディ! 姉さあああんっ!」
ゴポゴポととめどなく溢れ出る熱に嗚咽と耳鳴りに耐えていると、じきに視界が戻り、真っ赤に染まった自分の手のひらと、それよりもさらに紅く染まった、地面が見えてきた。
(……?)
視線で辿れば、その中心には、
大地に四肢を投げ出した末妹の姿がある。
ただし身体は横一直線に分断され、もはや魔法の維持もできないのか、変化魔法の解けた『骨喰み』が、萎んで獣人の姿へと戻っていく。
「あ、ねご、たす、け、て……」
それが末妹の、最期の言葉だった。
伸ばされた手が地に落ちて、
瞳から温度が消失する。
「あっ、あああああっ、ね、姉さん、ゴルディが、死、死んじゃった……っ!」
次女である『肉削ぎ』の悲鳴が木霊するが、黙れ馬鹿、敵の前で隙を見せるなと、叱咤することさえできない。
なんとか血塊を吐瀉して視界が回復したものの、認識した現実によって、歴戦の『皮剥ぎ』でさえ数秒ほど、茫然自失してしまったからだ。
(なん、だい、こりゃあ……?)
這いつくばって見上げる視界には、
軽く腕を振ったように見える大男の姿。
手のひらでは黒く炭化した小枝が、
ボロボロと崩れ落ちている。
(は? え? き、斬られた? あの一瞬で? あんな小枝で? アタイらまとめて、叩っ斬られたっつーのかいっ!?)
ベロアは両断こそされていないが、ミスリルの強度を誇るはずの魔鋼鎧は、その左から中心を超えてほとんど右端まで、横一文字に斬り裂かれていた。
自分の左側にいたゴルディが真横に両断されていることからも、おそらくあの大男が放った一撃が末妹を断ち、そのまま軌道上にいた自分を刻んだのだと、馬鹿でも理解できる。
だからといって。
(ふっ、ふざけんなっ!)
この馬鹿げた現実を、
簡単に受け入れられるわけがない。
(こっちは、英雄の鎧だぞ! 魔人の力まで上乗せしてるんだ! そのうえ罠を仕掛けて、場を整えて、機を待ったっていうのに、たった一撃で、その全てをひっくり返しやがったっていうのかいっ!?)
そんなもの、計画の段階で予想だにしない、想定を超えたバケモノの所業だ。
人に為せる技ではない。
人の域を超えている。
人外の所業だ。
「……さて」
そうした畏怖に震える女に対して、
はるか高みから見下ろす男が告げる。
「まだ、続けるかね?」
【作者の呟き】
精人種、
魔女外套と帽子を装備した、貧乳黒蜜肌のマイペースさん。
悪食姉妹の末妹曰く、趣味は人間に衰弱魔法をかけて、その観察記録をつけること。
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