第31話 第三幕 異変 ②
〈トルクト視点〉
「……へえ。これはちょお〜っと、面白くなりそうっスね」
「だ、ダメだよお、クロちゃん! 不謹慎!」
予兆を嗅ぎとり、頬に刻まれた白蛇を歪める
「トルクト殿。確認させていただくが、これが其方の訓練などといったお話は、聞いておられるか?」
「……いいえ。オレたちも、状況を掴みかねています」
否定こそするものの。
不自然に姿を見せない魔獣と、
この錆びついた臭い。
まず間違いなく、
良からぬ事態が発生していることは確かだ。
となれば、
「まずはオレたちが前に出て、調査してきます」
桁外れの戦力を有しているとはいえ、食客であるライヅ一向を、危険な目に遭わせるわけにはいかない。
ここはまず、自分たちで現状の把握に努めるべきだ。
「いやいや、それはないっスよ、ウシのオネーサン」
至極真っ当なトルクトの提案を遮ったのは、このような状況に置かれて心底楽しげな笑みを浮かべる褐色肌の少女、クロイアである。
「こんなに面白そうな状況で仲間ハズレとか、良くないっスよ〜」
「いや、しかし――」
「――それに『あっち』は、ジブンらを逃す気はないみたいっスけど?」
「っ!」
またしても、指摘されて。
トルクトもその『気配』を察した。
(……っ! クソ、視られてやがる……っ!)
自体が此処に至ればもはや、
隠す気もないということか。
姿形こそ目視はできないものの、騎士としての勘が、獣人としての五感が、訴える。
視られている。
監視されていると。
魔獣や野生動物ではありえない、悪意を持つ人間特有の粘ついた視線が、森のそこらじゅうからトルクトたちに向かって放たれていた。
「あーあ、完全に包囲されてるっスね」
「と、というか、この場合は、待ち伏せ? に、引っかかったのかな、ボクたち」
「お、ハルのクセに鋭いじゃないっスか。ほれご褒美っス」
「ひゃいんっ! だ、だからなんで、すぐにおっぱいを叩くのおっ!?」
緊迫する空気を無視した蛮族娘たちがいつもの調子で戯れているが、トルクトの思考にそれに構うだけの余裕はない。
「……にゃあ、トール。もし本当に、にゃーたちが待ち伏せされてたんにゃら……」
「……まあ、そうなるわな」
副官であるネルコも察したように、
自分たちの中に『裏切り者』がいる。
でなければ広大な森のなか、的確に、魔生樹を討伐している自分たちの先手をとれるわけがない。
確実に、情報源となる人物がいる。
そしてその可能性はは飛び入り参加した客人ではなく、この討伐作戦の詳細を把握していた騎士団側。
さらに今の状況を鑑みると――
「――まあまあまあ。とにかく、せっかくパーティーに誘ってくれてるのに、待たせるのも悪いっスからサクサク進んじゃいましょうよ。ね、お館サマ!」
「ふむ。虎穴にいらずんば何とやら、で御座るな」
「そ、それに、あっちには、エル兄様もいるはずですし……っ!」
そうした危惧など当然見透かした上で、
辺境領地の一向に、躊躇いはなかった。
蛮族が心強過ぎる。
「それはぶっちゃけ、ありがたいのにゃー。アナタたちがいれば百人力にゃー」
「ご協力、感謝いたします」
「いえいえ、そうお気に召されますな。それに此度の客人、ともすれば……」
「――?」
「……ははっ。まあこの場で推測を重ねても埒が空きませぬ。先へ進みましょう」
そう言って歩を進めるライヤを、慌ててトルクトも、武器である戦斧を肩に担ぎ直しながら追いかける。
途中で、ふと、脳裏にある疑問が湧いた。
(……ん? もしかして『向こう』の狙いって、オレたちじゃなくてこいつらなんじゃねーの?)
⚫︎
〈トルクト視点〉
それら獣人騎士の胸中に湧いた疑念の数々は、半刻ほど不愉快な視線を引き連れつつ森を歩いた末に、答えを得ることができた。
鬱蒼と木々が生い茂る森のなかで、
ポツンと生まれた空白地帯。
この二日間で何度も目にしてきた魔生樹が座する土地独特の地形であり、魔獣で溢れる舞台の中央には、
しかし今現在、魔生なる樹は急速に生気を失い、枯れ果てていく最中である。
大人ふたりが手を回しても届かぬほどに巨大な幹に生じた、大きな黒点。樹の根本までを抉り抜く穴は、魔晶石を採取する際にできたものであり、魔獣における魔石、生物における心臓を奪われた母樹は、その命を潰えさせようとしている。
萎んで破けた
産まれる前に命を絶たれた魔獣たちがこぼれ落ちて、ボタボタと滴る琥珀色の液体が涙のように、それらの頭上に滴っていた。
周囲を埋めるのは、母を守れなかった子の死骸と、それらを狩った者たちの嘲笑。
血に濡れた刃や槍を、すでに息絶えた魔獣に突き立てて暇を潰していた女たちは、法を守る立場である自分たちでなくてもわかるほどに、悪意と暴力の気配に満ちていた。間違いなく、裏の世界の住人。肌には『月を貪る骸骨』という、闇ギルド『
おそらくその力量は、こうして魔獣が満ちる森の奥に立ち入ってきているのだから、少なく見積もってもそれぞれが中堅冒険者以上。
目算で見るに、数は三十と少しといったところ。
頭数でいえば、騎士団側とそう開きはないが、広場の片隅には彼女らがここまで牽引してきたのであろう荷車があり、そこからも人の気配を感じるもので、油断はできない。
そして問題なのは――
(――アイツら、だな)
枯れ朽ちていく魔生樹の、正面。
血塗れで倒れる番魔獣に腰掛けて、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる二人組だ。
うち片方に、トルクトは見覚えがあった。
「……おいおい、やってくれたなあ、フーリー。こりゃ一体、どういう了見だよ? あ?」
「血迷ったのかにゃ、馬鹿犬。流石にこれは、笑えにゃいのにゃ」
同僚である牛人騎士と猫人騎士から刺すような視線を向けられてなお、汚泥のように濁った笑みを崩さない犬人騎士、フーリーである。
ただしその身を覆うのは、自分たちと同じ白を基調とした獣人鎧ではなく、見覚えのない青銀の重装鎧。胸元には趣味の悪い、人面を模した装飾が貼り付けられていた。
「おいおいなんだよ、そのセンスのねえ鎧は。男だけじゃく、武具の見る目まで腐っちまったのかよ。ええっ!?」
「……」
「おい馬鹿犬! にゃんとか言うにゃ!」
「……ああ」
と、そこで。
初めて自分が呼ばれているのに気がついたでもいうように、前髪で片目を覆い隠した犬人騎士が、二人の呼びかけに反応した。
「そうかい、そうかい、お二人さん、自分に向けて話しかけてたのかい。ククッ、こりゃ失礼したねえ」
「にゃ? おい馬鹿犬、いい加減ふざけるのは――」
「――待て、ネルコ」
そこでトルクトは、ようやく認めた。
認め難い事実に、見切りをつけた。
ゆえに問いを、改める。
「てめえ……いったい、何者だよ?」
「にゃっ!?」
その姿に、匂いに、声音に、差異はない。
視線の先にある人物は、トルクトの知る、同僚であり悪友でもある犬人騎士と同一のものだ。
だが濁った瞳が、気配が、佇まいが、トルクトの知る彼女とはまるで異なる。かけ離れている。
生じる違和感はもはや、
別人と称して差し支えない。
「そうだったそうだった。『こいつ』はたしか、そういう名前だったねえ」
クツクツと、嗤いながら。
友の名を騙る何者かは、
自らの顔に手を添えて。
ベリベリと、粘ついた音を響かせて。
剥ぎ取った『
正体を露わとした。
「んー、でもこれからは、『皮剥ぎ』と呼んでほしいねえ。『悪食姉妹』の姉のほう、『皮剥ぎ』ベロアさんだよ。よろしくねえ」
【作者の呟き】
番魔獣さん『わしの出番、これだけ……?』
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